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旅をすること。本を読むこと。

『グッド・フライト、グッド・シティ パイロットと巡る魅惑の都市』
(マーク・ヴァンホーナッカー 著 関根光宏 三浦生紗子 訳 早川書房)という本を読んでいて、ふと思った。

旅をすることと、本を読むことは、よく似ている。

『グッド・フライト、グッド・シティ』は、現役パイロットでもある著者が、フライトで立ち寄った都市を思い出と共に綴ったエッセイである。

そう書くと、旅行記のように思われるかもしれないが、ちょっと違う。
たしかにその趣もあるのだけれども、重きが置かれているのは、立ち寄った都市たちが呼び覚ましてくれる人生のある瞬間の方なのだ。

こういう経験は、旅をするものなら誰でも一度はあるのではないだろうか。

旅行の計画を立てるとき、私はいつも新しい自分になることを期待する。
いつもとは全然違う雰囲気の服を着て、いつもはしないネイルを塗って、こっそり首元に香水を仕込んでみたりして。
そうやって、いつもの自分を脱ぎ捨てて、誰も知らない土地を歩いてみる。
「私は女優よ」的マインドで、闊歩している・・・つもり。

それなのに、ああ、どうしてだろう。
知らない場所の、知らない景色が、まるっきり忘れていた遠い日の記憶を呼び起こすのだ。

あの雲の色は・・・。
この匂いはいつかの・・・。
この土の柔らかさはあのときの・・・。

私という人間がこれまでに経験してきたこと、見てきた物、感じたことを、初めて歩く土地たちが思い出させるのだ。
すると、目の前にある景色よりも、記憶の中のそちらのほうが鮮明になってしまい、私はいつのまにか過去のことばかり考えてしまっている。
お家に置き去りにしようとしていたはずの「私」の密度が増すのだ。
歩けば歩くほど、私が濃厚になっていくのだ。

本を読むときも、同じだ。
今の退屈な人生を忘れたくて、本を手にする。
できるだけ自分とはかけ離れた物語がいい。
なので私は海外文学を選ぶ。
私にとって、世界の99%は未踏の地である。
(まあ、日本の85%もそうなんだけど)
実際の土地を全く知らないから、ファンタジーの世界を歩くのと何ら変わらない。本の中の言葉をたよりに、組み上げていく想像のまち。
この世のどこにもないそのまちの、風の匂い、光の色、人々の声。
そういったものが、ふいに私の記憶と結びつくのだ。

学校帰りに子猫を拾った日のこと。
一面シロツメクサの原っぱを、全速力でかけっこした春の日。
学校を抜け出して、ひとりお弁当を食べた夏の麦畑。

自分とは別の世界の、別の人の人生を楽しむはずが、すっかり自分の物語になってしまう。

旅にしろ、本にしろ、そうした思いがけない過去との遭遇は、ちょっと気恥ずかしい。
思いっきりプライベートな空間に、突然カメラを向けられたようなバツの悪さがある。
けれど、私はこのサプライズが嫌いではない。むしろ、そのために旅をしたり、本を読んでいるとさえ言えるかもしれない。
自分でも忘れていた記憶との再会は、人生をもう一度「生きなおす」チャンスだからだ。
思い出そうとして思い出したのではないから、まっさらな気持ちで、過去の自分と向き合える。
良いことはもちろん、イヤなことも、もう一度、別の角度、別の時間、別の高度で眺めなおすと、全く別の新しい側面が見えてくるものだ。

唐突に現れる過去で、もっとも頻度が高いのは、学生時代のいじめ体験だ。若かったころは、思い出すだけで呼吸が乱れることもあった。
でも、旅先や読書中に遭遇するたび、私はその体験と折り合いをつけられるようになった。
「あー、もしかしたらアレはこういう意味もあったのかもなあ」
「あのとき逃げないでいられた私って、結構スゴイんじゃないの?」
「一人で見たあの日の夕陽、すっごいキレイだったなあ」
ツライ、だけじゃなかった。あの時にだって、他の感情はあったんだ。

過去は変えられない、と人は言う。
でも、過去の「見方」は変えられる。
そのために旅をしたり、本を読んだりしている。

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最後までお付き合いいただきありがとうございます。 新しい本との出会いのきっかけになれればいいな。