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無尽蔵な人。

大人になってから、猛烈に友だちになりたいと思った人がいる。

司書になる前、私は地方新聞社で文芸欄のお手伝いをしていた。
お昼ご飯を食べるのは、ほとんど編集局員の「お手伝い」仲間だったのだが、そこに時々まったく知らない局の、名前も知らない記者さんがぷらっと同席することがあったのだ。

私は、彼女が来るのを非常に楽しみにしていた。

コミュ障の私は、毎日顔を合わせている「お手伝い」仲間のみんなとも、上手く話すことができなかった。
おそらく自意識過剰なのだとは思うのだが、場がしらけたり、沈黙が続いたりすると、自分に責任があるように思えて居たたまれない。
なので必死に話題を探す。
けれども、年齢も、家族構成もバラバラな10人の「共通の話題」はなかなか見つからない。
どうしたものか、と卵焼きをつついていると、彼女が静かに末席に現れる。

彼女は、本当にすごいのだ。
席に着くと、しばらくはみんなの世間話を聴くに徹する。
話が一段落して、沈黙の気配が漂いはじめると
「ああ、それってこういうことですよね?」
絶妙なタイミングで、まとめてくれるのである。

どんな話題であっても、かならずそこから新しい視点を掘り出してくれる。
地元出身のロックバンドの話が出たときも、「気候や風土がここと似ているんです」とイギリスの事を詳しく教えてくれた。

彼女と話していると、自分がコミュ障であることが嘘のようだ。
本当の私は会話の達人なのではないかと錯覚してしまう。
私が知っている数少ない話題を、全然知らなかった世界と結び付けてくれるのだ。なので話が途切れることがない。
歴史に美術、文学、哲学、人類学、地理に心理学なんでもござれ。
話題が、無尽蔵に出てくる。

うわあ、いいなあ。
なんて素敵な人なんだろう。
こんな人と友だちになれたらいいなあ。

大人になってから友だちを作るのは、とてつもなく難しい。
特に27を越えたあたりから、その難易度がグンと上がる気がする。
結局、連絡先どころか名前すら聞けずに終わってしまった。

あれから大分経つけれど、今でも彼女と友だちになりたい。
そんなことを思い出したのは、『べつに怒ってない』(武田砂鉄 筑摩書房)を読んで同じ気持ちになったからだ。

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日常のなかにある、どーでもいいようなことを「いや、まてよ、これってこういうことなんじゃないの?」と、考えまくってみるエッセイである。

これが本当に面白い。
笑えるし、考えさせられるし、何よりも「あーわかるわかる、私もそういう事考えちゃうんだよな!」と、noteに書くネタが噴水のように溢れてくる。
私も案外いろいろ考えているじゃないかと、読みながら自分を見直した。(考えているのは武田砂鉄さんであって、おまえじゃないぞ)

ああ、こんな人とお話できたらさぞかし楽しいんだろうなあ。
いいなあ。こんな人と友だちになりたいなあ。

本を閉じ、ベッドに入ってから、しばし悶える。
友だちが欲しかったなら、あなたがその「友だち」のような人になりなさい。
昔読んだ自己啓発本の一節が脳裏をよぎる。

無尽蔵な人になる。
無尽蔵な人に・・・なる??? 今から???
オトナ通り越して来世になってしまうんじゃないだろうか???
あー、そうね、ああ、来世はきっと無尽蔵。
その時のために、今生を精一杯頑張ろうと思う所存。

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