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人生の輝きはひとつじゃない。

学生時代の話を、人にするのが怖い。
私のいわゆる「青春時代」は、からっぽだからだ。
恋をしたこともなければ、友達と遊びに行ったこともなく、学校行事はいつも影に隠れて存在を消していた。
「きっとこの先の人生も、からっぽなんだろうなあ」
教室の隅っこで現国の教科書を読みながら、いつも思っていた。

私の人生には、何もない。
そう思っていたのに、『夏のヴィラ』(ペク・スリン著 書肆侃侃房)を読んでいるうちに、短くもなく長くもない私の人生には、いろんな輝きがあったことに気付かされた。

『夏のヴィラ』には、表題作のほか7編の短編が収められている。
そのどれもが、現在から過去のある一場面を振り返るスタイルで語られる。
主人公たちの胸を刺す、忘れられない一日。
何度も何度も思い出し反芻することで、ぼんやりとだったり、はっきりだったり、とにもかくにもそこに「意味」が見えてくる。
ああ、あの日が忘れられないのは、こういうことだったのか、と。

私にも、何度も何度も思い出してしまう景色がある。
夏の日盛りの麦畑、冬の夕暮れに見た影絵のような樹、遊ぶのに夢中で日が暮れたことに気付かず、友人と別れた瞬間、まるで世界中から灯が消えたかのように感じたこと・・・。
なんでもないこと。つまらないこと。
だから誰にも言わなかった。
小説を書いてみたいと大学で創作の授業を取ったときも、テーマになるなんて思いもしなかった。
なのに、中年になった今でもその景色を思い出すのを止められない。

と、いうか、中年になったからこそなのだと思う。
『夏のヴィラ』に出てくる主人公たちも、みな中年だ。
思い出の日から大分時間が経過している。同じ「私」でも、見方も感じ方も大きく変わっている。だからこそ解るのだ。
ああ、あの日のあれは、こういう意味だったんだなあ、と。

若いころは、キラキラ輝く人生だけが意味のあるものだと思っていた。
ドラマや映画みたいに、恋をして、友達に囲まれ、家族に愛されて。
やりたいことがあって、前向きで、颯爽と人生を歩む人。

でも、今は違う。
ひねくれて、いじけて、コミュ障で、ぼっち歴がほとんど人生で。
経験値でいったら中学生にも負けるかもしれないような私の人生だけど。
からっぽではなかった。
捨てたくない景色は、案外たくさん持ってる。
決して宝石ではないけれど、泥団子だって磨けば光るのだ。

本作の中の一編「ブラウンシュガー・キャンディ」(この作品が一番好き!)で、おばあちゃんが最愛の孫娘にも決して触れさせないブラウンシュガー・キャンディ。本作を読み終えたとき、作者のペク・スリン氏にこう言われたような気がした。
「あなたの人生にも、ブラウンシュガー・キャンディはあるでしょ?」

年を取るのは、悪いことばかりではない。
『夏のヴィラ』は、そう思わせてくれる「大人のため」の短編集だ。

最後までお付き合いいただきありがとうございます。 新しい本との出会いのきっかけになれればいいな。