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指が繋ぐ。指が紡ぐ。

先日、右手の指を骨折した。
私の利き手は右。その小指の機能を失うことは、想像以上に大変だった。
(現在進行形なのだけれども)

日常の、ほんのささいなことが、上手く出来ない。
箸が持てない。(左手で箸を持ってみて、外国人が「チョップスティック難しい」って嘆くのがよく解ったし、二本の棒でご飯が食べられるのって特殊能力なんじゃないかと思ったりする)
パソコンのキーボードを打つのが激ムズ。(一文打つのに普段の五倍はかかる上に、誤字脱字だらけ)
運転も無理。お風呂も至難、猫にご飯をあげるのすら四苦八苦だ。

しかし、なにより私の心が痛んだのは、本を読むのが辛いということだ。
分厚い本は、開けない。文庫は持つことが難しい。
「開いたまま」をキープできる本しか読むことができないのだ。

おおお、なんということだ。
そういった本は、あまりにも少ないのだ。
大好きな新潮クレストブックスも、その条件外であった。

うわああああ、どうしよう、どうしよう、本が読めないよう。
本が無いと生きていけないんだよう!!

焦った私は、ここ半年、買ったままで放置しつづけた電子書籍リーダーのことを思いだし、縋るおもいで本を検索した。

新潮クレストブックスは、少しだけあった。
しかし、一番読みたかった『ある犬の飼い主の一生』は、なかった。

普段、私は「本は絶対に紙」派である。
特に、新潮クレストブックスは「何が何でも紙であってほしい」人間であった。同シリーズは、電子に魂を売ってほしくない。そんなふうにすら、思っていたのである。

内容の素晴らしさ、セレクトの秀逸さはもちろんのこと。
装丁の美しさ、使っている紙の質感、インクの匂い。
手に馴染む感覚も絶品だ。
本屋さんで手にすると、一瞬で離れがたい存在になってしまう。
まるで、ネコだ。
見た目も、匂いも、手ざわりも、完璧。

そんな、書籍界のマスターピースであるクレストブックスに、今の私は繋がることができないのだ。
本棚から連れ出して、ページをめくり、大好きな一行と再び巡り合う。
そのランデブーが出来ない。
右手の指を骨折しただけなのに、私とクレストブックス様は断絶されてしまった。

第169回芥川賞を受賞した『ハンチバック』(市川沙央)に、こんな一節がある。

私は紙の本を憎んでいた。目が見えること、本が持てること、ページがめくれること、読書姿勢が保てること、書店へ自由に買いに行けること、―5つの健常性を満たすことを要求する読書文化のマチズモを憎んでいた。

『ハンチバック』市川沙央 文藝春秋社

この作品が話題になったとき、何度も紹介された一節だ。
実をいうと、私はこの作品を読んでいない。
けれど、この一節は本を愛する人間として、目にしたときからずっと心にひっかかっていたのだ。

右手の骨を折って初めて、私はこの文章の意味を理解できた気がする。
ああ、これなんだ。こういうことなのか。

私の指は、あと半年も経れば元に戻るだろう。
しかし、世の中には右手を失い続けたままの本好きさんがたくさんいるはずなのだ。

もし、これからの人生、本と繋がる方法を制限されたなら?
どんなに読みたくても、読むことを許されないなんて状況に置かれたら?
「あなたは健常者ではないので、読めなくてもしかたがないですね」
そんなふうに、冷たく、一方的に門戸を閉ざされたとしたら?

私なら「憎む」なんて言葉じゃたりない。
ここでは記すことのできない、ありとあらゆる罵詈雑言を、呪いを込めて延々叫び続けてやる!!!
本を読むことは、私にとって生きることと同義である。
それをはく奪されるということは、死刑宣告をうけるのと同じだ。
「健常者じゃない」。そんな理由で本を取り上げられるとしたら、それはもうとんでもない人権侵害だ。
三代祟っても、なお余りある。

指の骨を折ってみて、ようやく私は自分の傲慢さを知ることができた。
いままで、紙の本を読むのが難しい人たちがいる、ということに気付くことができなかった。思いもよらなかった。
普段、私と本(おもに紙の)を繋いでくれていた指は、骨折することで私に新しい視点を授けてくれたのだな。
いや、別の世界を繋いでくれたんだ。今回も、また。

骨折が教えてくれたことが、もうひとつ。

本を読む時、私は必ずメモをとる。
本に直接書き込むこともあるけれど、大抵は専用のノートに走り書きする。
おおー、この文章好きだぁ!!!
くうう、なになに何でこんなに私のコト解ってくれるのー。泣いちゃうわ。
そんな独り言みたいなものの寄せ集めだ。

今回、それが出来ない読書(kindleで)をしてみて驚いた。
頭に入ってこないのである、全然。
自分の感情が纏まらない。というか、見えない。整理ができないのだ。
心の声をそのまんま、つらつら書き綴っているだけなのに。

頭の中にあるものを、ペンを通して見える化する。
眺める。すると、全然関係なさそうな言葉たちが唐突に繋がりだす。
そこから、私とその本だけの私的で、だからこそ特別な物語が紡ぎだされるのだ。
私は、そうやって本を読んできた。
読書は孤独な趣味ではない。
作者と私とで、共に世界を紡ぎだす共同作業なのだ。

ああ、右手の指よ。
君がいままで果たしていた役割に、私は驚いている。
君は私と本を繋ぎ、そこから新しい物語や知識、考え方なんかを紡いでくれていたんだね。
完治したあかつきには、君を彩る指輪を贈ろう。
うん、きっとそうしよう。















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最後までお付き合いいただきありがとうございます。 新しい本との出会いのきっかけになれればいいな。