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こんがらがってるから、おもしろい。

人の第一印象は、だいたい3秒から5秒の間で決まってしまうらしい。
では、本の第一印象はどうだろう。
表紙の装丁を除けば、やはり最初の3行から5行の間で決まってしまうものであるような気がする。
実際、文章創作の授業でも一番最初に言われたのが「最初の3行に命をかけろ」であった。私の座右の書のタイトルもズバリ『三行で撃て』(近藤康太郎 著/ CCCメディアハウス)である。
最初の3行で、好きか嫌いかが決まってしまうのだ。

人に対する印象と同じで、本の印象も個人差があるから、一概に「これが正解」というものはない。スラスラと頭に入ってくるような「読みやすい」文章が好きな人もいるだろう。ある人には、心理描写から始まるのが最高かもしれない。句読点を一切使わず、一気呵成に責め立てるようなドS構文がお好みという方もいらっしゃるはずだ。

私はと言えば、こんがらがって、一見何を言っているんだかわからないような錯乱した文章が好き・・・みたいである。
みたいである、と他人事みたいな言い方をしたのは、つい今しがた自分の文章癖(?)に気が付いたからだ。
何の予備知識もなしに、本の呼ぶまま手に取った一冊が、とんでもなく大好きになっている。その傾向を分析してみたところ、どれもこれもが「こんがらがった文章」で始まっていたのである。

気付くきっかけをくれたのが、今回読んだ一冊。
『呼び出し』(ヘルタ・ミューラー著/ 小黒康正 高村俊典 訳/ 三修社)である。
著者は、ルーマニア生まれのドイツ語作家で、2009年にはノーベル文学賞を受賞している。(不勉強で全く存じ上げませんでした)
訳者あとがきによると、氏は散文やコラージュを含む詩作品、エッセイ集などを数多く上梓しているらしい。

『呼び出し』の書き出し部分も、まるで詩である。


 私は呼び出しを受けている。木曜日の十時きっかりに。
 私の呼ばれる回数はだんだんと増す。火曜日の十時きっかりに、土曜日の十時きっかりに、水曜日もしくは月曜日に。まるで数年が一週間のように思えるけど、そうだとすると、晩夏が過ぎてまたしてもすぐに冬になるのって確かに変。
 路面電車のほうへと向う道では、またしても白い実をつけた茂みが生垣中にぶら下がっている。それって下のほうに縫いつけられた貝ボタンのようで、ひょっとすると土の中まで縫いつけられているのかもしれない。あるいは丸いパンのよう。

言葉から描き出される私の脳内世界は、こんがらがってしまった。
いやいやいや、一体なんの話をしているんだ、これは。
主人公はいろいろ大丈夫なのだろうかと、不安を抱くレベルの語りである。

『呼び出し』は、始終この「わからなさ」のまま話が紡がれていく。
突飛な比喩、突然変わる時系列、夢と現実の境界線もはっきりしない。
1ページ読むのに普段の3倍以上の時間と労力がかかったけれども、本を放り出そうとは全く思わなかった。
なぜなら、このぶっ飛んだ感じ、私はよーく知っているからだ。

私の頭の中を正確に文字化することができたなら、まさにこんな感じになるだろう。目の前のコロッケを宇宙人の手のひらに例えてみたり、突然黒歴史を思い出して脳内タイムトラベルしてしまったり、妄想の世界と現実がごっちゃになっているときも少なからずあるし。
頭の中の独白は、理路整然なんてしていない。もちろんそこには文法なんてものもない。

最初は「なんだこれ?」だった文章が、あとからじわじわ「なんか解る」になっていく。
文章がこんがらがっているからこそ可能な読書体験かもしれない。
わからないから、立ち止まってじっくり考える。ゆっくり咀嚼する。
すると、言葉の奥に隠された意味が見えてくる。
読み進めていくうちに、混乱しているように見えた言葉の選び方が、シンデレラの靴のようにピッタリはまっていることが判ってくる。

ああ、この人はこの感情をこういう風に捉えて、言葉に落とし込んでいるのか。
自分とは全く違う思考回路で世界を捉え、言葉を紡ぐ人がいる。
それが解るのが嬉しくて、私は読みながら叫びそうになるくらい興奮してしまった。

人間の考えていることは、たぶん世界中たいして変わらないだろう。
だけど、「感じ方」や「考え方」は決して同じにはならないはずだ。
だからこそ、みんなが同じように感じられるように、考えられるように、「わかりやすく」書かれた文章が求められていることはわかっている。
でも、その人にしかわからない「感じ方」や「考え方」を、私は知りたい。
それは、全く違った視点から世界を捉えるためのヒントになるはずだ。

ちなみに、私の本棚にいる「こんがらがった系」を紹介しておこう。

『アウステルリッツ』 W・G・ゼーバルト
『日々の泡』 ボリス・ヴィアン(最近は『うたかたの日々』のタイトルの方が一般的かも)
リディア・デイヴィスの全作品
『地上で僕らはつかの間きらめく』 オーシャン・ヴオン

どれもこれも曲者だけれども、クセになること間違いなしですぞ。


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最後までお付き合いいただきありがとうございます。 新しい本との出会いのきっかけになれればいいな。