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うなぎの呪いを解いてください。

一緒にごはんを食べていると、かならず「美味そうに食うなあ」と言われる。相手が誰であっても、そう言われる。
いや、美味そう、じゃないんだな。美味いんだな。
パスタも、蕎麦も、ラーメンも、トンカツも、ピザも、寿司も、美味いんだな。この世のだいたいの食い物は美味いのだ。

そんな私が、唯一、怯むのが「うなぎ」である。
まず、出会いが悪かった。
人生で一番最初に「うなぎ」の存在を知ったのは『ごんぎつね』である。
子ぎつねの「ごん」は、「兵十」のうなぎを盗んで殺される。

絵本の挿絵を見る限りでは、ヘビの黒い奴にしか見えない。
そんなものを病気のお母さんに食べさせるなんてどうかしてる!
そんなもの、ごんに上げればいいのに。
幼い私は、読みながら「兵十」に不満を募らせていった。
それなのに、あの結末である。

私の中で「うなぎ」は、割に合わない悲劇の代名詞になってしまった。
挿絵も良くなかったのだろう。
うなぎはリアルで気持ち悪かったのに、きつねのごんはデフォルメされたメチャクチャ可愛い姿だったのだ。
これではうなぎの分が悪い。

初めて食べたうなぎも、いけなかった。
おかんと行った安いバスツアー。その行き先が浜名湖だった。
浜名湖と言えば、うなぎである。
当然、お昼のお膳にはうなぎが供された。
タレのしみたご飯の上に、「蒲焼さん太郎」にそっくりなペラペラのやつが一枚。それを見つめていると、悲しみが込み上げる。
これのせいで「ごん」は殺されたのか…。
あまり美味そうではないが、命と引き換えになるくらいなのだから、きっと美味いのだろう。
美味くなければ、あまりに「ごん」が不憫ではないか。

口に入れて思わず
「マズっ!」と声が出た。
泥みたいな臭いがした。その臭いは、クラスメートが近所の川で釣ってきた「ウグイ」という川魚の臭いにそっくりだった。
教室の一番後ろの水槽で、元気に泳いでいる「ウグイ」たち。
うわぁ、私、今あの子たちをかじってるみたいだ…。

涙目になりながら、私はなんとかうなぎご飯を飲み込んだ。

そのうなぎが、実は浜名湖産どころか国産ですらなく、中国産のとても安いうなぎであると、帰りのバスの中でガイドさんから聞かされた。

そのせいで、私は「うなぎ」を愛せない。
悲しみで胸を押しつぶされたうえ、同じ教室の仲間であったウグイを喰らう鬼女になった気がする食べ物を、どうして愛せようか。

しかし。世間一般では「うなぎ」は高級で美味しいものとされている。
世の人は、うなぎの蒲焼やうな重、ひつまぶしなんかに五千円、野口英世5人分を喜んで差し出しているのである。
これはどういうことだ。私の味覚がおかしいのか。

『東京の生活史』(岸政彦 編 筑摩書房)をパラパラめくっていたら、なんだかそこに答えめいたものを見つけた。
『東京の生活史』は、東京に住む一般人に、公募で選ばれた聞き手(こちらも一般人)がインタビューして、それをそのまんま活字にして纏めた、たぶん100年後には宮本常一ばりに民俗学の宝になりそうな本である。


この一冊に150人分の人生が詰まっている。
上下段組、1211ページ。圧巻。

インドネシアから留学してきた男の子が、初めて東京で「トンカツ」を食べた日の事を語っていた。

一番最初に食べたのが有名店で、それが味の基準になってしまった。
以後、他のお店で食べるたび「これはトンカツではない」と思ってしまう。

これだ、と実感した。
私はこれの逆バージョンなのだ。
私の「うなぎの呪い」を解くためには、このインドネシアの青年と同じことをすればいいのだ。すなわち、有名店で高級なうなぎを食べるのだ。
そうすれば、私は無敵になれる。この世の食べ物すべてを、心から美味しく頂ける人間になれるのである。

だが、ちょっと待てよ。
私の知人には、うなぎ好きが皆無である。
となると、「孤独のグルメ」確定である。
想像だが、高級なうなぎって、一人で気楽に食べに行けるような雰囲気ではなくないか? 敷居が高すぎるというか。畏まっているというか。
それにもし「やっぱ無理」となったら、どうしよう。
うなぎが好きな人と一緒ならば、その人に食べてもらえるけれど、一人で行って「お残し」はしたくない。沽券にかかわる。(なんでだよ)

しかし、「うなぎを一緒に食べる人」とは、それなりに深い関係である気がする。
なにせお高い。そして「夜のお菓子」と、うなぎパイには書いてあった。
友だち同士ではないだろう。酸いも甘いも共に噛み締めてきた、戦友のような関係。そういう二人が分かち合うものだ、多分。

一気にハードルが上がってしまった。
うなぎを愛するまえに、己を愛してくれる方を探さねばならなくなってしまった。うな重抱えて、逆シンデレラにならねばならない。
とりあえず、死ぬまでにやりたいことリストに入れておくことにしよう。
「心からうなぎを美味いと思えるようになる」。
その日のために、己を磨き上げねばならぬな。





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