わんこらメルマガ No.32 勉強はいつはじめても遅くない/「対称性より~」の意味と正二面体群

▼わんこらメルマガNo.32
2020/11/1

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【今週の目次】
1.今週の一言
2.わんこら式『勉強はいつはじめても遅くない』
・小学校の時は成績は普通やった
・公立中学でも成績は普通やった
・学区2位の公立高校で、最初は普通よりちょっといいだけ
・京都大学理学部でも最初は全然できなかった
・社会人になってもまだまだ新しい勉強ができる
3.数学・物理コラム『「対称性より~」の意味と正二面体群』
4.ふにゅ
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1.【今週の一言】
こんにちは、わんこらです。
今週は先週の続きで東京大学理科三類を目指しているnloglognさんへのわんこら式お悩み相談で東京の数学で満点をとるにはどうしたらいいですか?
の動画を更新しました。
https://www.youtube.com/watch?v=lunRzb42O-I
わんこら式のヒントになると思うのでぜひ見てください。
今週の勉強法の話はいつ勉強しても遅くない話を書きました。
今から勉強しても無理ですか?聞かれますが、僕はいける可能性があると論理的な意味で答えていて、励ましてるとかではありません
その話を書きました。
数学物理コーナーでは対称性について書きました。
大学で対称性の数理を習ったり、表現論を専門にしていたので大学レベルの二面体群を高校生レベルでも理解できそうなレベルに落として書いてみました。
今週もよろしくお願いします。

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2.【わんこら式】
『勉強はいつはじめても遅くない』

・小学校の時は成績は普通やった
今回はいつがんばっても遅くない話を書きたいと思います。

例えば僕の場合は実は小学生の時の通知表はずっと5段階評価で5をとったことがありませんでした。

それで5年生くらいで初めて理科で5をとりました。


小学校の時に5をとったことあるのはこの理科だけです。

とてもではないけど、模試で全国で1桁台の順位をとるような成績ではありませんでした。


中学受験はどうやったのかというと、最初は進学塾に行かされていましたが小5くらいの時に喘息でほとんど学校にも行けなくなる時期が多くあったのでやっていません。


夜に発作が起こってきて、気管支が縮まって朝まで息が出来なくて苦しみ続けました。

あんなにしんどいことはありません。


朝になってお医者さんがあく時間になって、ようやく吸入して息が出来るようになりました。

それを毎日繰り返していました。

とても塾にも通えるような状況ではなかったので受験はやめました。


しかし中学受験を受けたかったら受けるので、結局は僕が塾で勉強するのが嫌いやったからやめた感じではあります。

特に中学受験の算数と理科の講師もやるようになってから、生徒がやらされているのではなくて本人が行きたいと思ってることを知って

嫌々やっていた自分の中学受験に対する気持ちと大きく意識の差があり、より自分が嫌やったから受けなかっただけということを感じるようになりました


・公立中学でも成績は普通やった

そして公立中学に行きました

公立中学になると成績は結構、普通でした。

普通の人よりは良いかなってぐらいです。

点数的にも五教科で360/500くらいでした。

もはや公立中学でこの成績では名前のある大学に行くのが難しい感じです。


その時は理科だけは結構良かったという感じです。

数学は毎回クラスでベスト10が発表されますが10位に微妙に入るくらいでした。


それで僕は当時、人間関係の立ち回りが下手くそで友達から干されていました。

中2の時にいつも仲良かった友達みんなに無視されて

話しかけると

キショ

ってどっか去っていきます。


そしてそれが何か月も続いて学校も休みがちになりました。


その原因は中学になってくると、生き方の違いが強くなっていくので

僕が少しでも良い点とったり、遊びを断って家で勉強したりとか、家でゲームをやってクリアしたりなど、和を乱す行動をしてしまうと排除されることにありました。

そして、排除されたり仲間外れにされるのが恐いという弱さが僕にあり、そういうところにつけこまれる原因がありました。


それにいずれ価値観の違いで、こうなるとわかっていたのに親の言うことを聞かずに中学受験を嫌がっていたことにも原因があります。

しかし、このままではいけないと思ったので僕は自分の道を進みたいと思うようになり一人になっても勉強することにしました。

学校を休んで家で徹底的に勉強しました。

いつも苦手な国語でさえ、文法や漢字を何度も繰り返して練習をして覚えたり、教科書ガイドを何度も読んで覚えたりとかしました。

社会も覚えないといけないところを何度も繰り返して全部覚えました。

英語も苦手でしたがきっちり単語や文法も何度も繰り返して覚えることにしました。

理科は元からある程度得意でしたが、数学は解けないといけない問題を解けるようにしていきました。


そうすると、そこからは五教科で500点満点中450点をこえるようになってクラスで1位か2位ぐらいになりました。

そこから僕は勉強をするようになりました。


中学では最初は通知表も5段階評価で理科の5以外は3ばかりでたまに4って感じでしたが
中3の最後の方では副教科も含めてほとんど5でした。

副教科は実技がダメでもテストで点数をとれば評価をくれると、最後の方は攻略の仕方がわかってきていました。


そして何とか内申点を稼ぎましたが、担任の英語の先生からはあまり賢くないイメージあったそうで
学区1位ではない2位の高校を受けて入学することになりました。


・学区2位の公立高校で、最初は普通よりちょっといいだけ

そこで勉強をし続けました。

定期テストでは成績上位程度でとてもではないけどトップではありません。

更に進研模試では定期テストよりも悪い点をとりました。


この時点でもとてもじゃないけど、京大に合格するような点数ではなく国公立に行くのが難しい感じのレベルでした。


それがショックでずっと倒れていました。

当時は携帯でさえほとんどの人が持っていないネットもほとんどない時代なので勉強の仕方は本当にわかりませんでした。

そこで予備校に通うことにしました。


そして勉強をし続けて模試で数学を学年トップとるようになりました。

それからずっと数学はトップでしたが、理科が入ると物理と化学もトップでした。

そして理科が入ることにより総合でも学年トップになりました。

その時には高校の同級生が僕の中学の同級生と話すと

あいつ中学の時はそんなに賢くなかった

とか言う話になっていました。


そして勉強を重ねて高3では構内偏差値90越えの断トツトップで、兵庫県の公立で僕が1位をとったということを聞かされました。


しかし、この状態でも難しい駿台の全国模試や東大模試や京大模試で名前が上位に載るようなレベルでは全然ありませんでした。


そして浪人してよく寝るようになってから、全国模試や東大模試や京大模試で数学や物理で1桁台の順位をとるようになってきたりしました。


・京都大学理学部でも最初は全然できなかった

そうやって京都大学理学部に進学しました。

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