見出し画像

L。

 ある時、地球は人口増加によって飽和状態になった。

 このまま増え続けてはいけないという生存願望を、誰が明確に感じ取った。全人類が震え、怯えた。だが、人口は増え続ける一方。


 だから、人間はその問題を解決した。これまで一度も行われたことの無い、禁忌に手を染めた。AIに自分たちの知る世界の全てを、そして自分自身をもプログラムし、自害したのである。

 こうすれば電脳世界に行って、人口増加に歯止めがきくと。

 自害して電脳世界で生きるなど、変な話であると思っただろう? 体は死んでいるなら、それは生きているとは言えないと、そう思ったであろう?

 だが、現実は虚しい。

 人間の全細胞は5年程度、長くても10年で入れ替わると言われている。

 5年、10年前の体は死んだも同然だ。5年前の自分は死に、『今』という新たな体に意識をプログラミングし直した。

 こう考えれば、何もおかしなことはあるまい?

***

「これが、電脳世界か……」

 新たな世界にあらたな実体を得たとある男が、あたりを見回して呟いた。

 窓から差し込む日光、シーツ、花瓶。そのどれもが、自分達の知っている世界ソックリ、というかそのものだった。

 自我もこのように、しっかりとある。

 心のどこかで不安に思っていた彼は、安堵から嘆息を漏らした。それからベッドから起き上がり、自分の部屋から出る。

「母さん」
「あら、もう起きたの? 今日はいつもより早いわね」

 母親はまるで、電脳世界に越してきたことを知り得ないような口調で言った。それも当然である。

 何故なら彼女は、ここが電脳世界であるという事を知らないからだ。彼女は現実世界で数年前に死に、それをプログラミングし直した。

 自我がここにあるのだから、母親の意識もしっかりとあるのだろう。

 男は目に涙を浮かべ、自らの母親に抱き着いた。

「母さん……!」
「あらあら、どうしたの?」

 彼女は、戸惑った様子で男の頭を撫でた。

***

 そして、現実世界からこちらに『移住』する人々は、段々とその数を増していた。仕舞いには全人類の半分以上が電脳世界に移り住んだ。

 全ては順風満帆であった。移り住んだ人々の『データ』と『電脳世界』は現実世界で丁重に保存され、電脳世界に向かった人々が寿命で死ぬまで、末永く使われることになった……。

 ……はず、だったのだが。

 人類の半分以上が移り住んだ頃、ここで思いもよらなかった問題が発生した。というのも、移り住んだ人々のデータが多すぎて整理しきれなかったのである。

 依然として移り住む人々は増加傾向にある。このままでは確実にデータが飽和し、移り住むことが不可能になるだろう。

 現実世界に残った人々にとって、それは最も忌避すべきことであった。自分の友人、恋人などを電脳世界に送った者もいるのだ。一人だけ残されては、敵わない。

 ……だから。

 彼らは自分たちの為に、電脳世界のデータの一部を抹消した。いやいや、抹消したと言っても、既に移り住んだ人々を消したわけではない。

 ただ、【移り住んだ人々の間にできた子供】を抹消しただけだ。道徳観云々について説かれそうな気もするが、そんな事は無い。道徳も何も、元々彼らは存在しないただのデータなのだ。消しても問題は無いだろう。



 実際に私は、こちらの世界に来て子供を産み、それを抹消した身なのだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?