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ゲーム会社の歴史6 KONAMI編 他のゲームメーカーとは一線を画す絶対潰れない強みとは?

今回はKONAMI編

個人的に「クイズマジックアカデミー」にハマり、ゲーセンにはまった時期があります。2年ゲーセンにいりびたりました。

そこで随分と「コナミ検定」をやらされたせいでコナミに詳しくなったものです

蛇足ですがスポーツ特化型の紅玉賢者で芸能が弱く、グラフは芸能の低さが見えないように予習で上げて隠していました




1969年3月21日

大阪府豊中市で創業

1973年3月19日

法人化。ジュークボックスのレンタルと修理業を経てアーケードゲーム事業に参入。

アーケードゲームのほかにMSX、ファミリーコンピュータ、プレイステーションなどのパソコン・家庭用テレビゲーム機でジャンルを問わない多くの人気ゲーム作品を発表し、現在では関連子会社を通じてテレビゲームに留まらず、ソーシャルゲーム進出やカードゲームなどの玩具の製作・発売、スポーツクラブの運営も手掛けるなど、多角的に事業を展開している。1980年代、アーケードゲームから家庭用コンピューターゲームへ参入した老舗ゲームメーカーの中で、現在も独立を保っている数少ない存在である。

ここでゲーム分野と同時に設立された

コナミスポーツ株式会社

はゲーム分野でも重要な存在だ

他方の分野で成功する事でゲーム分野への資金調達が安定した

この資金調達に苦労して潰れたゲーム会社は多々ある

任天堂にも言える事だが、安定した資金力が開発期間と開発費に注げるので安定した作品を生み安定した売り上げを確保できる。

これはゲーム業界で生き残る確実な方法で重要な事ですね。

なお1984年10月大阪証券取引所新2部に上場

1988年8月, 東京証券取引所及び大阪証券取引所市場第一部に上場


あのコンパイルでも上場できなかったことを考えると、ここも他のゲームメーカーとは一線を画す重要な部分



1985年4月

ファミリーコンピュータ用ゲームソフト事業に参入。

ジャレコ編でも書きましたが

ハドソン、ナムコ、タイトー、コナミ、カプコン、ジャレコは

ファミリーコンピュータの初期サードパーティー6社の一角で、任天堂はこれら6社を優遇していた。

Jリーグで言えば初年度から参加している10チームのようなもの

この6社は潰れるはずが無いのですが あれ?


とりあえずコナミは初期から企業体力のあるメーカーと言えます



1985年3月5日

ツインビーがアーケードで稼働

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後にファミコンに移植しヒット  コナミと言えば

シューティング

のイメージですね。そして

BGM・音楽部門で非常に評価が高い。

音楽というのはどのゲームジャンルでも重要なので現代まで各ジャンルで生かされています

縦スクロールとベルによる強化、そして1回目のミスでは残機が減らないというユーザーフレンドリーな設計、当時真っ黒なシューティングが多い中で明るい絵とコミカルなアイテム(果物等)が老若男女に受け入れられる。




1985年5月

グラディウスがアーケードゲームで稼働

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こちらはツインビーと違い硬派なゲーマー用の横スクロールシューティング

多彩なアイテムと技術介入要素はゲーム性が高い

コナミコマンドの初出はファミリーコンピュータ版『グラディウス』(1986年)



1986年

Mr.五右衛門がアーケードで稼働

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後のがんばれゴエモンシリーズの初出

非常にロングヒット作で派生も多い

メインターゲットは子供やライト層ゲーマーだが、初期はファミコン特有のコンテニュー無し制度で非常に難易度が高かった。






1986年2月21日

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『グーニーズ』はファミコン専用ソフトのサイドビューアクションゲーム。

1985年公開・当時大ヒットした名作ハリウッド冒険映画「グーニーズ」を原作にしたアクションゲーム。
映画の内容は伝説の海賊「片目のウィリー」が残した宝の地図を発見した少年チーム「グーニーズ」が、ギャングに追われながら宝探しするというもの。

映画のタイトルがかっこいい

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主人公はマイキー パチンコ玉で戦う

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1986年9月26日

『悪魔城ドラキュラ』は、ファミリーコンピュータ ディスクシステム用ソフトのアクションゲーム。ヴァンパイアハンターの主人公が吸血鬼ドラキュラを討伐するため、数々の怪物が巣食う悪魔城内を様々な仕掛けをかいくぐりながら進んでいくホラーアクション。コナミのディスクシステム参入第1弾のソフトとして発売された。

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1986年12月18日

『キングコング2 怒りのメガトンパンチ』はファミリーコンピュータ用アクションゲームである。

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任天堂のドンキーコングシリーズとは無関係

そういえば

版権利用ゲーム

はコナミの得意とするところ

あと1作目ですが映画が2なので2なんですね。まぎらわしい

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1987年7月13日

メタルギア発売

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後に大ヒットシリーズに

上のドンキーの画像に似てる





1987年7月7日

月風魔伝 ファミリーコンピュータ用アクションRPGゲーム

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音楽は『悪魔城ドラキュラ』(1986年)を手掛けた前沢秀憲が担当している。ゲーム内容は主人公の風魔を操作し、奪われた波動剣を取り戻すため、殺された兄達の仇を討つため魔王・龍骨鬼を倒すことを目的としている。

1986年稼働されたアーケードゲーム『源平討魔伝』が元になっている





1990年3月9日

モアイくん

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パズルアクションパズルゲーム。




1988年1月14日

コナミワイワイワールド

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これまでの人気コナミキャラクターのオールスター的作品

敵が怖くて泣いた

ここまで紹介した

ゴエモン
シモン
マイキー
コング
フウマ
モアイ

グラディウス、ツインビーも登場します







1991年


 PCエンジン用ゲームソフト事業に参入。




1998年12月16日

遊☆戯☆王デュエルモンスターズがゲームボーイで発売される

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ポケモンからの携帯ゲームブームに乗り大ヒット

ポケモン赤青緑同様

バージョン商法


で販売数を伸ばす

売れ行きはすさまじく

遊☆戯☆王デュエルモンスターズ (1998年)は

 ゲームボーイで 152万本

遊☆戯☆王デュエルモンスターズ4 最強決闘者戦記(2000年)は

ゲームボーイカラーで221万本


コナミ作品の中ではトップセールスとなっております



筆者は大会に出ましたが汚い大人にルール違反(デッキに攻撃力2000以上1枚というルール破り)により敗退しました。(子供だったので不正された時の対応が分からなかった)


なお、デュエルモンスターズ4がコナミで最も売れたゲームなのは間違いないが、wikiでの評価はすこぶる悪い


売れる=面白さではない事が分かる










1998年9月3日

メタルギアソリッド発売 PS

ここからコナミも3Dゲームの時代へ

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(よく考えると3D化への対応はどの企業も苦労していますね

ここを乗り越えられなくて潰れた会社も多々あります

スクウェアでさえ当初荒いポリゴン作品などを出しながら、トライ&エラーで技術力を高めFF10では美麗なムービーを作れるようになった

生き残った企業の努力を見ると、3Dが苦手だから潰れたは甘えのようにも見える)



2003年7月24日

クイズマジックアカデミーがアーケードゲームで登場

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ここでやっと記事冒頭の文回収

コナミはゲーセン(アミューズメント事業)でも成功しています





2018年

Mリーグ(麻雀リーグ戦)に参戦

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各種新規チーム(野球チーム保有みたいなの)に出資できるのは、多方面での成功と企業体力の裏付けとも言えます。






まとめ

非常に散らかった記事になりましたが、タイトルのコナミの強みは

スポーツジム事業とアミューズメント事業とゲーム事業の3本柱による安定基盤

(例えばどれかの部門が不調になっても他の2分野から資金提供で手助けできる)


追記 現在では

デジタルエンタテインメント事業(家庭用ゲーム、モバイルゲーム、カードゲーム)
アミューズメント事業(アーケードゲーム・パチンコ・パチスロ)
健康サービス事業
カジノ事業 米国・豪州法人を軸にして海外で展開

を柱としている


株式上場、資金力を背景にした版権作品の強み

ゲーム作りに関してではなく(例えばシナリオがいい悪いとかグラフィックがいい悪いの次元ではなく)、そういったゲーム内容外の部分での強さが現代まで生き残った原動力だと個人的に思いました。

ここまで記事を書いてきた3社の潰れた企業(ジャレコ、コンパイル、SNK)を見ると、特化型であるように見えます。

そこから特化した分野がブームなどに乗り急成長した時、急速に多角化しようと試み、資金繰りが悪くなり倒産する。このパターンが多いです。

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