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スタートはいつだって…

「走る」という行為は非常に奥が深い。

まず「走りだす」瞬間について考えてみたい。人が「走り出す」ためには、何らかの強い動機が必要である。例えば、遅刻をどうしても避けたい学生は、授業に間に合うように駅まで全速力で走る。また、彼女に何かを伝えようと彼が目的地まで走るというのは、恋愛ドラマではお馴染みの名シーンである。

ところが、自らが「走っている」瞬間と言うのは、何も考えていないことが多い。全力で走っている間は、目的はどこかへ消えてしまう。

ゴールのために人はスタートを強烈に意識する。しかし、いざスタートしてしまうと、ゴールのことをあまり考えなくなってしまう。「走る」という行為は、人を無心にさせる。

最近、これまでの3年間を振り返る機会が多くなった。無心になっていた時間が減り、次第にゴールを意識するようになってきている。僕の心の中で、一つのレースが終わろうとしている。

ただ、レースが終わったとしても、いつかまた新しいレースは始まるものだ。レースに参加したいという動機で、僕らは再び走り出す。

この新聞が取り上げる巨大なレースは、今回で85回目。長い間、多くの人を無心にさせてしまう何かが、このレースには詰まっているのだろう。

そして、開催日であるこの季節は、ちょうど物事を始めるにはもってこいの季節。僕にとっても、ランナーにとっても、新たなレースが始まる。スタートの合図が、そろそろ聞こえてくる──


※初出:中大スポーツ第91号(09年1月2日発行) ようするに、僕が大学3年の時に記したエッセイです。写真は東京・大手町の読売新聞社本社前

どうもです。このサポートの力を僕の馬券術でウン倍にしてやるぜ(してやるとは言っていない)