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狂気のような恋をした。(恋愛について語るだけ)


山女です。鯉の写真がありませんでした。


こんにちは、wanoです。(Twitter▶@wano49)

普段はイラストや漫画や同人誌を描いたりコスプレしたり整形非国民的アイドル偽Vtuberやったりしている(?)26歳です。
哲学、宗教、政治、歴史なども好きです。

が、文章のアウトプットの練習としてnoteを始めてみました。(新刊の原稿はどした?)
サブ垢で語ったりYouTubeでwanoの自主規制ラジオとしてやろうとしたけど三日坊主気味なので。
まぁ、ただ語りたいだけです。


今日はバレンタインデーということで、私の思う恋愛観について書いてみたいと思う。

私は坂口安吾という小説家が好きで、中でも「三十歳」という作品が大好きだ。
一部分を暗唱できるくらいには好き。

⬆青空文庫で全文読めるのでぜひぜひ

恋愛小説…?というか実体験に基づいた私小説なのだが、とても心にくるものがある。(胃がキリキリするやつ)

坂口安吾は、太宰治と並び終戦直後に無頼派と呼ばれ、人気になった小説家だ。
この小説では、安吾が矢田津世子という才能ある女流作家に恋をし、別れるまでを書いている。

安吾は自由奔放で豪放磊落、破天荒な性格と言われていたが、一方で回りくどくて理屈っぽい文体は、その性格の複雑さを表していると思う。
そしてとてもよく人の心の機敏に気がつく人なのだ。
まあ私に似てるってことですね(失礼)


“当時を追憶して私が思うことは、私はあれほどの狂気のような恋をした。
然し、恋愛とは狂気なものではあるが、純粋なものではない、ということに就てだ。
狂気とか、狂人という、いわば一つを思いつめた世界も、それを純一に思いつめたせいではなく、思いつめ方に複雑で不純な歪みがあり、その歪みが結局、狂気の特質ではないかと私は思ったほどである。”

んーすごく回りくどくて大好き。
この読むのめんどくさくなる感じ。

矢田津世子を二年間も思い、聖なるものとして歪んだ憧れを抱いていた。
他の女を求めるがその度に女に逆上したように怒り、生きる目的と夢を矢田津世子に抱いていたのである。
なんだか宗教みたいですね。

しかし現実のところは矢田津世子も一人の女であり、人間でしかない。
自分のために、「安吾は天才だから、いつか必ず成功する」と持ち上げる一方で、「女、ではなく女の人、と仰有い」と言う浅ましい虚栄心を持っている。


二人は惹かれ合いながらも、憎しみと蔑みを同時に抱いているのだ。
狂気のような思いつめ方とゆがんだ理想を相手に抱いている。
いくら冷静に論理的に分析をしても、結局のところそれだけの人間でしかない。
すごくよくわかるし共感する。
そしてそれがいわゆる“恋らしさ”だと私は思う。

真の愛情とは、見返りを求めずただ与え、それ自体に喜びを見出すことにあると思う。
私はそういう人を知っている。
つまりそれとは逆行した歪み方をしているのだ。
そして、二人は付き合うことなく三十歳のころに別れることになる。

私たちはお互に、肉体以上のものを知り合っていた。
肉体は蛇足のようなものであった。
私たちはすでに、肉体以上のものを与えあっていた。
肉体を拒否するイワレは何もない。
肉体から先のものを与え合い、肉体以後の憎しみや蔑みがすぐ始っていたのだ。”

“私たちは、慾情的でもあった。
二人の心はあまりに易々と肉体を許し合うに相違なく、それを欲し、それのみを願ってすらいた。
それを見抜きあってもいた。”

おそらく、二人はお互いに精神が未熟であることを、未熟ながらによく理解していたんだと思う。
だから、最初からそのような予感がしたんだろう。


精神分析学者のエーリッヒ・フロムは
愛することは技術だ。
意識的に相手を尊重し、成長を気にかけ、相手を真に思いやることだ。
その為にはまず自分自身の人生を充実させ、成熟した人格を持たなければいけない。
一人の人を愛するということは、全ての人を愛するということであり、世界と生命を愛することなのだ。」
と著書で語っている。

これって、1体1で相手だけを見つめる、“自分だけを見て欲しい、相手に求めてばかりの恋愛像”とは程遠いですよね。

見返りを求めない愛し方をするには、精神が自立していることが前提だ。 
愛することは、怖いし勇気がいる。
永遠のものなんてないんだ、と唱えることは心の弱さから発生する“逃げ”である。
つまり愛することのできる人は、強く優しいのだ。
そして変わりゆく物事の中で、信じるということと、信じるという決意と、それに基づいた行為が愛なのだ。
と私は思う。


まだそんな愛し方をできないという自分自身の未熟さを、私はいつも感じている。 
相手になにかを求めてばかり。
自由を求めて逃げ出すけど、不安に耐えられず誰かに飼われることを求める。弱い人間はそれを繰り返すのだ。
やられたらその分だけ返す、ではマッチャーの幸せしか得られないだろう。
それでも見返りを求める。
私はとても愚かで恥ずかしい人間だ。


去年の夏くらいにタイトルの絵を描いたりしたなぁと思い出したり。なんかこういう事をもっと表現できたらいいなとも思うんですが、いかんせん絵は下手なので色んなことに挑戦し続けている次第です。
またぽつりぽつり語っていけたらと思います。

坂口安吾のゆかりの地である新潟県新潟市にも行ってみたいな。
寒い中ですが、みなさんも心身を大事にお過ごしください。

それでは。

wano

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