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週末の体調不良と就職を先延ばしにして1ヶ月過ごした所感

「無職」を自虐するのも嫌だけど、無職でも体調不良になる。

生理前とか季節の変わり目とかではなく、メンタルががくーーーんと下がってしまい、土曜日は口から出る言葉が嫌になるほどネガティブになって胃はキリキリと痛み、日曜日は10時ごろベッドから起き上がって水を飲みに向かったら足元がふわふわして、視界がぐるぐるした、何なんだこれは!?脳梗塞とかそういうやつか!?!?と一瞬焦ったが、多分「めまい」ってやつだと思う。

そのままベッドにフラフラと戻り、一応スマホを握りしめてはいたが画面を見ようとすると再びめまいと思われる症状が出てきたので、おとなしく目を閉じたらそのまま14時まで爆睡していた。
その後も、頭痛がしたので本調子とは行かず、セブンイレブンまでコーヒーを買いに行ってそれを飲みながら夫とネトフリで「イカゲーム」を見てダラダラ過ごした。
見たと言っても、私こういう生きるか死ぬのかスリル系のドラマって非常に苦手なので、ほとんど直視できなくて音だけをところどころ耳を塞ぎながら聞いた。そんなんだと話がよくわからなくなるので、後でネタバレサイトを見て曖昧な箇所を補完した。

体調不良の原因はおそらくだけど、金曜日に突然の末期がんで余命わずかとなりすでにお亡くなりになった小説家・山本文緒さんについて色々調べてメンタルが落ちたことだろうか。
この作家の本は中学生のとき好きでよく読んでいたので、色々こみ上げてしまった。
この手のことは嫌でも1日の重みを感じさせ、無職で生産性のない内にこもった日々を送っている自分には堪えてしまった。

そこから、楽しみにしていた別の作家のビジネス書新作を図書館から借りてきたのでそれを土曜日カフェで読んでみたら、それが個人的に「気に入らない」「納得行かない」みたいな感情を彷彿させる内容で、読んでいたら悲しくなってきてしまい、落ち気味のメンタルが完全に落ちてしまった。
「嫌な人がいるとか辛いからって会社を辞めるのは極端、そこそこでやりすごせ、ストレスを受け止めるのではなくかわせ」「嫌な人とはむしろ仲良くした方がターゲットにならずにすむ」みたいなところが気に入らなかった。
会社務めをほぼしていないない人や独立後一人でやっていて長くなった人が書くような本ってこういうところがある、かといって「辛かったらすぐ逃げよう!」みたいなことを言われても無責任だよなぁと腹が立ってくるので、基本的に私はアドバイスされるのが苦手なんだと思う。
今まで会社で出会った嫌な奴らを次々思い出し、でも結局会社辞めたのって人間関係が直接的な原因ではないよなぁ、とか、現在社会復帰できていない自分に思いを馳せ、自己嫌悪のぐるぐるに飲み込まれていった。
部分的には参考になるところはあったが、前述の物言いが今の私の状況やコンディションには合わなかったようで、途中で読むのをやめてしまった。

そんなこんなの些細な積み重ねで私は週末を体調不良で過ごしてしまった。
何だか私には「日々精一杯生きて、限界になるまで頑張って、頑張りつ続けて耐えられなくなって体が悲鳴を上げて」の体調不良以外で活動停止するのに罪悪感を感じる傾向がある。

ここの記事で書いたように、私は随分と無職歴が長くなっているにも関わらず、ざっくりいうと「どうしても怖くて働きたくない」というような理由で積極的な就活(準備を含む)を停止して無職を続行させている。
今年の9月に結婚したわけなのだが、「主婦」と言っていいほど家事分担の多くを担ってはいないし、生活費等もきっちり貯金から納めている。なので、自分のことは主婦ではなく無職だと思っている。
別に、妊活を見越して就職を渋っているわけではない。就職以上に親になる覚悟なんて全くできていないしその辺は今は全くの無計画である。(その件でゆっくり悩んでいられるお年頃でもないところが、重ね重ねキツイが、そのあたりを語りだすと長くなるのでこのへんでやめておく・・・)

11月(今月)はスクール通学時代に課題に追われて全然やれなかった「デザイン自体の勉強」に時間をたくさん使った。
具体的にはイラレ・フォトショの操作習得、手を動かしながら何かを作る系の積ん読の消化、グラフィックデザイン関連の積ん読の消化を無理しすぎない程度に、就職を横に置いて集中してやっていった。それらをデザイン力の筋トレの気持ちで取り組んだ。
あんまりグラフィック系のことに寄り過ぎるとWebのことを忘れ去りそうだったので、比重低めにCSS・JSアニメーションの勉強やギャラリーサイトの閲覧も行っていた。
そのあたりのおかげか、積ん読はいい感じに消化されていき、イラレ・フォトショはググらなくても自分で操作のあたりを付けられる箇所が増え、調べ方もこなれてきた。
本を読んでいると、「これ、あのとき作ったデザインに似ている」と過去の知識との結びつきが生まれてきており、うっすらとだが知識と知識のシナプスが繋がりつつあるのを感じる。
なので、就活を横に置いて気がかりだった勉強に注力した11月の過ごし方に後悔はない。

そうはいっても、いずれは就職する。
生活するにはお金が必要なため、就職する未来は変えられない。貯金を使い尽くすわけにはいかない。
私はわりかし想像した未来がやってくる「引き寄せ」的なことを信じているので、自分なりの「良い職場」「理想の働き方」がきっちり想像できるよういなってからじゃないと、就職しないほうがいいと考えている。
今は「地獄の職場」や「胃が痛くなるシチュエーション」「できもしないことを無茶振りされてやり遂げるけど心がぼろぼろになる自分」はいっくらでも想像できるのだが、そんなん想像したところで何一つ良いことがない。
だけどどんな仕事をしたいとか、どんな環境で働きたいとか、働くことが恐ろしすぎて全然言語化できないのだ。
これは、時間が解決してくれることなのか、カウンセリングサービスとか使った方がいいのか、よくわからない。
就職のことを考えると、こんなことばかり考えてしまうので、それよりは勉強に振り切った方が良いだろうと思い振り切ってみた、そんな11月だった。

ちょっと話は変わるが、無職になってから始めたこのnoteについて。
私は感情の言語化が苦手なので、その特訓ができたらいいなとか、書くことで思考と感情の整理ができたらいいなと思って始めた。ついつい、頭の中で考えすぎて煮詰まって実体以上のストレスになってしまうので、それを防げたらいいなと思った。
あとは、やはり自分なりの理想の働き方をきちんと言語化したいというのは当初から思っていて、それには過去の職場でのことをきちんと振り返る必要があると考えた。なので、まだ途中だけどそのことは記事にしたりしている。
何だかそういう目的があったのに、最近の私は感情の言語化をスーっと避けていたような気がする、本当は書きたいのはそういうことなのに、楽してお買い物日記や美容医療レポみたいなことを最近は書いてばかりだった。そういう記事ももちろん書きたくて書いてはいるのだが、他に書きたいことあるのに目の前の優先度の低い仕事にとりあえず手を付けているような状態だった。
もうちょっと「感情の言語化」をしていきたい。

無職の自分も、就職に対してぐずぐずしている自分も、別に全然好きではない。きちんと働いて、美味しいもや欲しい物にお金を使って貯金もしたい。
でも、その「したい」は別にやりたいことではないと思う。そうしていないと、きちんとしていない自分を許せないような、義務的な気持ちだ。
義務をきちんとこなしていると安心するが、充実はしないし、やりたいことをやっている気持ちにはなれない。


前職の同僚たちと作っているアプリのデザイン作業に全くやる気がでないのに打ち合わせが迫ってきたので、今日はどうにか進捗させるためにドーピングとしてカフェにやってきた。でもやっぱり全く捗らなくてこうやってnoteを書いている。
正直、このアプリ制作もやめてもいいなと思っていて・・・そんなに楽しくないというか、同僚たちの状況も色々あって全然進まないのがやきもきする、一応ポートフォリオに乗せるという名目で続けてはいるが、今着手しているところが終わったらもうこれ以上の機能追加はやめて私の中では終わったことにする予定である。
今でも前職で働き続けている同僚と画面越しとはいえ定期的に会うのは、結構心理的負担なんだなと気づきがあった。無職と会社員は混ぜるな危険!である。グループ活動は全員が同じような熱量でないときついし進んだ感がないとさらにきつい、とりあえず、1時間手を動かしてみてどうにも気が乗らなかったらあきらめよう。

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