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#2 yacCkaさんが言った「このまま存在していて良いんだ」

試しに書き始めたエッセイの2本目は、yacCkaさんというアーティストの方のトークイベントについて。まだ記憶が鮮明なイベント翌朝に書き記しました。


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2022年11月27日の朝7:00、目覚まし音で起きた。ぼんやりと、昨日のyacCkaさんのトークイベントのことを思い出す。昨日の夜は、すごく体力を使った気がして早めに布団に入った。でも、しばらく眠れなかった。yacCkaさんの言葉に影響されて、自分の中でも溜まっていた何か流れ出したんじゃないか、なんて考えながらいつの間にか眠った気がする。

朝起きて、yaCckaさんが廃材に絵を描くのはおくり人(納棺師)が故人に化粧をするような優しい感じにも似ている、と思った。yacCkaさんは、古民家の改修などで出た廃材に絵を描く。それをyacCkaさんは「役目を終えた廃材を作品として甦らせる」と表現しているけれど、それは命を吹き込むという感じとも少し違う。実際に一つの役目は終わっていて、これからその木材が朽ちていくことには変わりない。その流れに逆らうことなく、絵を描く。

昨日、トークイベントが始まる1時間ほど前にyacCkaさんが言った。

「以前、絵を見てくださった方が『yacCkaさんの絵は儚いですね』って言ったんですよね。」

今となってはその表現が腑に落ちる。キラキラしていて、同時に、少し暗い。なんとなく受けるその印象は、儚さだったのか。

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11月26日17:05。「あ、もう17:00を過ぎている。」と思ったとき、目の前で4名ほどのお客さんが椅子に座ってコーヒーを飲んでいた。

11月21日~11月30日の間、福岡県糸島市の前原商店街にあるカフェSAZANAMiでyacCkaさんの展示が行われている。6日目の今日、私はyacCkaさんのトークイベントでファシリテーターを担当する。

yacCkaさんは、先月フランスのパリ行われたアートサロンに出品し、日本に帰ってきたばかりだった。SAZANAMiの店主が「トークイベントとかやらないの?」と3回ほどyacCkaさんの背中を押したらしい。本人がやると決めた後はとんとん拍子で展示とトークイベントが実現した。

記録用に用意されたビデオカメラの録画ボタンが押される。私の自己紹介の後にyacCkaさんの自己紹介の番がきた。

「今、緊張して汗が出はじめました。」

照れながらそう言ったyacCkaさんは、パリで購入した黒い衣装に身を包んでいた。すごく似合っている。yacCkaさんはライブペインティングといって、リアルタイムに人前で絵を描くパフォーマンスもやっているのに、その時よりも今の方が緊張するらしい。

最初に、yacCkaさんが東京から福岡県糸島市に移住をして、知人から襖や木版などの廃材をもらって絵を描くようになったことや、墨や砂浜の砂などの自然のものを使って絵を描いていることを話してもらった。「いのちのめぐり」というタイトルがつけられたコンセプトブックには、yacCkaさんの想いが短い言葉で添えられている。そこには「めぐる」という言葉が何度も使われていた。

「えがく」ということは
わたしにとって、呼吸をすることと同じくらい
ありがたく尊いものです。
「いのちのめぐり」

yacCkaさんは、人やモノや自然や作品から人一倍多くのもの受け取っていた。そうして体に蓄積したものを「えがく」という方法で外に出す。描いていないと生きていられない。そして、描き終わるとまた何かを蓄積するために動き出さずにはいられない。

yacCkaさんのその呼吸は、きっと言葉を使うとはっきりしすぎてしまうのだと思う。言葉にならないものをそのままに描く。

私は言葉を使って吸って吐いてを繰り返す。yacCkaさんは「えがく」という方法で吸って吐いてを繰り返す。

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遅れてきたお客さんをいれて7人くらいの人たちが椅子に座ったころ、パリのアートサロンの話に移ることにした。

私は、パリに行く前のyacCkaさんを知らない。でも、パリに行く前のyacCkaさんを知る人たちは、「パリから帰ってきて元気になった」、「パリから帰ってきてどっしりした感じ」とyacCkaさんの変化を口にしていた。

「自分でも不思議なんですけど、パリに到着して空港から出たとき、まるで福岡の天神を歩いているかのように、日本にいるときの自分と何も変わらなかったんです。」

会場にいた人も少し驚く。じゃあ、絵を見た人の反応はどうだったんだろう。

「実は、日本でもパリでも、絵に対する反応はあまり変わらなかったんです。私の絵は感想を言葉にするのが難しい絵なんだと思うんですけど、夜空に見えるっていう人がいたり、海に見えるっていう人がいたり、宇宙に見えるっていう人がいるのは同じでした。」

yacCkaさんの絵を見た人がその感想を言葉にできないとき、それはそのままで良いという。絵を見た人が夜空に見えても、深海に見えても、宇宙に見えても良い。それ以上、言葉にしなくていい。

パリでは、アートサロンで作品を展示・販売する以外に、1日何時間も歩いて美術館や建造物を見てまわったらしい。

「日本とパリの違いとして感じたのは、日本の美術館はみんながお行儀よく作品を鑑賞していて集中しやすいのに対し、パリの美術館はもっと日常に溶け込んでいて身近な存在だということ。例えば、美術館が何かの研修場所に使われていたりして、割と人の話し声も聞こえるようなざわざわした空間です。」

SAZANAMiでの展示も、日常にアートが溶け込むようにコーヒーを飲みながら鑑賞できるようにした、と言っていた。

「パリの建造物を見たときに、『どうしてこれを作ったんですか』と聞くのは愚問だと思いました。何のためにとかじゃなくて、作りたくて作ってしまうのが人間なんだなって。これはきっと東京にもあるんだけど、パリではその人間の姿をダイレクトに感じました。それを見たときに、私もこのままでいいんだなと思うことができました。」

自分の存在を受け入れられたような感じだろうか。そういえば、先日yacCkaさんと話したときに「パリに行って整った」と言っていた。

「整ったっていうのは、”自分の軸が通った”っていう感じです。元気がなくなっていた植物の根元に土が盛られて、土台が安定した感じ。今までは、気づかないうちに自分の軸を他人に渡してしまって、自分がどうしたいのかよくわからなくなることがありました。」

植物に例えるところがyacCkaさんらしい。

「現実の世界では、人前に自分の作品をさらすと必ずジャッジを受けることになるので、どうしても動揺するんですよね。個展に来てくれる/来てくれない、SNSのフォロワーが増える/減る、絵を買ってくれる/買ってくれない。以前は、その動揺を溜め込んで翌日も外に出せないままでした。パリから帰ってきてからは、それをただそのまま受け止めて、流せるようになりました。もちろん、常にできるわけじゃないんですけど。」

この6日間の展示でも、いろんな反応があったと思う。その反応に影響を受けながらも、yacCkaさんの体の中で起きる現象が以前と変わったことが伝わってくる。

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トークイベントも終盤に差し掛かったところで、yacCkaさん自身のことについても聞いてみた。

「もともと絵は描いていたんですが、しばらくデザイナーとして働いていました。あるときふと、『5年後に死ぬかもしれない、だったら好きなことをした方がいいんじゃないか』と思ったときがあって、アーティストになることを決めました。そしたら、親から、子どものころの文集に『画家になりたい』と書いていたことを教えられました。」

アーティストになると決めた後、できるだけ世の中の常識に飲み込まれないように東京を出ようと思い、たまたま選んだ引っ越し先が福岡県の糸島市だったらしい。

「東京から福岡県の糸島市へ引っ越してきて、絵を買ってもらえる機会が増えたときに、”やっぱり見てもらいたかったんだ”と思いました。」

”見てもらいたかったんだ”とはどういう感じなんだろう。

「それは、”やっぱり評価されたかったんだ”っていう意味ではなくて。なんだろう、やっと”アーティストとして自分がこの世に存在しているんだ”と感じられるようになったんですよね。」


この言葉を聞いたとき、私は突然言葉に詰まってしまった。何か言ったら涙が出てしまう。


ああ、私はずっとアーティストとしてこの世に存在していたかったんだ。


私にはそんなふうに聞こえた。yacCkaさんがすごく大事なことを突然サラッと言うので、私の方がびっくりしてしまった。

しゃべれなくなっているところをパシャリ

実は、どうしてこの言葉が私に響いたのか、今も言葉で説明できない。私の中にアーティストになりたいという気持ちを感じたことはないはずなのに。でも、今まで役に立つことばかりに目を向けて、私が全く見ていなかったものがそこにあると教えられたような感覚だった。今まで、私は世界の半分しか見えていなかったんじゃないかと思うような衝撃だった。

「今、変わっていく自分のことを面白いと思えるようになってきました。」

泣いてしゃべれなくなっている私とは対照的に、yacCkaさんが笑顔で堂々と言った。

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2021年10月に作成した「いのちのめぐり」というタイトルがつけられたコンセプトブックは、今回の個展で配るのを最後にすると決めているらしい。新しい作品とともに新しい言葉が生まれていく。そして、yacCkaさん自身も別人のように変わっていく。yacCkaさんのそのストーリーに、その絵に、その言葉に出会った人たちがこれからどんな影響を受けていくんだろうか。

トークイベントに参加してくれた方の一人が最後にこんな感想を言った。

「今日この場にいる人たちは、アートの力を信じている人たちなんだと感じる時間でした。」

つい最近まで、「アート」なんて自分と関係のない言葉だと思っていたのに。"この場にいる人たち"に私が含まれている。そんな不思議な気持ちになってトークイベントは終わった。

おわりに

2本目のエッセイ(?)を書いてみて、2日連続ですごく恥ずかしい気持ちになりました。朝書いた文章を夜に読むと、なおさら恥ずかしい。でも、これを読んで何かあなたの中でも思うことがあったら、一言でも感想をいただけると嬉しいです。

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