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2024.6.30:山での暮らしはシンプルです

バイト史上初めての寝坊。
私は環境と人に恵まれる才能がある。だからいろいろな土地を放浪できるのだと思う。

昨日からランニングを始めた。
標高700m近い高原なだけあり酸素が薄い。傾斜が急すぎて膝が笑う。いつかの動画でトレイルランの動画を見ていた時、歩くことも含めて完走、と言っていた。
ここ一年でスポーツをダイエット目的ではなく純粋に楽しむことができるようになった。大きく息を吸い込むと濡れた草木の青々しい香りがした。鳥の声は時間が早いほど数が多い。見たことのない色をしたキノコを見つけて足を止める。

走っていると感覚が研ぎ澄まされて、思考が明瞭になる。日頃考えるのをやめられない私にとって、無になれる唯一の時間であり、手段だ。

山間部の暮らしはシンプルだ。
電波も満足に入らないので、SNSも限られた時間しか使わなくなった。高低差100m以上を下って1時間以上歩かなければ店がない。だから買い物もしなくなった。もちろん、夜に遊びに行くこともできない。

そこにあるものを食べ、めいいっぱい働き、山道を走り、湯に浸かり眠る。
限られた資源と環境の中でうまくやりくりしなければならない。でも、不思議なのだが、札幌にいる時の方が窮屈に感じていた。

きっと、選択肢は多ければいいわけではない。
多ければ、楽な方に流れてしまう。なんとなくしていることが増えてしまうと、なんとなく時間を消費することになる。
何かを考えるにも、感じるのにも余白がいるのだ。余白がないと、他のものを入れる余裕がない。余裕もない中に流し込んでもそれらのうちどれだけを自分の中に残せるだろう?

私は、情報を流し込んだという事実に満足していたのかもしれない。音楽や芸術、活字などの上部だけをさらって知った気になっていた。物知りな自分に酔っていただけだった。本当に大切なのは、それらを味わい自分の糧にすることだ。

疲れて空いている時間はこんこんと寝ている、
明日が終われば久しぶりのお休みです。

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