【コロナの感染経路と経済】中国化するウラジオストク 中国人が住み、中国人が物を売り、中国人が買う
ちょっと新しいシリーズを始めたいなと思ったのが、コロナ感染は人の出入り、つまり経済に密接しているなと思いまして自分なりに調べたり考察したいなと思いました。
ニュースで見た方がいらっしゃると思いますが、欧州で最初の流行はイタリア北部のある町
中東で最初の感染地域がイラン(新型肺炎、中東で初の死亡者 渡航歴ないイランの2人)
ここは中国と密接に関係する、つまり中国との取引が頻発している地域です
第1回はウラジオストクと中国の関係
ウラジオストクの位置。ルースキー島(中央の赤い部分)の対岸、ピンクの部分がウラジオストク。の位置図
現在はロシアから中国に感染者が出ている主要な地域です(中国からロシアへのコロナ感染もあったと思いますが正確な記事は出ていません)
ウラジオストクの歴史を簡潔に
1860年まで中国
清
外満州は、1858年のアイグン条約と1860年の北京条約によって、清からロシア帝国に割譲された。
ロシア帝国時代
ロシア帝国は1860年に北京条約によって外満州を清から獲得し沿海州を設置して、その南部にウラジオストクの街を建設した。ロシア人のほかドイツ人、デンマーク人、イギリス人も都市の建設に携わった。
日露戦争時には、ウラジオストク巡洋艦隊は通商破壊に活躍し、黄海海戦ののち旅順艦隊の残存艦はウラジオストク巡洋艦隊に合流した。日露戦争後はその構成艦船の主要なものがほとんどバルト海へ帰還し、太平洋艦隊はシベリア小艦隊に縮小された。
1904年9月、ウラジオストクから東清鉄道を経由し中国のハルビンを通ってモスクワとをつなぐシベリア鉄道が開通。
1916年、ハバロフスクを経由する現在のルートのシベリア鉄道が開通。
日本占領~極東共和国時代
日本軍は最終的にバイカル湖西部のイルクーツクにまで占領地を拡大。ウラジオストクからイルクーツク以東を1918年から1922年にわたって占領した。ウラジオストクには1920年から1922年の間、極東共和国の支配下にあり、各地から白系ロシア人が押し寄せたため、市の人口は9万7,000人から41万人までに増加した。1922年10月25日、最後の日本軍部隊が撤収し、ウラジオストクは赤軍の支配下に入った。市の人口は、10万8,000人にまで減少した。
ソ連時代
1935年、それまであった小規模な艦隊を拡張する形で、ウラジオストクを本部とするソビエト連邦海軍太平洋艦隊が創設された。ソビエト連邦時代の1938年には、沿海州を改組した沿海地方の州都となるとともに、軍港として重視されるようになった。
その後、第二次世界大戦(太平洋戦争(日)・大祖国戦争(ソ))の時代を過ぎて冷戦に入った後には、国際都市から一変することとなる。1958年からソ連が崩壊する1991年まで、ごく一部を除いて外国人の居住と、ソ連国民を含む市外居住者の立ち入りが禁止された閉鎖都市とされた。その間、ウラジオストクの代わりにナホトカが日本を含む外国との貿易港として、そしてシベリア鉄道の始発駅として機能した。そのため日本国総領事館もナホトカに移転していた。
ロシア連邦時代
ソ連崩壊後の1992年、ウラジオストクが閉鎖都市の指定から解除
ロシア政府はAPEC開催に備える形で、ルースキー島連絡橋の建設やウラジオストク国際空港の改修を行うなど、ウラジオストクに対して総額約6,000億ルーブル(1兆6,500億円)の莫大なインフラストラクチャー投資を実施した。ルースキー島は、リゾート地化を目的として、大規模な開発が進められており、リゾートホテルやプリモルスキー・オケアナリウム水族館ができている。
2004年10月、北京での中露首脳会談
タラバロフ島は中国領大ウスリー島とボリショイ島はほぼ2分割
実質ウラジオストクの半分を中国に譲渡
ロシア領土の利用料として1300億~1500億ルーブルを支払ってもらうという条件付き
ここから中国人大量流入の歴史が始まる
以上歴史
ウラジオストク 進む中国化
極東の開発は常に広大な土地、人材不足、冬の厳しさが付きまとう
持て余す土地、足りない人材の問題を解決する為に、ロシアは現金で土地を売る、開発してもらうという行為をする
(他の例では北方領土海域の漁業権を中国、韓国に売ったり)
というわけで現在は極東でお金を稼ぎたいロシアと、世界征服したい中国の思惑は合致した。
中露間でパワーシフトが進む中、過疎の極東は次第に中国の影響下に置かれつつある。
中国脅威論をしばしば報道するロシアの週刊紙は、「極東の中国人は10万-20万人とされるが、実際にはその何倍もいるとの見方がある。ウラジオストクの店に並ぶ野菜や果物は、中国人が近くのレンタル農地で栽培し、生産しているものだ。ウラジオストクのスポーツ通りの中国人街には、中国人が溢れている。極東経済は中国なしには成立しない。中国人はスーパーや店を買収し、放置された建物を修復し、中国人コルホーズを組織している。気づかれないうちに、中国人は全沿海地方を支配しているのだ」と書いた。
「中国との領土問題は決着し、国境紛争の種はないとはいえ、極東からのロシア人流出と中国人流入は続く。中国人は人的ネットワークで市場や領土を支配する術を心得ている。極東の幾つかの地域では、中国人の人口が過半数に達している可能性もある。中国人は同化せず、家族を呼んで子供を産む」と述べ、「極東中国人自治区」が創設される可能性に警告した。
ソ連崩壊時に800万人を超えた極東の人口は昨年の統計で626万人まで減少した。これに対し、隣接する中国東北部の人口は1億3000万人に達し、極東への流入が進む。
プーチン大統領は「極東の外国人人口はまだ危険水域に達していない」としているが、中国人は極東の行政府幹部を買収し、ビザ取得や土地のレンタルを進めている。現状では、極東は中国経済に飲み込まれつつある。
そして、その先には極東は本当にロシアの領土なのかという疑問が生じるかもしれない。極東の歴史を振り返ると、ロシアの領土保有の正当性は疑わしい。沿海地方など150万平方キロの土地は、アイグン条約(1858年)、北京条約(1860年)などの不平等条約によって、帝政ロシアが弱体化した清国から奪い取ったもので、帝国主義的領土編入といわれても仕方がない。
中国のネット上では、ロシアに領土要求する愛国主義的論調があふれるが、歴史教科書にその記述が載ったことは、中国がロシアに対して、壮大な失地回復闘争に着手したといえる。
ウラジオストクでの感染状況
中国がロシア国境からの新型コロナウイルス流入に見舞われている。最近2日間の流入感染例の半分以上がロシアからだった。
ロシアと国境を接する黒竜江省は今月、60件の流入感染例を報告。1件を除き全て、モスクワから空路でウラジオストク入りした後、陸路で帰国した中国人だった。ロシアでは新型コロナ感染例が6300件確認されているが、その半数余りがモスクワでの感染。
強権的な封鎖措置で国内の感染を落ち着かせた中国だが、今は国外からの流入で感染拡大が再び勢いを増す可能性が大きな脅威となっている。
無関係ではない日本
新潟で中国総領事館による土地買収
以下コロナとは別の中国土地買収問題の話
新潟市に中国総領事館が開設されたのは2010年6月、当初はコンベンションホールの朱鷺(とき)メッセに併設された万代島(ばんだいじま)ビルの20階に事務所を構えていた。韓国とロシアの総領事館もここに入居している。しかし、そのわずか2カ月後に中国は、新潟駅からわずか500メートルの中心街に位置する約5000坪に及ぶ旧万代小学校跡地の買収を新潟市に打診し、篠田昭新潟市長は売却に向けて住民説明会を開催するなど前向きの対応を行った。
当初は住民からの反応は鈍かったものの、9月に沖縄県尖閣諸島沖中国漁船衝突事件が起きたことなどから反対運動が活発化し、新潟市議会が土地の売却方針を見直す請願を採択したことによって、11年3月、新潟市長は売却を事実上断念した。
このように土地売却問題は、いったんは棚上げになった感もあったが、その後、新潟県庁近くの5000坪の民有地が中国側に売却されてしまったことが明らかになった。
信じられない外務省の対応
名古屋では河村たかし市長や大村秀章愛知県知事らが政府に対して慎重な対応を求めているが、新潟市長だけでなく、新潟県知事も土地売却に前向きだったと報じられている。泉田裕彦新潟県知事は中国総領事が提案した中心街への中華街構想に賛意を示すなど、中国寄りの姿勢が目立つ。知事が経済産業省時代に出向していた岐阜県では、伊藤忠商事との連携に奔走していた。当時の伊藤忠会長が、尖閣諸島土地購入などで中国べったりの発言をしたことで批判を浴びた丹羽宇一郎中国大使だったというのは、単なる偶然なのだろうか。
12年2月には衆議院予算委員会で外務省の信じられない対応が明らかとなった。名古屋や新潟の総領事館の土地取得で便宜を図れば、日本側の不手際で止まっている北京の日本大使館に関する建築確認について配慮する、と中国側が求めてきたのに対して、配慮してほしい旨の口上書を外務省が渡してしまったというのである。
玄葉光一郎外務大臣は、大使館と土地取得はバーターではないと発言したが、このことは相手国の自国に対する待遇と同様の待遇を相手国に付与するという、外交相互主義の観点からしても問題だ。中国では外国政府にも企業にも、そして個人にも土地の売却は許されていない。中国にある日本の大使館や領事館の土地はすべて賃貸借である。中国との間では相互主義にはなっていないのである。
法律はどうなっているのか
そもそも、総領事館など在外公館の敷地内は日本の法律が及ばない治外法権の世界だ。5000坪の土地が買われたということは、それだけ中国の領土が日本に誕生したことにほかならない。それがしかも日本海側で信濃川沿いの土地ということになれば、さまざまな憶測が生まれるのも無理からぬことだ。20人足らずの職員しかいない総領事館に、これだけ広大な土地がなぜ必要なのかという疑問も残る。警備という面でも中国総領事館の土地取得は日本側に大きな負担を強いることになる。
それでは、法律はどうなっているだろうか。外国政府の不動産に関する権利の取得に関する政令によって、外国政府の不動産取引を制限することは可能となっているが、中国をはじめ、ほとんどの外国政府は告示によって対象外とされ、実質的には北朝鮮のみが対象とされている。
一方、長崎県対馬などでの韓国資本の土地買い占めなどをきっかけとしてクローズアップされたのが、外国人土地法だった。この法律は1925年に制定されたもので、第1条で日本人や日本企業に対して土地に関する権利を禁止したり制限したりしている国に対して、同様の規制をすることができる旨規定していて、現在も効力を有している。政令を制定すれば、中国に対して土地取得の規制を行うことは可能なのだが、残念ながら活用されていないのだ。
なお、アメリカでは、外交使節団法が相互主義を原則としているため、中国政府による土地所有は認められていない。
外国資本による土地取得に規制を
土地問題は、中国政府によるものだけではない。全国各地の水源地や米軍や自衛隊の基地周辺、国境が間近な離島の土地などで、外国資本による土地の買い占めが顕在化している
中国が新潟、北海道の土地を買いあさる意味と尖閣諸島の固執
地図を見れば一目瞭然ですね
侵略戦をする時まずこのようなルートで侵入してくるでしょう
新潟を押さえて東京侵略ですね