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通りすがりのおばあちゃんになら、本当のことを話せるかも

今日もお疲れ様です!
まだ少し暑めが続いていますね、ミチシルベです🛣️

早速ですが、あなたには、こんなことを感じたことはありませんか?

「バスの隣に座ったおばちゃんに、なんでも話せるかも。」

いや、バスの隣が重要でもなく、おばあちゃんが重要でもなく🤣
ここで言いたいのは、

近くにいた知らない人が、その場一瞬の出会い=一期一会であると「なんか、なんでも話せちゃうな〜」と思うこと

しかしあくまで、私の性格上、
私の考えが友達/家族にとって否定的だったらどうしよう
一切気にしない人です…

☑️だから、道端やある一定の空間にいる知らない人と会話することになった時、
良くも悪くも、私の前例を知られてないが故に
着飾らずに、考えを言うことができる心地よさがあります。

もちろん、話心地がいいならこのような知らない人と会話をしまくれ!
という極端の話でもないです!

短縮したり重要なことだけ話すだけじゃ足りない、
しっかりした時系列を踏まえてお話しする友人や恋人、家族との会話には、
信頼関係から寛容してもらえる(ミチシルベはミチシルベの性格、考えがあるよね)心地よさも、必ずではなくとも、存在するよね🎵

ふと思ったことですし、同じような人がいるかどうか知りたくて😌
しかし、人それぞれだと言うことも踏まえて、皆さんはどんな経験がありますか?


例えば、私の経験を上げると

  • 派遣バイトの送迎バスで、隣の席だったお姉さん

  • 道案内を頼んできた、子供のように扱ってくれるお母さん

  • スーパーのレジをしていたおばちゃん

  • ゲームアプリでマッチングした年齢も名前も性別もわからん人

  • (田舎住み)街中の花壇に座り込んでる白髪のおばあちゃん

  • お店の行列に並んでいた、順番一個前の歳上そうな兄さん

 送迎バスのお姉さんに関しては、送迎時間が2、30分ほどありまして、
そこで、抽象的な問題に対して、どんな考えを持っているか明かしあった記憶が🤣
あとは、過去の話やどんな仕事をしていたのかとか、家族構成やら。

でもそれ以来、派遣バイトに私が行っていないので、その人に会ってないですね。
最後に会ってから随分と経った今、話題はなんとなく覚えていても、どんなことを言っていたかの記憶は0です。

ただ、あの道でこんな人と話したな〜
のような薄い記憶が
嬉しいような、小さい幸せのような感覚です。

 改めて☑️を細かく話すと、
会話をし始めて、お互いが

あ、今目の前にいるこの人は、僕/私の話し相手だね」や、
今同じ空間にいる」とある1種の信頼?的な認識と、

また、友人や家族とは違って
数秒前まで赤の他人だった。


また、上2種類の認識のおかげかはわからないが、
すでに知っている人に与える情報よりは、
手軽なこと重要なこと・知ってほしいことだけが、出てきやすい”気がする”。

お話しする関係が終わったあとは、
「“こんな人もいたな〜“と思われるだけ」

そんな関係だから、少し重い話もしやすい時がある気がしてます。


相談よりも雑談をするときに、
より自分が好きなように話しやすい感覚の話。

皆さんも暑い☀️ので、水分補給をして、風邪引いてしまう日まで、
元気さを感じながら生きてくださいヌ。

ミチシルベでした!🛣️

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