ことわざに答えはいらない。
「転石苔を生ぜず」。
このことわざは、ジキルとハイドのように、二つの異なる顔を持つ。
『世界ことわざ比較辞典』(日本ことわざ文化学会編・時田昌瑞・山口政信監修)によれば、
ひとつは「活発に活動する人ははつらつとしている」という譬え。
もうひとつは「職業などを転々とすると生活が不安定になる」という譬えであるという。
発祥はイギリスで、そちらでは後者の否定的な意味で用いるのに対し、海を渡ったアメリカでは、前者の肯定的な意味で用いられるのが一般的であるという。
さて、日本ではどうかというと。
本家イギリスに則って「否定的」が正しいようだ。
似たような慣用句は世界中にあるが、そのほとんどが否定的らしい。
(肯定的なのはアメリカ、ドイツ、トルコ、ネパールだけだとか!)
私は今、ハトが豆鉄砲を喰らったような顔をしている。
目から鱗、でもある。寝耳に水、もありか?
私にとって「転石苔を生ぜず」は、学生時代からずっと肯定的なものだったのだが。
私には、言葉を見るとなんでも勝手に物語変換してしまう癖がある。
本屋に行けば背表紙が、美術館に行けばタイトルが、レストランに入れば洒落たメニューが、私を別世界に連れて行ってくれる。
これはきっと若い女性の物語だわ、彼女は仕事にあきあきしている。けれども転職に踏み出す勇気はない。結婚したいけど彼氏はその気が全然なくて、これから一体どうしようかと途方に暮れている・・・。
なんて、勝手に物語が始まってしまう。
ことわざだって同じである。
むしろ本や絵の「タイトル」よりも物語を紡ぎやすい。
だって、場面が目に浮かぶように出来ているんだもの。
もとより小さな物語である。
私の思い描く「転石苔を生ぜず」は、こんな話である。
主人公は、10代後半から20代前半のとても若い男性だ。
彼には大きな夢がある。追いかけても追いかけても追いつけないほど、大きくて果てしない夢だ。
人々は彼を嘲る。「無駄な夢をみていやがる」と。
「奴の追いかけているものは、単なる石ころにすぎない」と。
それでも彼は諦めない。懸命に転がる石を掴まんとする。
下草が、壮健なふくらはぎに細かな裂傷をつけるのも気にせず、彼はただ石を追いかけて走る。ひたむきに走る。前だけを見て走る。
「転がる石」とは、簡単には手に入らない物、永遠に追い求めたい物の比喩に違いない。そういう物を追いかけるのは、若者が相応しい。
「苔が生えぬ」のは、古びない、老けないってことだろう。
すなわち
夢を追いかける人は、永遠に若い。
「転石苔を生ぜず」の物語は、これだ。間違いない!
しかし、もし試験で「転石苔を生ぜず」の意味を書きなさい、と問われたら私の夢追い人物語は「不正解です」と一刀両断されるというのだ。
なんだか腑に落ちない。
日本では「否定的」が正解でも、アメリカはじめ、世界にはいくつか「肯定的」が正解な国もあるのである。
日本人すべてが「否定的」派であるとは考えにくい。
私と同じように考えている人だっているはずだ。たぶん。・・・少しは。
「蟷螂が斧」ということわざがある。
これは中国の故事から来ている。『世界ことわざ比較辞典』をひくと
「身のほどをわきまえずに無謀な振る舞いをする譬え」であり、
「カマキリが大きな車輪がついた立派な乗り物である隆車(竜車)に前足を振り上げて挑むことからいう」。
これだって、「勝てないと判っている相手に挑む、勇気ある者」の意味で使っている人だっている。私もそっちの物語に一票を投じたい。
言葉の感じ方は十人十色。ことわざだってしかりである。
無理に一つの意味をあてがうのではなく、「このことわざ、私はこういう風に感じるんだよね」と、互いに語り合えるように出来たら楽しい。
実際、『世界ことわざ比較辞典』を眺めていて、同じことわざでも国によって全然解釈が異なるものがあるということが、何より興味深かった。
その違いを知ることで、それぞれの国民性がなんとなく解るような気がした。
だから、とは言わないけれど、私の「転石苔を生ぜず」は、今までも、これからも「夢追い人」のロマン溢れる物語である。
さて、あなたは? あなたの物語は肯定派ですか? それとも否定派?
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最後までお付き合いいただきありがとうございます。 新しい本との出会いのきっかけになれればいいな。