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私の音楽歴

幸運なことに、今現在音楽で生計を立てることができているのだが、なんとか食べていけるようになったのは30歳手前、29歳ごろからだと記憶している。もっと若くから活躍している人も多いが、この年齢になったのは私の音楽歴が関係していると思うのでそこから記していこうと思う。

音楽好きな両親のもとに産まれ、家では様々なジャンルの音楽が流れ、そして叔母がピアノ講師だったこともありピアノとエレクトーンの存在が身近にあった。4歳ごろからピアノ、エレクトーンを習い始め、小学校からは選抜クラス的なものに所属していたが、その中では決して上手い方ではなかった。救いは耳の良さ(今も助けられている)。小学校には音楽の能力がある友人が2人おり、そのうちの一人は親御さんがミュージシャンということもあり、家に遊びに行くとシンセサイザーがあった。それがシンセとの出会いであり、一緒に曲を作ったりもした。小学校高学年になると、親の勧めで中学受験をすることになり、ピアノ教室を離れ受験勉強に集中した。

めでたく受験はギリギリ成功し、都内の中高一貫の男子校に入った。どこか人生に悲観的だった私は、部活に入る気がなく6月までは所属していなかったが、放課後の教室で独り机を叩いているところを吹奏楽部の先輩に見つかり(変なやつ笑)打楽器を始めることになった。その吹奏楽部は当時アンサンブルでは全国大会常連で、私自身は全国大会に行けなかったが、貴重な体験をいくつもさせてもらえた。高校生になるとその後の進路を決めなければならないのだが、高校1年の秋くらいに音大受験を決め、そこから打楽器を本格的に習い始めた。また、ピアノ、ソルフェージュも本格的に学んだ。受験1年目は東京芸術大学一本で受験し、残念ながら落ち浪人。2年目は武蔵野音楽大学と併願し、結局武蔵野音大に入学した。

音大では本当に充実していて、あらゆるものに選抜されたし、プライベートも充実していた。一番イケイケな時代笑。ピアノもたくさん練習したし、クラリネットの試験の伴奏もした。ジャズっぽいピアノや、ビッグバンドも演奏した。ただ今思えば、将来設計が全く出来ていなかった。学校で一番でいればなんとかなる、食っていくにはオーケストラに入ることが一番だと思いそれを目指していた。3年生の頃からご縁がありプロオーケストラに乗せていただいたりして、つてがない訳ではなかった。でも正直違和感があった。なんだか自分の居場所ではない感じがした。それでも食べていくにはここにいるべきだと思い、なんとか踏ん張ろうとした。(今思えば、ソリスト方向に進めば良かったのかななんて思ったり…でも打楽器を練習する環境、楽器の購入資金、管理場所など考えれば、かなり現実的ではない)卒業試験は出来は最高ではなくて、首席で卒業できなかった。なんとも私らしい笑

卒業後は大学の特修科に籍を置き、練習する環境を確保しつつ、プロオーケストラのエキストラの仕事をいくつかこなしながら、オーディションを受けたり、コンクールを受けたりもした。それと同時にキーボードでバンド活動もしていた。自分のバンドも立ち上げ、曲を作り、マリンバを弾いた。クラシックの先生からは怒られそうな活動の仕方だったけど、結局はそれが自分を救うことになるから不思議だ。ただ、この辺りから精神的な不調に悩まされることになった。

今思い返してみれば、大学4年の終わり頃からおかしかった。とにかく集中できなくて、練習に身が入らない。症状はどんどん悪化して、特修科の時は、練習し始めてすぐ嫌になってしまって1、2時間くらい椅子から立ち上がれないような状態に。だから全く曲も譜読みが進まず、正直試験はめちゃくちゃだった。この症状は結構長く続いて23~27歳はずっとそんな状況で(ただそんな状況でも活動はやめなかった。しんどすぎたけど。)、徐々に回復していって28歳くらいから復活した。どうしてそうなってしまったのか考えてみると、自分を追い込みすぎたことでなってしまったのだと思う。1音1音、ちょっとでも自分が思うニュアンスと違うと発狂していたし、間違えたら本気で命を失う覚悟で7年くらい演奏し続けていたら、壊れてしまった。

さて、ポピュラー音楽の仕事を始めたきっかけの話をしよう。25歳の時にバンドであるイベントに出演したのだが、別のバンドのキーボーディストとうちのバンドのもう一人のキーボーディストが連絡先を交換していたらしく、仕事を紹介してもらったらしいのだが、都合が合わず私にその仕事が回ってきたことがプロキーボーディスト人生の始まり。そこから定期的にサポート活動をすることになり、人伝に少しずつ人脈も広がっていった。ただ前述の精神的な問題もあり、なかなか生活できるほどまでにはならなかった。そして打楽器の仕事に呼ばれることもなくなってしまった。そこで、しばらくはピアノ、キーボードに集中しようと決めた。

復活してからは、過度に自分にプレッシャーをかけないことを一番に意識している。とはいえピアノイントロはものすごいプレッシャーだし逃れることはできない。とにかく外せないところだけはフルで集中して、あとは気楽に。そんな感じで自分のコントロールが出来るようになってからはどんどん仕事が増え、なんとか音楽だけで生活できるようになっていった。演奏以外の仕事も積極的に引き受けた。楽曲のアレンジ、ミックスなども、習ったこともないし実績もないのに引き受けて、必死に形にした。舞台も、ミュージカルも、やったことないことをなんでも引き受けた。それはこれからもそういう姿勢でいると思う。そのおかげで今があるから。

以上が簡単な私の音楽歴で、なかなか特殊な経歴かもしれない。様々な経験を生かして、これからも活動しようと思う。

次回以降は音楽の具体的な取り組み方などについて書いていくつもりだ。


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