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ゲーム会社の歴史7 バンダイ編 ドラゴンボールのゲームが出せる幸運と、平凡でも続けていれば溜まるもの


第7回はバンダイ編です

一応ゲーム会社紹介の順番は意味があって、前回のコナミに似た部分があるのと、前回触れた「売れる事とゲームの質は必ずしも比例しない」例で選ばせてもらいました。

大手の紹介よりも、マニアックで隠れた名作を紹介する方が書き手としては楽しいですから。

へぇーとかおお!ってなるような工夫もそういった中小会社の方が生みやすい環境だと思います。故に今後は中小ゲーム会社の紹介が増えてくると思います。


ちなみに私事になりますが、幼少期は兄がドラゴンボールのゲームを買い、私は「あるからそれをやる」という方式でした。

下の子までゲームを買う予算はおりません

だから、欲しいゲームを買うようになるのは大分後ですね。

当時は面白くとも面白くなくとも、家にあるゲームをやりました

では本編





バンダイ誕生から


1950年代

創業者、山科直治の義兄久々津一夫が経営する繊維会社「萬代産業」の玩具製造子会社「萬代屋」として浅草にて創業。

当初は萬代産業の余りの布切れで作った人形を販売。その後、1950年初の自社製品の

ゴムまり「リズムボール」

発売、「B26ナイトプレイン」が50万個以上のヒットになり、これ以降、金属玩具を主力とするようになる。輸出が中心で国内には輸出の余りを販売しており、玩具業界では評判が悪かったが国内向けの玩具開発をてがけるようになる。創業〜1960年代当時は、教育のバンダイと言われた。


1960年代

玩具メーカーとしては後発であり旧来の玩具業界から反発が強かった。そこで同じく後発のタカラとエポック社と組んで1961年に「玩具三社会」を設立。三社共同の玩具見本市を開催したり、新入社員の研修を合同で行うようになる。後にトミーとニチガンと学習研究社が加わり「玩具六社会」になる。

1960年代半ばより「クレイジーフォーム」「わんぱくフリッパー」「サンダーバード」などのヒットにより大手に成長する。


1970年代

1960年代の版権違反問題で大失敗し版権協会から追放され、業績が落ち込んでいたところ、東映の渡邊亮徳が『仮面ライダー』を作る際にバンダイの救済も兼ねる形で、バンダイに子会社を設立させた。1971年発足のポピーである。以後ポピーがキャラクター玩具を担う形となり、東映と関係を深めて行きキャラクタービジネスを主軸としたマーチャンダイジングを推進していった。1970年代にポピーは急成長し、売上でバンダイ本社を抜くようになり、ポピー社員はバンダイ社員の羨望をうけることになる。ポピーがバンダイ本社に合併されるまではバンダイ本社はほとんどキャラクター玩具を扱っていなかったため、現在のバンダイのキャラクター玩具はポピーが基盤となっている


※ ここでの版権の失敗は、今後

版権ゲーム

での大成功のために重要な失敗だと個人的に思います

※ また、東映の手助けを受けたことは幸運でした。今後もロングセラーとなる仮面ライダー、ウルトラシリーズ製品に関わります。宇宙戦艦ヤマト、ガンプラなど大ヒット商品を出していくのもこの頃です。


1980年代

1980年に山科直治は35歳の長男・山科誠に社長職を譲り会長職に退いた。この時期、バンダイグループは

玩具業界一

に成長しており、山科直治は「勝負はついた」という趣旨の発言をしている。

社長交代後、文房具、アパレル、菓子、映像、音楽、パソコン、アミューズメントなど事業の多角化に進むことになる。

1980年代の玩具業界は成長が頭打ちになり、少子化の為限られたパイを巡って競争が激化、玩具メーカーの倒産も相次ぎ、前述の「玩具六社会」は1984年に解散した。その中でゲーム会社は急成長し任天堂やセガはバンダイの売上を追い抜いた。

この時期生産拠点を中国に移す

円高の影響がない中国で製造しようということである。これ以降、バンダイは海外生産の比率を上げていくことになり、現在では9割が海外生産である。

1989年の第39回創立記念式典で山科誠は

「バンダイランド」

の構想を語った。またか^^;



1986年11月27日

ドラゴンボール 神龍の謎

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ファミコンで発売 記念すべきドラゴンボールシリーズ1作目

120万本出荷

※これはひどかったですね。簡単に言えばksゲーです

まず難易度が高過ぎる

敵が落とす回復アイテム頼み運ゲーになる

そしてゲーム終盤は原作無視の異星人が出る

BGMはすぐループする。単調なグラと内容

とはいえ昔はこういうゲームが多かったです。初期のゴエモンもそんな感じ









1992年8月7日

烈戦人造人間

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※いきなり時代飛ばし過ぎて申し訳ない。時間あれば加筆します。


フリーザ戦闘〜人造人間と戦うまでを描いたRPG作品です

ファミコン後期作品だけ合ってファミコン最高画質

前作から戦闘がスピーディーになり、BGMも良い

いいとこ尽くめですが1つだけ欠点が

ボリュームが非常に足りない


烈戦人造人間と銘打たれた本作だが、ストーリーはクウラ軍とのドラゴンボール争奪戦がメインとなっており、ほぼゲームオリジナルの展開である。

最初の2章はクウラ軍先発隊との戦いで、その次に原作にもあるメカフリーザの襲来が起こるのだが、これはオートイベントですぐに終わるため「章」にすらなっていない。
その後クウラ軍本隊との戦いが続き、そして最終章でようやく人造人間との対決となるのだが…
最終マップでは人造人間はKIが無いから感知できないという原作を再現しているためにイベントも碌にないかつ無駄に広いマップを延々と彷徨いて人造人間を探すだけの作業感丸だしのマップとなっている。
そして発見した人造人間19号を倒す。すると20号(ドクターゲロ)はイベントで自動的に17号に殺害される。
次に16・17・18号と戦闘になるが、勝っても負けてもメッセージが少し変わるだけで、彼らには逃げられてしまう。
そしてピッコロが神と融合し、セル(第1形態)と戦うが、こちらも数ターンで自動的に逃げられる。その直後セル(第2形態)のイラストともに「果たして彼らはセルを倒せるだろうか!? おわり」と表示され、スタッフロールも何もなく突然ゲームは終わってしまう。



当時3時間でクリアしてしまいました

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1万円以上で兄が買ってきました なぜ・・・








1993年

ドラゴンボールZ 超武闘伝 

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格闘ゲーム スーパーファミコン 145万本出荷


これはバンダイのゲームにしては画期的でしたね

格闘ゲームブームに乗ってこれまでのRPG路線から格闘ゲーム路線になったわけですが、ただのスト2のパクリではなく

気を使っての戦いを別のモードに切り替えてかめはめ波の再現

受ける側はこの時コマンド入力で跳ね返したり消したりできる

この入力が絶妙な難易度で白熱する

そして使用キャラクターの多さ

格闘ゲーム1作目にして一番質がいいのではと思います


なお兄は買ってません。ksゲーだけいつも買います







1993年

ドラゴンボールZ 超武闘伝2

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1から9か月後の発売

原作がセル編までしか進んでいない為、ブウは出ませんしなんなら1と比べキャラは増えていない所か減っています

隠しキャラ含めて総勢10人

と、かなり舐め切った人数となっております

前作好評だった気での戦闘のリアクション行動が

減っています

ストーリーモードもすぐ終わります

少ない容量を補うため、映画編のボージャックとザンギャ、あとブロリーが追加されています

敵キャラはセル、セルジュニア足して5人ですね

本質の格闘要素ですが、格ゲーにあってはならない致命的なハメ攻撃が存在します

兄が買ってきました。なぜ・・

かなりプレイして自分の中で出た感想ですが、出せば売れると思って作ってますねこれ。まあ売れました。しかし明らかに練り込み不足の戦闘やボリューム不足。それでいいのでしょうか?





2005年9月

ナムコと合併

バンダイナムコエンターテインメントとなる






まとめ

バンダイの歴史の簡単な要約とドラゴンボールゲームを中心にまとめてみました。かなり割愛しての紹介で申し訳ない。

キャラゲーにクソゲー多し

はゲーマーの間で有名です

なぜかというと、出せば売れる事にかまけて、ゲームの内容や、工夫、アイデアをおろそかにして短い開発期間で出す作品があるからです(前回記載の遊戯王など)

そんな中で2020年発売の

ドラゴンボールZ カカロット

は良い出来でした

外注の名作ナルティメットヒーロー制作陣

サイバーコネクトツー

がほとんど作っている事もありますが、アニメさながらの再現度でプレイヤーの要求に答えています

(余談 サイバーコネクトツー社長、松山洋氏は「バンダイでクソゲー作ってる奴らぶっ●ろしてえ」と言っています)

やはり例外を除いでバンダイゲーム制作陣は広いゲーム業界で言えば平凡というのが個人評です。

それでも長年ゲームを出してきた事で、多くの失敗を経験出来ました。

それが財産となり、確実に成長の跡があるのも確かです。

平凡でも続けることでものになっていく好例ではないでしょうか。

そして生き残るには運も必要です。

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