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『別れの色彩』、その痛みが羨ましい。

幸福な家庭はすべて互いに似かよったものであり、不幸な家庭はどこもその不幸のおもむきが異なっているものである。

とは、『アンナ・カレーニナ』(トルストイ/著 木村浩/訳 新潮社)の有名な冒頭だ。

『別れの色彩』(ベルンハルト・シュリンク/著  松永美穂/訳 新潮クレストブックス)を読んだとき、これは家庭だけではなく、人間関係においてもあてはまるんじゃないかな、と思った。

『朗読者』で有名な、ベルンハルト・シュリンク。

出会いは大抵似かよっているものだが、別れの理由や方法はそれぞれおもむきが異なっている。

誰だったか、有名なシンガーソングライターが曲作りについて語っていた。
「愛し合っている二人をテーマにするのは簡単だけど、とても退屈な曲になってしまう。だから、三角関係だったり、別れの近い二人を主人公にすることが多いんだ」

有名な小説も、ヒットソングも、名作と言われる映画も、思い返せば「別れ」がテーマになっているものが多い気がする。
それはたぶん、「別れ」には熟成された旨味があるからではないかと思ったりする。
多重的というか、時間の厚み、層がある。

別れは、ある日突然やってくるのではない。
日常の中に、ゆっくり、じんわり、忍び込んでいる。
ほんの少しのすれ違いがほころびとなって、気付いたら大きな穴になっている。繕うにはもう手遅れだ。
そこに至るまでの過程は、振り返ると案外長い。
悲喜こもごもがたっぷり詰まっている。
別れには、ちょっとした個人史がある。それゆえ、多彩でドラマチックなのだ。

「別れ」をテーマにした短編集である『別れの色彩』の主人公たちは、みんな複雑な過去を持つ。

隣人の少女に恋心を抱いていた中年男性。
友人を秘密警察に売り渡した男。
クラスのマドンナに頼まれて、その弟の唯一の友だちになったけれど、関係の重さに耐えきれず、黙って二人の元から逃げ出した男。

彼らが迎える「別れ」は、かなりの時間を経てからやってくる。
全員、物理的な別れではなく、精神的な別れを迎えるのである。
「別れ」というよりは「決別」の方が近い。
遠い昔の思い出に、心の中で、固く扉を閉ざすような感覚。
「もうこれでおしまい」と呟きながら、スナップ写真を火にくべるような感覚。

主人公たちは、別れを前にして過去とガッツリ向き合う。
過去を反芻し、そこから痛みを引っ張り出して、味わい、意味を考える。
灯滅せんとして光を増す、ということわざがあるけれど、まさにそのように、過去が滅する前に強く光を放つのだ。
9つの短篇すべてが、目を射るほどの輝きを持っている。

いくつかは、身勝手な理由だったり、理不尽だったりするけれど、それがむしろ良い。別れの決断をするまでの逡巡や葛藤が、思い出をより輝かしいものであるかのように見せてくれる。

私には、彼らの苦悩が少し羨ましくもある。
タイトルにもあるように、その苦しみは「色彩」豊かなのだ。
とても鮮やかで、人生を生き切っている感じがする。
生々しい、というのだろうか。血の通った味がするのだ。

傷つくことを恐れずに他人に自分をさらけ出すことが、私には出来なかった。なのでこの先も、『別れの色彩』に描かれたようなドラマチックな別れを経験することはないだろう。
うーむ、我ながらつまらない人生だ。
若いころにもっと傷ついておけばよかった。

学生時代、文章表現法を学んでいた。
その教授の口癖が、
「とにかく傷つけ。若いうちに絶望を味わっとけよ」。

教授の言いたかった事が、今になってようやくわかった気がする。
絶望は、未来への糧なのだ。
それがあるかないかで、人生の色彩が決まってくる。
その色が多ければ多いほど、書きたいと思える物語も多いのだろう。

それにしても。
人生における豊かさって一体なんなんだろう。
私は、毎日を心穏やかに過ごせることが一番だと信じてきた。
でも、今、少しだけ、波乱万丈な人生を羨んでいる。
なんという矛盾。そして不合理。
人間というやつは、混沌そのもの。
それを暴いてやろうとする試みが文学である。
だからこそ奥深くて、愛おしくて、どうしても読みたくなってしまう。
次から次へと、求めてしまう。抜け出せない。
この煩悩も一つの色彩として、いつか私なりの言葉にできる日がくるといい。

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最後までお付き合いいただきありがとうございます。 新しい本との出会いのきっかけになれればいいな。