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死者の声を聴く

亡くなる数か月前に、祖母から一葉の写真を渡された。
撮影されてから50年は軽く越えていそうな、古い写真である。

写っているのは軍服姿の美男で、おそらく写真館か何かで撮ったのだろう、厳めしいポーズで遠くを見ている。
「この写真をお棺に入れておくれ。誰にも見られたくないから、その時までお前に持っていてほしいんだよ」
祖母の顔は真剣だった。

写真の男性が祖父でないことはすぐに判った。
祖父には顔に大きな痣があったのだ。(祖父も美男だった)

まさか、これが例の「戦争がなかったら結婚していた人」なのだろうか。
大学2年の夏休み、縁側でアイス最中を食べながら、祖母が話してくれた「若いころの恋バナ」の人。

身分違いの恋だったらしい。
駆け落ちする決心がつかぬまま、戦争が始まった。
戦地に赴くことが決まって、ようやく二人は未来を共に生きる約束をする。
帰ってきたら、必ず結婚しよう。
けれども、その約束が果たされることはなかった。

正直、その話を「創作」だと思って聞き流していた。
だって、あまりに出来すぎているではないか。安っぽいメロドラマかよ。
しかも、私のおばあちゃんだぞ?? 
当時の私は恋愛感情を持てないことに悩んでいた。スクールカウンセラーに相談までしたくらいである。
その私のおばあちゃんが、こんなロマンチックな恋愛をしていたなんて信じられるわけがないじゃないか!

だから、写真を見せられたとき本当に驚いた。
しかも50年以上、汚れひとつない状態で大事に守り続けていたなんて。

祖母と祖父はとても仲の良い夫婦だった。

顔の痣のせいで、幼いころから人付き合いが苦手だった祖父。
ちょっとした挨拶をするのにも苦労していたという。
その穴を埋めるために、祖母は誰にでも明るく、分け隔てなく接することを自分に課した。
地域の集まりには必ず顔を出し、どんな話も親身になって聞き役に徹した。
祖父はよく言っていた。
「ばあさんが、ああやって俺の尻拭いをしてくれるから、なんとかやってこれたんだよ」と。

その祖母の胸の内に、祖父ではない人がずっと鎮座していたとは。

もし、死者の声を聴くことができたなら祖母はなんて言うだろう。
祖父との50年に渡った夫婦生活について語るだろうか。
それとも、あの写真の人とようやく一緒になれたとの報告だったりして。

『野原』(ローベルト・ゼーターラー著 浅井 晶子訳 新潮クレストブックス)を読んでいると、そんな事を思わずにはいられない。


版元ドットコムより

墓地である野原のベンチに座って、一人の男が死者の声を聴く。

その声は、まるでスナップ写真のようだ。
あるいは走馬灯のよう。
物語というより、それぞれの記憶の断片が綴られている。
一番大事な日のこと。一番気になっていたこと。誰よりも好きだった人のこと。誰にも言えなかったけど、胸に秘めていた事実。

ベンチの男同様、この本を読む私たちも、ただ黙って死者の声に耳を澄ませるだけだ。語り合うことは出来ない。一方通行なのだ。
だから、私たちは想像することしかできない。

想像することは自由でもある。
答えがないぶん、いくらでも解釈できる余地がある。余白がある。
その余白に、あれこれ自分なりの考えを書き足していくのは、死者と私、二人の人生が融合するかのようだ。生きながらにして、他人の人生に憑依する。そんな、ちょっと忘れがたい夢のよう。
そうやって人生を追体験された死者は、もう他人ではない。
彼らはもはや私の一部だ。彼らは私が生きている限り、死なない。

祖母が亡くなって、来月でちょうど13年になる。
私は今でも、鮮明に祖母のデスマスクを覚えている。
思い出すたび、ちょっと笑ってしまうのだ。

92歳のその顔は、どうみても10代の女の子の表情をしていたのだ。
「おばあちゃん、なんでこんなに可愛い顔をしているのかしら」と、お棺を覗いた誰もが訝しがり、けれどほほ笑んだ。

あの写真を、お棺に入れてあげることはできなかった。
結局、祖母は写真を手放そうとはしなかったのだ。
祖母が亡くなってすぐに家中を探したけれども、どうしても見つからなかった。
約束を守れなくてごめんなさい。
そんな不甲斐ない気持ちを、祖母のデスマスクは吹き飛ばしてくれた。

恋する乙女というよりは、もっと子どもっぽい、夢中で鬼ごっこをしている女児の顔だった。
「ふふふ、あの写真は誰にも渡さないよーだ!」
そういいながら、おかっぱ頭を翻して遠くへ逃げていく女の子。
私が最後にみた祖母は、老人ではなく、成人女性でもなく、女の子だったのだ。祖母にも女の子だったときがあるのだと、そのとき初めて思い至った。

私が生まれるずっと前の、祖母の人生を垣間見た気がした。
私が知っている祖母の人生なんて、ほんの一部しかない。
だからこそ、私は祖母のことをいつまでも想うのだ。
残された写真や、親戚の話の中から浮かび上がる祖母をかき集めて、私の想像と混ぜ合わせながら祖母の人生を改めて創造する。
もう会うことも、確かめることも出来ないからこそ創り上げることのできる祖母の新しい人生。

死者の声を聴く。
それは、死者を「再生」することなのかもしれない。

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最後までお付き合いいただきありがとうございます。 新しい本との出会いのきっかけになれればいいな。