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役に立っても、立たなくても。

本好きの人間なら、誰でも一度はこう訊かれたことがあるのではないだろうか。
「で、読書って何かの役に立つわけ?」

私は一度だって、その質問にちゃんと答えられたためしがない。
だって、読書が何の役に立つのか、わからないのだもの。
強いて言えば、読解力が高まる・・・とか?

なので、私は苦笑いをして話を逸らすしかない。
「まあ、意味はないかな。ただ楽しいから読んでるだけだしね」
とかなんとか。

ああ、しかし。
したり顔をして私を見つめる質問者よ、君にこの胸の悲しみがわかるかい?
それは、大好きな推しをけなされたのに、自分でもちょっと相手の言う事を認めちゃっていて、ガッツリ反論できないときの悲しみだよ。
ふがいない自分への、憤りでもある。

たしかに、本を読むことは役に立たない。
本を読んだからってお利巧になるわけではない。
寝る前に読み始めた本がおもしろ過ぎて気付いたら朝だった!なんてのを繰り返していれば、目も悪くなるし。

じゃあ一体、なぜ私は本を読むのだろう。
役にも立たないし、意味もないのに?
机の上の積読が、読んでも読んでも解消されないのはなんでだ。
眼精疲労のせいで、しばらく目を使う行動を制限された。
パソコンやスマホとはすぐに別れられたのに、本とだけは吐き気を伴ってでも別れがたかったのはなんでだ。
なんで私はこんなに本が好きなんだ?
食う、寝る、読む。これが私の人生だ。NO Book、 NO Life。

ああ、神さま!
どうか、この大好きな理由を言葉にして私に教えてください!
そうすれば、もう二度と「本は役に立たないし、読む意味なんてない」なんて悲しいことを本に向かって吐き捨てる必要がなくなるのです。
どうか、どうか、私に言葉をください!!

と、願い続けた結果かもしれない。
ついに、私は見つけたのだ。
本を読むことがいかに役に立つか、脳神経科学的エビデンスに基づいて証明した一冊を。

それが、『文學の実効 精神に奇跡をもたらす25の発明』(アンガス・フレッチャー/著 山田美明/訳 CCCメディアハウス)である。


聖典といってもいいかもしれない。

一冊の本を読む前と読んだ後では、なんだか世界が違って見える。
そんな経験をしたことがないだろうか。

悲しくて悲しくて、もう何もかもどうでもいい! と思っていたのに、読み終えるころには、窓から見える景色が美しい、ただそれだけで心が満たされている。
誰かとケンカをして、どうしても相手を許せなかったとき。本を読み進めていたら、自分自身に非があることに気付いて恥ずかしくなる。

読書によるこうした心境の変化は、なぜ起こるのか。
それは、本が、心(脳)に作用するように仕組まれているからだ。
プログラムで動く電子機器と同じである。
文學はテクノロジーである、というのが、本書のミソなのだ。

『文學の実効』の目次は、さながら「読書版・家庭の医学」である。

「勇気を奮い起こす」、「恋心を呼び覚ます」、「苦悩を癒す」、「失敗から立ち直る」・・・。こうしたお悩みに即した文学的テクノロジーが25個も、実際に読むべき作品とともに紹介されている。

おおお、本を読んだときに感じることばっかりが書いてあるではないか!
そうそう、そうなんだよ、勇気がもらえるし、癒されるし、頑張れるんだよ、本を読むと不思議と力が湧いてくるんだよ!
それは作者が「そうなるように」文学的テクノロジーを駆使していたからなのか!

読書好きの私は、一章ごとに肯き、胸が熱くなった。(首も痛くなった)
752ページという辞書なみの厚さが物足りないくらいだ。
(続編を熱烈希望!!!!!)

しかし、なにより私をときめかせたのは、そうした文学的テクノロジーが「どのようにして」発明されたか、だ。

「苦悩を癒す」の章で出てくる『ハムレット』。
シェイクスピアが、息子・ハムネットを失った3年後に執筆した作品である。
『ハムレット』には、シェイクスピアが3年かけて愛する息子を失った悲しみから立ち直った方法が反映されている。
『ハムレット』を観た人が、自分と同じように、愛する人を失った悲しみから立ち直ることができるように。

「心の安らぎを手に入れる」の章のヴァージニア・ウルフ。
彼女は長年うつ病に悩まされていた。
そんな彼女に心の安らぎを与えてくれたのは、プルーストの『失われた時を求めて』だった。
そして、彼女は決意する。
プルーストのように、読み手の心を安らぎで満たすことのできる小説を書く、と。
こうして、彼女の作品の特徴である「意識の流れ」が発明された。

『文學の実効』では、『イリアス』『オイディプス王』から『羅生門』『ゴッドファーザー』まで、2700年分の文学作品を取り上げている。
そのいずれの時代の、いずれの作者も、みんな同じ思いで文学を紡いでいた。
「誰かの助けになりたい」。
「私の苦しみが、誰かの助けになるのなら」。

文学は、心と心のバトンなのだと思う。
きっとあなたも立ち直れるよ、だから大丈夫!
そう、優しく肩を抱いてくれるものなのだと、私は思う。

本はいつの時代も、読み手の心に寄り添ってきた。
だからこそ、人々は今でも本を読み続けているのだろう。

本を開くとき、そこには作者のエールがある。
私に、人生を歩むうえでの勇気だったり、知恵だったりを与えてくれる。
いや、「与える」のではない。
私の内側に眠っていたものに「火をつける」といった方が正しい。
本は、心の着火剤なんだ。
その火は、私の中の別の私を目覚めさせてくれる。
夜明けのように輝く、一生の宝物。
それが私にとっての読書だ。
役に立とうが立つまいが、私はずっとこの宝物を集めつづける。















最後までお付き合いいただきありがとうございます。 新しい本との出会いのきっかけになれればいいな。