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人生を変えた後遺症④

検査の日々

痛み止めを打ち、最悪の目覚めをしてから
毎日のように検査が行われた。

もう、何の検査をしたのかさえ覚えていないくらい
毎日、看護師さんに呼ばれ検査室に通う日々。

しかし、結果はすべて
”異常なし”

何か病名でもついてくれた方がよっぽどラクだ。
しかし、何をやっても異常なしだ。

そして急遽、リンパ節を切除して検査するということに。

「今日の午後に」とホントに突然決まり
母に連絡すると

それで、原因が分かるなら…と、母は承諾した。

もちろん、のちにこんな思いをするなんて思っても
なかったので、早く原因が知りたい一心だった。


まな板の上の鯉

そして午後。
私は、看護師さんに案内されるまま
手術台の上に乗るよう指示された。

ベテラン風の先生と明らかに研修医感が漂う人の
二人がやってきた。

そして、私のリンパ節の切除が始まった。

部分麻酔だったので、意識はあるし
会話も全部聞こえる。

電気メス?を使った時の焦げ臭いにおい。
首の後ろを何かがつたう感覚。
開いた部分をぐりぐりされたときに勝手に動く足や手。

”首って神経が集まるところとは聞いたことがあるが
ホントに触ってない足や手が勝手に動くんだ…”と
少し怖くなった。

そんなことを思っていると、ベテランドクターが

「ん?なんだこれ」「こっちやってみたら?」
「これがさ…」「まだ10代なのに可哀想だねぇ」

なんて声が聞こえてくる。

まさに私は
”まな板の上の鯉”状態。

作業をしてるのは、研修医らしき若い人だろう。
痛みはないけど、感覚はあったので
たどたどしい感じはだいぶ伝わってた。

想像したらますます怖くなって思わず

「まだ時間かかりますか?」と聞いてしまった。

どのぐらい時間が経っていたのかは分からないが
「もう、終わるからねー」とそんな感じの返事。

そして、それからどの位経ったのか分からないが
リンパ節の摘出は終わった。

で、歩いて病室に帰るよう言われたので
言われるがまま歩いて帰った。
怖かったし、しんどかったから誰か運んで~って
思ったけどその当時の私は言えなかった。
若かったんだろうなぁ。

(今なら、遠慮なく言ってるだろう…笑)
運んでくれるかは知らないけど。


検査結果

そんなこんなで、検査も終盤(勝手に終わらせたい気分)に
なって
さすがに何かしら分かるだろうと思っていた。

のが、間違いだった。
またもや
”異常なし”

どういうこと?
何がいけないの?どこが悪いの?

誰か教えて~!!な感じ。

説明を受けた時もやはり
特に異常ない。と...。

何かしら分かると思い込んでいた
私と母は、肩を落とした。


再び

ありとあらゆる検査をした結果
すべて
”異常なし”
だった私は入院してるけど
治療方法がない。

検査結果を聞いたその日の夕方。
ご飯を食べ一息ついたら
薬が処方された。

”異常がないのに何の薬なんだろう”

薬恐怖症になってた私は今度こそ
しっかり薬を確認することを忘れなかった。

「えっ?」

薬の番号を覚えていた私はまた同じ薬が出されていることに
唖然とした。

絶対飲みたくない私は看護師さんに
「この薬を飲むと体痛くなるんですけど」

と伝えると看護師さんは
「大丈夫ですよ、先生が出してくれたお薬なので。」

いやいや、前回はじゃあ誰が出したのさ…って返したくなるほどの
返事が返ってきた。
しかも、全然大丈夫じゃなかったし。

と、心はブツブツ言っていたが
私は「分かりました」
と返事をして、看護師さんがいなくなったのを見計らい
ゴミ箱に捨てた。

もう絶対にこの薬は飲まない。と決めたのだ。


次の日、面会に来た母に伝えると
すぐに病室から消えてった。

帰ってきた母は
「ここの病院にいても原因が分からないから
転院するから。」と
転院の手続きをしてきたらしい。

たしかにもう入院して1ヵ月が経とうとしていた。

この1ヵ月弱、いろんな検査をしてきて
最終的に出された薬はあの恐怖の薬だったんだもんな。
もう、この病院には居たくない。

私もそう思い始めていた。


続く











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