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味噌ラーメンのような本がある。

辛いことがあったとき、私は無性に味噌ラーメンが食べたくなる。
人に相談するのが苦手なので、悩んだらとりあえず美味しいものを食べに行く。なかでもラーメンが好きだ。
醤油でも、塩でもなく、味噌の。

この頃は、醤油も塩もすっかり垢ぬけて、洗練された都会の味がする。
新しいお店に入ると、面食らってしまうくらい綺麗なラーメンが出てくるのでドキドキしてしまう。
けれど、味噌ラーメンだけは昔とあんまり変わっていないように思う。
茶色く混濁したスープに、縮れた太麺。
そこに、もやし、ネギ、コーンとチャーシューをもっさり。
無骨で、不愛想。ちょっと、ダサい。お洒落なお店にはメニューになかったりもする。
それがいいのだ。悩みをぶつける相手は、気取らない人がいい。

私は恥も外聞もなく、どんぶりに顔を埋めて、味噌ラーメンを掻っ込む。
いつ食べても、優しく迎え入れてくれる安心感がある。
味噌の香りが、なんとも言えず土くさくて良い。
味噌ラーメンは、大地の味がする。
スープを飲み干すころには、ちょっとやそっとじゃへこたれない女になっている。

アリステア・マクラウドというカナダ人作家がいる。
77年の生涯で、残した作品は長編が1本と短編が16本だけ。
2000年まではカナダでも知る人ぞ知る作家であったという。

作品の舞台はすべて同じ。ケープ・ブレトン島。
『赤毛のアン』の舞台であるプリンス・エドワード島の隣の島だ。
マクラウドの小説を読んでいると、そのすぐ隣の島で、赤毛の女の子が夢を見ながらはしゃいでいるなんて信じられない。
海は灰色で荒れているし、風は息ができないほど吹いているし、人々はみんな貧乏である。
男の子は大きくなったら、炭鉱で働くか、漁師になるか、木こりになるしか選択肢がない。
本を読む時間もない。夢を見る暇もない。
文明とはかけ離れた、過酷な生活だ。
自然との共存、なんて言葉ではなまぬるい。人々は戦っている。それも直接対決、タイマンだ。

しかし、ケープ・ブレトン島の人々は強い。
過酷な環境とがっぷり四つに組み合って、踏ん張りながら生きている。
弱音など吐かない。愚痴も言わない。文句も言わず黙々と生きてる。
誰かを羨んだり、妬んだり、僻んだりもしない。
人に対してはもちろん、島の自然に対しても。
島で生きることは、島を生きることなのではないか。
そう思ってしまうほど、人と島はぴったりくっつきあっている。
渾然一体。
海も、大地も、人も。
そのすべてがスクラムを組んで、ひとつの家族みたいに生きているのだ。

そうして結ばれた絆は強い。互いを思いやる気持ちも強い。
誰かが困っていたら、わが身を差し出すことすら厭わない。
それくらいの愛がケープ・ブレトン島にはあるのだ。

マクラウドの本が我が家の本棚に並んでから、だいぶ経つ。
その間、なんど取り出したかわからない。
時々、無性に氏の書いた人々に会いたくなるのだ。

無骨で、実直で、一生懸命な生き方をしている愛情深い人々。
お洒落なものなんて何ひとつない、昔ながらの、変わらない生活。

それは灯台の光のように、私の心を明るい方へと導いてくれるのだ。
胸の奥の、汚くて冷たくて、とても嫌な気持ちを溶かしてくれるのだ。
一編を読み終えるたびに、私の中で勇気がもくもく湧いてくる。
「よし、明日もがんばろう!」
「つまんないことで悩んでいてもしょうがない!」

そう、これは味噌ラーメンを食べた時と同じだ。
マクラウドの本も、いつだって大地の味がする。


(ありがたいことに、すべての作品を日本語で読むことができる。
『冬の犬』『灰色の輝ける贈り物』の二冊は短篇集。
『彼方なる歌に耳を澄ませよ』は長編。
すべて新潮クレストブックスより刊行。ありがたや、ありがたや)

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最後までお付き合いいただきありがとうございます。 新しい本との出会いのきっかけになれればいいな。