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だまされる愉悦。

スーパーやドラッグストアのお菓子売り場は、私を安らぎで満たしてくれる。
なぜなら、そこに湖池屋がいるから。
のりしおのパッケージを見るだけで、私の心はノスタルジックな気分になる。まるで、半年ぶりの里帰りでようやく抱っこできた猫の匂いを嗅ぐかのよう。おかえり、という声が聞こえるようだ。
思えば私の人生の隣には、いつも湖池屋がいた。
たぶん子供のころから今に至るまでに10000袋は食べている。
私の身体の三分の一は、湖池屋で出来ているといっても過言ではないかもしれない。

もちろん、私は「ポテチは絶対湖池屋派」である。
いや、ポテチだけではない。
ドンタコスも、おこめ心地も、ポリンキーも、スコーンも好きである。
カロリーがゼロならば毎日食べたい。三食食べたい。
湖池屋のロゴも好きである。
カタカナで「コイケヤ」と表記されているときのフォントも好きである。
なんだかわからないが、むちゃくちゃ好きである。
私の推しは湖池屋です! と大声で叫びたいくらい好きである。

しかし。なぜ私はこんなにも湖池屋が好きなのだろう。

『「欲しい!」はこうしてつくられる  脳科学者とマーケターが教える「買い物」の心理』 (マット・ジョンソン プリンス・ギューマン著 
花塚 恵 訳 白揚社)に、その答えが書かれていた。

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『「欲しい!」はこうしてつくられる』は、企業やブランドが駆使している消費者を虜にするための手練手管を、脳科学者とマーケターの二人が種明かししてくれる。
「あなたの欲しいと思う気持ち、実はメーカーによって仕組まれているんですよ。気を付けて買い物しましょうね」という忠告に溢れた本である。

それによると、私が湖池屋を好きな理由は以下の3点にあるようである。

1・ふれる機会が多いほど、人はその物をどんどん好きになる。
(「単純接触効果」という)


たしかに子どもの頃から、私の家にはいつも湖池屋があった。母も祖母も湖池屋のお菓子が好きだったからである。私がぐずりだすと必ず、のりしおかポリンキーを食べさせていた。

2・ブランドイメージのすりこみ。
コカ・コーラが最もわかりやすい例。コカ・コーラ=ハピネスというイメージを何十年も揺るぐことなく消費者に植え付けてきた。消費者はコカ・コーラのロゴを見ただけで無意識にハッピーな気持ちを想起するようになる。

私が子どもだったころ流れていた湖池屋のCМはどれも面白かった。
ドンタコスったらドンタコス~♪ と歌いながら踊り歩く謎のおじさん。
スコーンスコーン湖池屋スコーン♪ と手拍子を打ちながら社交ダンスの指導をするおじさん。
学校でみんなで真似して遊んだものだ。

3・企業との「つながり」、「共感」を錯覚させる。

ポテトチップスの売り上げは、カルビーの方が勝っているようである。
湖池屋は二番手、という世間のイメージがある。(私には一番だよ!)
でも、なんだろう、だからこそ好きなんだ。応援したい。
いつでもヒットチャートの筆頭にいるグループよりも、地下で頑張ってる子たちを応援したくなる。そんな心理なのかもしれない。


私は、もののみごとにマーケティング戦略に引っかかっている。
それも、私のひっかかった手は初歩中の初歩であるという。
世界には、人間の心理を研究しつくした上で、巧妙かつ気持ちよく消費者に大金を使わせるテクニックがわんさかあるというのだから恐ろしい。

けれども。
恐ろしいと感じると同時に、私は感動を覚えてもいる。
だって、こんなに一生懸命「欲しい!」と思ってもらえるように努力してくれているんだもの。むしろ尊い。ありがたい。

それに、だまされるのは愉悦でもある。
手品だってそうだ。種がわかったからといって、つまらなくなるわけではない。種がわかった上でだまされる。その時は、手品師の技を愉しむのだ。

私はこれからもだまされ続けたい。
生涯、湖池屋の手のひらの上で転がされたい。
だって、そうしている間はお菓子売り場に行くだけで幸せな気分になれるのだもの。素直にだまされた方が、人生が豊かになるってものではないか。




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