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銀座線の階段

女優の松たか子はちょうど20年前、「明日、春が来たら」という楽曲でデビューした。冬と春の境目の中で揺れ動く、野球少年とそれを見守る女の子との恋心を歌った名曲である。この曲と「サクラフワリ」「桜の雨、いつか」は「松たか子・春の名曲3部作」だと、僕は勝手に言っている。

そして、それからちょうど10年後、「明日、春が来たら97―07」という楽曲が発表された。メロディーと歌詞に若干のアレンジが加えられているが、曲全体を包み込む切ない雰囲気は変わっていない。

そんな「97―07」版の歌詞に一つ、僕をはっとさせたフレーズがあった。それは「銀座線の階段」という6文字だ。

この楽曲に具体的な地名は出てこない。でも、それは渋谷でも銀座でも浅草でもなく、外苑前駅だという確信がある。なぜならば、外苑前は明治神宮野球場の最寄り駅だからだ。

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僕は外苑前が大好きだ。この駅と街には季節を問わず、よく訪れている。目的はもちろん、スポーツを観るためだ。秋から冬にかけてはラグビーを観に秩父宮へ。そして、春の訪れと共に明治神宮野球場で白球を追いかけている。

スタジアムには一体どんなゲームが待っているのだろう? はやる気持ちが抑えられず、そそくさと改札を飛び出す。銀座線の階段を駆け上がる。登り切ったあとに、広がる明るい春の空と都会のビル群。青山通りの交差点を横目に見ながら、なだらかな坂を登る。僕と同じく、スタジアムに向かう観客がちらほら。みんな初めて出逢う人だけど、同じ目的を抱いているのでちょっとくすぐったい。駅からスタジアムは5分もあれば到着できる。でも、この時間がなぜかもどかしい。

「97―07」版の彼女も、そんな気持ちを抱いてスタジアムを目指していたに違いない。

ところで、一体この10年間の間に「明日、春が来たら」の世界には何があったのだろうか? 色々と妄想は膨らむ。

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10年前の3月末、野球少年と彼を見守る女の子だった2人は、10年後の3月末に神宮で再び交錯する。彼は野球を続けているのだ。中学生ないしは高校生が10年後、この時期に神宮で野球をするのならば、ヤクルトスワローズの選手として、プロ野球のオープン戦に挑んでいると考えるのが自然だ(コアなところでは社会人としてスポニチ大会、ないしは球場を未使用日に草野球チームが使っているという説もあるが、若干夢がないので一旦置いておく)。

プロ野球選手として活躍する彼はどのような立場なのだろうか。トリプルスリーを達成するような名選手に育ったのか。いや、それとも大志を抱いて挑戦したものの、(怪我に苦しみ?)崖っぷちなのか。もしもこの試合が、開幕1軍を賭けた勝負の舞台という可能性もある。どちらの立場にせよ、彼女は彼女で歯がゆいのではないだろうか。それは10年前の恋心に揺れ動いていた、あの頃と同じように。

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それから再び、同じくらいの時間が経過した。

現時点で「明日、春が来たら07―17」がリリースされる予定は無い。物語は曲を愛する人たちの心の中で、こっそり紡いでいく他なさそうである。

僕はたった今、外苑前駅に到着した。イヤホンから流れる楽曲を、そっとあの曲に変える。これから「銀座線の階段」を駆け上がる。この街にも、球春がやってきた。近づきつつある春を、大好きな街の野球場で、思いっきり受け止めたいと思う

どうもです。このサポートの力を僕の馬券術でウン倍にしてやるぜ(してやるとは言っていない)