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【短編小説】白いヒマワリ

「まだ、覚えてくれてる?」

 白い入道雲が浮かぶ夏の空に向かって一人呟いた。

 約束をしてから随分時間が過ぎてしまった。私はまだ約束を果たせていない。だから、あの場所にも行けないままだ。

 良い歳して未だにフリーター止まりの自分が情けない。

 小さくため息をつき、いつものアルバイトに向かった。


 高校時代、私はよく線路跡に絵を描きに行った。

 春にはタンポポ、夏にはねこじゃらし、秋にはススキが顔を出す素朴な景色。そこは私の心の拠り所だった。色んなしがらみを忘れて穏やかになれるオアシス。

 そのオアシスに魅入られたのは私だけではない。同級生の彼も線路跡をよく訪れていた。

 彼とは小学生の頃からの付き合いだ。同じクラスにも何度かなった。が、特別な会話はなにも無い。本当にただの同級生。それ以上にも、それ以下にもなれなかった。

 彼はギターを抱え、木の車止めに座りながら歌を歌っていた。聞いたことがない歌だったから、きっとオリジナルだと思う。

 自作の歌を家族や友達に聞かれるのは恥ずかしいのだろう。だからここに来てるんだな、と思った。

 私も風景画を家族や友達の前で描くのは嫌だ。適当な感想も聞きたくなかった。興味がないことなんて、私にはバレバレだから。

 イラストや漫画を描く子はいても、風景画が好きな子はあまりいない。絵が好き、と言う共通点があってもその中身は全く違う。

 クラシックが好きな人とJポップが好きな人とでは、話が合わないのと同じだ。……多分。

 趣味がマイノリティだからなのか、それとも私の性格の問題なのかは分からないが、心から信頼し合える友達は出来たことがない。だから彼も同じような悩みを抱えているのかも、と勝手に仲間意識を持っていた。


 いつも同じ空間にいるのに会話はない。お互いマイペースに好きなことをし続け、気づけば一年以上経っていた。

 変化が起こったのは、遠くでセミが鳴いていた夏のある日。

「進路どうするの?」
「…………え?」

 突然話しかけてきた彼はもう一度同じ言葉で問いかけた。

「進路、どうするの?」
「進路……? え……び、美大に行きたいと思ってる、けど?」
「そうなんだ」
「……」
「……」

 何故そんなことを聞く? そもそも今まで一言も話したことが無いのに、突然過ぎはしないだろうか。

 彼は何事も無かったかのように歌い出した。セミの声に混じって聞こえるそれは弾んでいるように聞こえた。

 いつからだったんだろう。彼は時々メモを取るようになった。本格的な曲作りを始めたのだ。

 そして、いつからか……私が描く青空の下に人物が入り込むようになり、白いヒマワリが咲くようになった。

 ヒマワリなんて、ここには咲いていないのに――。

 彼の歌の中にしか現れないはずの白いヒマワリを、私も自分の手で生み出していた。

 涼しくなっても、寒くなっても、暖かくなっても、私の手から生まれるのは、ノスタルジックな車止めに座る彼と、白いヒマワリだった。


 いよいよ受験本番を迎えた私たち。さすがに線路跡で会う機会は減った。でも時々彼は現れた。彼が来ると、虹を見たときのような気持ちになる。

「歌手になりたいの?」と私は聞いた。

 高校最後の夏休み。会えたことが単純に嬉しかったから、舞い上がった気持ちのまま聞いてしまった。

 Tシャツ姿の彼は、首から下げたタオルで口元を隠しながら

「……まぁ、うん」と恥ずかしそうに答えた。
「なれると良いね」

 彼は一瞬の間を置いて、私に顔を向けた。

「デビュー出来たら、ジャケット描いてくれない?」
「え……私、風景画しか描けないよ」
「知ってる。小学生の頃、賞獲ってたよね」
「そんなこと、よく覚えてるね」
「感動したから」

 あの時描いたのは、小学校の校舎だ。花壇に白いヒマワリが咲いていたのを思い出す。

 小学生時代に描いた拙い絵に『感動』なんて言葉は不相応だ。でも、彼の言葉は私の心に溶けていった。

 彼が歌う白いヒマワリはあの花壇のヒマワリかもしれない、と自惚れてしまうほど嬉しかった。

「描いてくれる?」
「……うん。私もプロになれたらね」
「じゃあ、お互いプロになれたらここで待ち合わせしよう」

 私たちは微笑みあった。

 私にとって彼は初めての仲間だ。

 自分のために、彼のために、夢に向かって突き進める。何があっても頑張れる。

 あの時そう確信した。


 美大を卒業してから数年、私は細々とではあるが絵の仕事を貰えるようになった。

 しかし、デビュー作はこれです! とハッキリ言えるものは無く、低空飛行から始まった。だからプロになれたと自信を持てないまま、モヤモヤした日々を過ごしていた。

 約束をした日から、私は線路跡に行くのをやめた。プロになれた時に行きたいと思ったから。

 彼との接点はあの線路跡しか無い。学校では全く話さなかったし、卒業後、彼がどこで何をしているのか、私は知らない。

 彼はデビュー出来たんだろうか。それなりに新人歌手を調べてはいるが、まだ見つけられていない。


「お世話になりました」

 アラサーの仲間入りを果たした私は、いよいよ画材屋でのアルバイトを辞めた。

 一人ならギリギリ生きていけるだけの収入を得られるようになったので、これからは自分の腕だけで食べていくことに決めた。

 この状態がいつまで続くのかは分からない。でも今現在の私はプロだ。誰がなんと言おうとプロになったのだ。

 私はアルバイトを辞めたその足で、十年以上訪れなかった線路跡に向かった。

 今日はうだるように暑く、秋が待ち遠しくなる。でも私の中のあの場所はいつでもヒマワリが咲く夏だった。だから行くなら絶対、青空が広がる夏が良いと思っていた。

 線路跡はあの時と変わらず、草が生い茂っている。線路沿いのねこじゃらしが、線路を守っているみたいに見えた。

 彼と一緒に歌っていたセミは、今はいないパートナーを呼んでいるかのようだ。

 私はのんびり線路の上を歩いた。いつもの終着点に向かってひたすら真っ直ぐ。

「……え?」

 車止めの向こうに、ヒマワリが咲いている。彼の歌に出てきた、白いヒマワリが太陽に照らされて光っていた。

 夏の暑さなど忘れて、思わず駆け出した。ずっと絵を描いていた私には分かる。ここにヒマワリは無かった。

「何で?」

 誰かが植えたのだ。そんなの、一人しか思い浮かばない。

 近づいてよく見るとヒマワリの茎に白いリボンが結ばれているのに気づいた。プレゼントを結んでいるかのような、キレイな蝶々結びだった。

 私はリボンをそっと解いた。

「これって……」

 リボンには彼の名前が書かれていた。その隣にはアルファベットが並んでいる。私はすぐさまその単語を調べた。

「バンドだったんだ」

 ソロの人ばかりを調べていたから見つけられなかった。彼はちゃんとデビューしていた。ライブも時々行っているようだ。

 画面の中の彼は、昔と違って大人の色気を漂わせたアーティストだった。

 自然と視界が滲む。よかったね、と口から零れた。

 私はリボンに自分の名前を書き足して茎に結んだ。

「どうか、再会できますように」

 白いヒマワリを愛で、その場を去ろうとした。


――タッタッタッタッ……。


 誰かの駆ける足音に思わず息を呑んだ。期待するなと自制しつつも、勢いよく振り返ってしまう。

 そこにいたのはスマホで見たアーティストの彼ではなく、夏休みによく見たTシャツ姿の彼だった。

 おでこに汗を光らせ、昔と少しも変わらない彼が目を見開いて私を見つめている。

「私――」

 プロになれたよとか、私との約束覚えてる? とか言おうとしたはずなのに、口からついて出たのは、自分でも驚くくらい素直な思いの丈だった。


  ◇


 始まりは小学生の時。職員室前の掲示板に貼られていた絵を見たことだった。

 青空をバックにした校舎と花壇と白いヒマワリの絵。絵画コンクールで入賞したその絵が、なぜかずっと忘れられなかった。

 珍しい構図だったとか、奇抜な色を塗っている何てことは無かったのに、俺の脳裏から離れなかった。絵に詳しいわけでもないのに、どうしてこんなに惹かれるのか自分でもずっと理由が分からなかった。


 理由に気づいたのは高校に入ってからだ。

 線路跡で彼女を見かけたのは本当に偶然だった。気分転換の散歩なんて、後にも先にもあの日だけ。

 珍しく風が弱くて、気持ちの良い春の日だったから散歩に行こうと思えた。

 人混みを避け続け、たどり着いた先がたまたま線路跡だった。

 彼女は小さな折り畳み式の椅子に座って絵を描いていた。足元に絵の具や瓶の水入れを広げ、俺に気づかないほど夢中になって描いていた。

 その横顔を俺は以前にも見たことがある。小学生のときの図工の時間だ。校内の好きな場所で絵を描く授業のとき、一人だけ校庭を選んだ彼女。暑さなんて少しも感じていないかのような真剣な横顔を、俺は涼しい図工室から眺めた。あの時から俺は彼女のことが好きだったのだろう。

 線路跡で歌を歌い始めたのはもちろん下心があったからだ。話しかけるタイミングを探ったり、話しかけられることを期待したり……。作詞作曲なんてただの趣味でしかなかった。なんとなくで始めたギターだったし。

 でもいつの間にか、あの特別な時間と場所が俺の創作意欲に火を点けた。

 彼女に対する思いや、自分の不甲斐なさを歌詞に起こし、メロディーをつけた。彼女のことを忘れるほど熱中した日もあったくらいだ。

 そんな俺だから、何も起こせないまま一年以上が経過した。

 俺は改めて当初の目的を思い出し、勇気を振り絞った。

 そろそろ進路を考え出す時期だ。来年の今頃は受験。それか就活している可能性もあるだろうが、……正直まだ何も決めていない。

 彼女は美大に行きたいと言った。彼女らしい選択が嬉しかった。彼女が絵を続けてくれるなら、俺も曲作りを続けてみようかなと思った。ここに来る理由にもなるから。

 

 高校最後の夏休み、彼女が俺に尋ねた。

「歌手になりたいの?」と。

 嬉しくて、でもすごく動揺して変なことを口走った。


――お互い、プロになれたらここで待ち合わせしよう。


 ロマンチック過ぎて笑われるかも。

 そんな心配は、彼女の微笑みが一瞬の内に消してくれた。

 照れを隠すために俺は歌った。

 彼女との距離が一歩近づいた瞬間だった。


 しかし、喜んだのもつかの間。彼女はあの日以来、線路跡に来なくなった。

 彼女は本気で約束を果たそうとしているんだと理解し、俺は焦った。何が何でもプロにならなきゃいけない。彼女が夢を叶えたとしても、俺が叶えていなければ告白も出来ない。だって言い出したのは俺なんだから。

 それから俺はオーディションを受けたり、動画を上げたり、芸能事務所に送ったりした。多分人生で一番ガムシャラな時期だったと思う。

 でも、曲作りを続けていれば、いつか彼女の隣を歩けるようになるかもしれない。

 それだけを希望に曲を作り続けた。


 二十代半ばになって、やっとインディーズデビュー出来た。オーディションで知り合った仲間のおかげだ。俺一人ではデビューなんて永遠に出来なかっただろう。

 でも俺が作った曲にも値段がついた。

 インディーズはプロって言えるのかな……と少し不安だったけど俺の足は自然と線路跡に向かった。

 あの頃と変わらず草が生い茂った、なんてこと無い景色だ。やっぱり彼女がいないとここの景色は映えないんだな、と改めて感じた。

 俺は彼女が来たときのため、白いヒマワリを植えることにした。彼女が初めて賞を獲ったあの絵に咲いていた白いヒマワリ。俺の気持ちに気付いてもらうために、ことごとく歌詞に入れた白いヒマワリ。

――どうか約束を果たせますように、と願いを込めてリボンを結んだ。

 

 毎年夏の帰省時期に植えに行ったけど、彼女からの連絡は無い。リボンにも変化は無かった。

 今年もまた会えないのかな。もう同級生の連絡先を辿って探してしまおうか。ネットで探しても全然出てこないし。……彼女は今頃どこで何をしてるんだろう。

 そんなことばかり考えるようになった。


 しかし、奇跡は起きた。

「え。……うそ?」

 思わず足が駆ける。走るのなんて随分久しぶりで、すぐに息が上がった。でもそんなの気にしている場合じゃない。

 白いヒマワリの横に女の人がしゃがんでいる。

 俺の足音を聞いて顔を上げたのは、昔よりずっと大人っぽくなった彼女だった。

 俺は緊張している上に肩で息をしていた。情けないことに口をパクパク動かすしか出来なかった。

「私――」

 懐かしい彼女の声に泣きそうになる。

「あなたが好きです」

 驚いた俺の口から無意識に出た声はムードもへったくれもなく、バカみたいな叫び声だった。

「お、俺も!」

 

 数年後、俺はメジャーデビューを果たした。

 デビューシングルのジャケットは線路跡に咲く白いヒマワリの絵だった。

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