見出し画像

今夜はラグビーで眠りたい

ラグビーの試合前日の夜は、あまり眠れない。

と言っても、これは約10年前の話だ。当時、僕は母校のC大学ラグビー部の取材に、広報紙の記者として足を運んでいた。
C大学は弱いチームだった。入替戦への恐怖と大学選手権進出の淡い期待を併せ持つ、不思議なチーム。故に、1つの勝利で得られる喜びは果てしなく大きく、1つの敗北で得てしまう不安もまた、果てしなく大きい。
だから、試合前は常にナーバスだった。授業中にや帰宅後のお風呂の中で、今回はどういうスタメンで挑むべきか? を(第三者で何の権限も無い僕が)考え続けた。移動中の電車やバスの中も落ち着かない。そうこうしているうちに、スタジアムが目に入ってきた。嗚呼、覚悟するしかない。
かくして、寒風吹き荒れる決戦の舞台へと、足を運ぶのであった……

昔の思い出話である。
そのはずだった。
でも、ワールドカップが近づくにつれて、あのときの緊張感が蘇ってきた。
おかしい。ラグビー日本代表は僕が見始めたときよりも遥かに強くなっているし、あの頃とは比べ物にならないくらい注目を集めているのに……。

でも、あの頃と同じように、僕はこれからラグビーを観に行く。
地元・横浜の試合はもちろん、豊田や熊本まで足を運ぶ。
なぜ僕は、ときに負ける事への不安や恐怖と戦いながら、スタジアムへと行くのだろうか?

そう、それは裏を返せば、負けても何かが僕の心に残るから、ラグビーを再び観に行ってしまうということではないだろうか?
結末が勝者の立場でも、敗者の立場でも、しっかりと戦い続けていれば、絶対にスタジアムから何かを持ち帰ることができる。
それがラグビーだけが有している、稀有で素敵な特色だと思うのだ。

そういえば。試合前と試合中は心配で目が覚めている一方、試合後はよく眠れたものだった。負けたあとも、勝ったあとも、眠くなるのだ。
ガラガラの電車の片隅で、僕は駅で買ったお菓子とコーヒーを窓際に置き、延々と続く殺風景を見ていた。ぼんやりと、いくつかのシーンが思い浮かぶ。目で見る光景と頭の中のプレーシーンをオーバーラップさせているうちに、ふと眠りについてしまうのだ。こういうときは不思議と、カフェインは効かない。

これから続く1ヶ月半の日々も、多分こんな感じで進むだろうか。ほぼ毎週、何かしらの試合を観に足を運ぶ。そんなゲームのあとが、毎回幸せな眠りにつけるようなものであれば、これ以上に勝る喜びはないのである

===============

そんなこんなで、明日からラグビーワールドカップです

この記事のタイトルは上記の本からインスパイアされたものです。ご容赦願います

どうもです。このサポートの力を僕の馬券術でウン倍にしてやるぜ(してやるとは言っていない)