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パラサイトな私の日常 第14話:レモンキャンディー

 「侑、キッチン借りるね!」
 
 コンビニエンスストアからの帰り道、悠はスーパーマーケットで食材を買い込んでから帰宅した。これまで料理はもちろん、家事全般を母に任せきりだった悠。家庭科の調理実習以外、料理など作った経験がない。先日のカップケーキは混ぜて焼くだけの簡単なレシピだったが、食事となるとそうもいかない。インターネットを駆使して、挑むことにする。
 
 『昼食は、昨日加奈が届けてくれたものを頂くとして……。私は今日の夕飯づくりだな!』

 メニューは、授業で作ったことがあるハンバーグと味噌汁だ。調理手順の動画を一度目はとおしで見て、二度目以降は要所要所で止めながら同時進行で進めていく。まずは玉ねぎのみじん切り。切っていると涙が出てくる。涙と連動して先ほどの陽介の顔が浮かび、頭を横に振る。

 料理に集中する。他に気を取られている場合ではない。今は無理にでも気持ちを上げ、取り組む必要があった。気を抜くと『迷い』が出てきそうだった。大丈夫。出来る。

 料理に集中する。だが、何せ手際てぎわが悪い。野菜を一つ切るにも、調味料を一つ加えるにも、混ぜ合わせるにも……。
 先にボウルを出ていない、手が汚れていてさわれない、置く場所がない、切り方がまばら、多すぎる少なすぎる……。

 動画通りにやっているのにうまくいかない。一人でワーだのキャーだの言いながら失敗ばかりで前に進まない。また涙が出そうになる。スマートに出来ない自分に嫌気がさす。

 そこに、のっそりと侑が現れる。気配けはいを感じられず、急に横に現れて「キャッ」と小さな悲鳴ひめいをあげる悠。
 
「あ、侑。ごめん、うるさかったよね。もう、自分が不器用すぎて嫌になるよ。夕方までには作れると思うから待っててね」

 何も反応はないけれど、どうやら悠の手伝いをしようとしているらしかった。悠は素直に侑の気持ちが嬉しく、にっこり微笑み「じゃぁ、これ押さえててくれる?」と無理はさせないように気遣いながら調理の助手をゆだねた。
 もっとも、侑の方が調理の能力は長けていたのだが……。

 出来上がった夕飯はそれなり見えたが、ハンバーグはモソモソするし、味噌汁は何かが足りないし、お世辞にも美味しいとはいえなかった。母の日頃の料理の数々に今日ほど敬意を示したいと思ったことはなかった。

 でも、侑は心なしかいつもよりも食べた気がした。悠への気遣いがそうさせたのかもしれない。それでも良かった。
 生きることは食べること。食べることは生きること。侑が生きることを放棄していないことがわかって嬉しかった。

 悠は月曜日と火曜日の2日間、有給休暇を取った。母親に友だちが精神を病んでいて泊まり込みで世話をしていること、会社を二日休むことなどを連絡した。これまで一度も友だちの家に外泊なんてしたことのない悠を『何かトラブルに巻き込まれたのではないか』と至極しごく心配していたが「私は大丈夫だから」と真剣な思いを伝えるとわかってくれた。

 金曜日の夜に来てから三日が過ぎた。家事の経験がない悠はインターネットで調べてはあらゆる家事をこなし、おままごとのような生活をしながら侑に寄り添った。

 侑は相変わらず無表情で何も話さなかったけれど、悠が作った下手な料理も少しずつ食べるようになっていたし、入浴をうながすとお風呂に入り、二階にある侑の部屋のベッドを整えて促すと布団で寝るようになった。でも食事と入浴と睡眠以外、侑はずっと昭恵の部屋でうずくまっていた。悠はできるだけ侑の隣に居るようにした。
 
 月曜日の夜、昭恵の部屋で相変わらず二人は並んで座り、悠は横で小説を読んでいた。突然、侑が口を開いた。
 
「ゆ・悠ねぇ……。お・俺って疫病神やくびょうがみなのかな……。お・俺がみ・みんなを不幸にしてる。お・俺が何かをほっすると、た・大切な人を失うんだ……。あ・あの日、ガオレンジャーの……ベルトを、ほ・欲しいだなんて言わなきゃ良かったんだ。

あ・あの日も悠ねぇに会いたい……なんて、……ゆ・悠ねぇに自分の気持ち伝えようなんて……お・俺が望んでしまったから、ば・ばあちゃんは、し・死んだんだ。こ・今度は悠ねぇだ……お・俺はもう、た・大切な人を、う・失いたくない。こ・怖いんだ」

 侑は、どういうわけか昔の吃音きつおんが出ていた。苦しそうに自分を責める言葉を吐き出す侑。5歳児の侑が重なって見えた。
 
『あぁ、この子はずっとそんな十字架じゅうじかを背負って生きてきたのか。自分のせいで母や祖母が亡くなったと思っている……。だから、これまで自分の感情を押し殺し、何も欲さず、何も感じていない生き方を選んできたのか……

 横に居る侑を座ったまま強く抱きしめる。
 
「バカだね侑は! そんなわけないじゃない! あなたのせいじゃない。あなたのせいで死んだわけじゃない。そんなこと言ったら二人は悲しむよ? お母さんもおばあちゃんも侑のことが大切で、自分の命に代えてでも守りたい存在だったんだよ? 侑の幸せを一番に考えてたんだよ? 大事に育てられたと感じているでしょう? 侑は、幸せにならなきゃいけないんだよ! 幸せを望んで、幸せを求めていいんだよ! それに私は死なないから! 勝手に殺さないでよ!」

 悠は侑に向けて言葉を発しながら、自分自身にも響く思いがして涙が溢れた。わずらわしいと思っていた母が急に愛おしく感じた。

「侑ほら、これ覚えてる?」

 悠は後飾りに供えてあった、赤い蓋つきの大きなプラスチックのポット容器を持ってきて侑に見せた。中にはぎっしりとレモンキャンディーが入っていた。
 
 「今日ね、たまたま見つけたんだ。昔、侑が食べてたレモンキャンディーじゃない?」

 侑はそれを受け取りながら、東京から越してきたばかりの頃、昭恵がいつも笑顔でレモンキャンディーを渡してくれていたことを回想する。
 
 『侑、これはね魔法のキャンディーなのよ。
  辛い時や悲しい時、食べてごらん。
  元気がいて楽しい気持ちになるよ。
  ふふふっ——』

 侑は、レモンキャンディーを口に入れた。懐かしい味がした。昭恵の優しい笑顔が鮮やかに蘇った。涙がとめどなく溢れてきた。声に出して泣いた。昭恵が亡くなってから初めて出た涙だった。

 悠は思う存分、侑を泣かせてあげた。ずっと抱きしめていた。どのくらい時が経ったのだろう。涙が枯れるまで二人で泣いた。悠は、着ているスウェットの袖口で侑の涙を拭いてやった。
 
 侑と悠が見つめあう。二人は初めてキスをした。震える唇でそっと触れるように——。

 初めてのキスは噂通りレモン味……レモンキャンディーの味がした。
 
 ぎこちないキス。涙でぐちゃぐちゃの顔の二人。急に我に返り、恥ずかしくて顔をそらす悠。そんな悠の顔を優しく包み、侑は再びキスをした。

「悠ねぇ、ありがとう。俺、もう大丈夫だから」

「うん」

ホットティーを入れて、二人で布団にくるまり窓から見える月を眺める。

「明日、高校に行ってくるよ。卒業式も出てなくて一度荷物を取りに来るように言われてるんだ。卒業証書ももらってないし」

「そう。じゃぁ私も明日まで休みをもらってるけれど、一旦、自宅に帰るね」

「うん。悠ねぇ……俺、予定通り4月から東京に行く。第一志望の大学に合格したんだ」

「そう……。おめでとう」

悠は寂しい気持ちを表には出さず、お祝いの言葉を述べた。

「あのさ……俺が東京行くまでの2週間、悠ねぇここで暮らさない? ここから会社に通えるよね? 俺一緒に居たい」

「え? うん……そうだね。わかった! そうする。私も一緒に居たい」

 ***

 翌日、侑は朝一番に加奈にお礼を言いに行き、これまでの並々ならぬ非礼を詫びた。加奈は元気になった侑を見て泣いて喜んだ。そして加奈の気持ちに気付きながらもズルズルと甘えていたこと、加奈のことは家族のように大事に思っているが、パートナーとして悠が好きであることを誠心誠意伝えた。加奈は泣きながらも侑の気持ちを受け入れた。
 
 悠は自宅に帰り、母にこれまでの経緯を説明した。そして3月いっぱい、侑の家で暮らすことの許可を求めた。初めは、相手が高校生であることに反対したが、何度も何度も説得した。
 27歳の等身大の自分を示すべき時が来たのだ。これまで親に甘えきりだったこと、家事をしてみていかに大変かが分かったこと、これからは心を入れ替えて家事もして自立した生活することなど、一つ一つ自分の思いのたけを述べた。最後には悠の本気が伝わり認めてくれた。母にとっても子離れをする試練の時だった。

 そして有給休暇明け、陽介に昼休みに時間を作ってもらい、侑と正式に付き合うことになったことを報告した。改めて傷つけることを言うべきなのか迷ったが、陽介にはきちんと話さなければいけない気がした。それは、どんな時も陽介が自分と向き合ってくれたからだ。

 悠は話しながら、何度も泣きそうになったが、泣くのを我慢した。泣きたいのは陽介の方だ。自分が泣くのはズルいといましめた。
 陽介が自分に自信をくれたこと、陽介と過ごしたかけがえのない時間を心から感謝し、その気持ちを伝えた。

 優しい人は何も言わない。相手の我儘をすべて受け入れる。でも『あの人は優しい、何でも聞いてくれる』は間違いだ。優しい人は自分の心に傷を負いつつも、それを隠し受け入れているだけだ。そのことに気付かずに『優しい』という言葉を使い、周囲は甘えているだけだ。悠は、せめて陽介にいとわれたいと思った。せめてそのせきを負いたい……、せめてその傷を一緒に負いたいと思った。
 
 でも、陽介はそれすらも許してくれなかった。最後に言った言葉はこうだった。
「そっか。悠が幸せならそれでいいよ。お幸せに」

 それが本心なのか、優しさからくる偽り言葉なのか、それとも皮肉なのか、悠にはわからなかった。ただその言葉をありのままに受け入れ生きていこうと思った。


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