【読んでみましたアジア本】巨匠が語る観察眼、表現するということ/侯孝賢(著)・卓伯棠(編)・秋山珠子(訳)『侯孝賢の映画講義』(みすず書房)

ここ数日、「生命力」について考えている。「生命」ではなく「生命力」。

きっかけはたぶん、7月1日の香港主権返還25周年だった。わずか数ヵ月前にわたしが現地で実際に見聞きし、帰ってきてからも伝わってくる現地の生々しい感情や人々の思い、そういったものがばっさりと抜け落ちた日本メディアの返還25周年報道の数々。もちろん、その記事はそれを伝えているつもりだろうが、どちらかというと、記者たちが現地入りする前に資料やこれまでの他社報道を参考に組み立てた「報道の枠組み」に現地で実際に取った人々の声を「証言」として組み込んだだけの報道だった。

事前に(7日間のホテル隔離という試練すら乗り越えて)現地入りしたはずの記者が、「現地で初めて知ったこと」はほとんどそこには描かれていなかった。予定調和的な、そしてきちんと関心をもってさまざまな報道を置い続けてきた人間にとってどこかですでに語られた「国安法の施行」「2019年デモの活動家たち」「報道の自由」「発言の自由」「移民」…というわかりやすいテーマに沿って作られた記事の隙間からは、現地入りして気がついた温度差は伝わってこなかった。そして、肝心の7月1日になるとすでに記事は習近平の動向とその言葉、そしてそれに対する「中国担当記者」としての分析でいっぱいになり、1日以降の報道では現地の香港人たちは完全に置いてけぼりになっていた。

記者たちは現地入りしてはいても、そこで暮らす人たちの生命力を感じとることはできなかったようだ。現地に入る面白さって、そこで自分が想像していなかったなにかに触れることであり、そこで感じた体温や生命力を伝えることが現地取材の醍醐味だと思うのだが(だって、他社や過去記事を参考にして組み立てる記事は日本にいてもできる)、現地慣れしていない記者たちはそれに触れる間もなく「ノルマ」を終えて現地を後にした。

生命力が感じられない報道は、当然ながら人の心は揺り動かすことはできない。もちろん、日本ではその直後に選挙が控えていたこともあり、マスメディア各社が浮足立ってたことも事実だが、安倍元首相の暗殺事件直前まで決して選挙戦が盛り上がっていたわけではないことを考えると、大きな節目であった25周年報道が日本人の心に残らなかったのは、やはり現地の生命力が伝わってこなかったせいだろう。

「現地に生命力を感じられなかったのでは?」と思う人もいるかもしれない。そんな疑問を持った方はこれを読み進める前にぜひ、わたしがここ数ヶ月発表してきた記事を読み直していただきたい。話はそこからだ。

もう一つ、「生命力」について考えるきっかけになったのは、このところ、『憂鬱之島 Blue Island』や『時代革命』といった、2019年デモをテーマにした香港ドキュメンタリー映画が立て続けに公開されることになり、そこで描かれた強固な「生命力」に触れたからだ。残念ながら、さまざまな事情で公開が遅れたために前述の返還記念取材に関わった記者たちはそれを見ることなく現地取材に出かけたのも事実だ。それは商業的にも、また「知ってもらう」という意味でも情報を提供する側の失策だった。

そんなことを考えつつ、日本に住む香港人の友人たちとの集まりに参加したら、彼らもまた生命力にあふれていた。それぞれが日本での生活でぶち当たった問題や不満、自分の生い立ちについての話をしながら、その姿は生命力にあふれていた。これこれこれ…これなんだよ、「人生を生きる」ということを突き詰めて真剣に考えているからこそのエネルギー。

あのパワーは日本で暮らす日本人の日常から感じることはあまりない。真剣に考えて選んだ人生だからこそのあのエネルギー。その存在に気づかないのはただひたすらもったいないし、不幸というしかないだろう。

●叙情映画の著名監督の意外な生い立ち

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