生活保護と猫とホームレス
メンタリストDaiGoさんの発言、反対しかない。
私は人間を、人間の命を、人権を軽んじる人を支持できない。しない。
ヒトが繁栄した理由の1つは集団を組んで社会を形成した点だ。
社会を継続する仕組みの一部が相互扶助、それが発展したのが福祉だと思う。
私は社会の恩恵をたくさん受けて今日まで生きてきた。
そんな社会を維持したい。
だから福祉、もちろん生活保護も必要な制度だと思う。
たまたま今健康で収入があるだけで、私が受給者になる未来はゼロではない。
ずるい言い方だけど自分の可能性の一つへのセーフネットを、税金を払って支えている。十分意義はある。
ホームレスの方と猫の命の重さについて、私はメンタリストDaiGoさんとは真逆の意見だ。
人間の命というのは、等しく尊ぶべきものだ。
その人の社会的立場や年齢や性別、あるいは経済力で命の価値は変わらないし、変えてはならない。等しく守られ、他者から軽んじられたり侵害されてはならないものだ。
偽善だ、実際は違うと言う人もいるだろう。
けれど、先人達が長い歴史の失敗からその人権を守ろうとたゆまぬ努力を続けたから、私達は現在の、多少の不満はあれどこのある程度安全な社会で生きていけるのだ。
そして私はそう努力を続ける人間を支持するし、自身もそうでありたい人間だ。
だから動物と人間の命を秤にかけなければならない場合、私は人間を選ぶ。
例えば避難所でペット同伴の避難者とアレルギーや喘息持ちの避難者が対立してたとする。
解決策がペットが去るか疾患ありの人が去るかの2択なら。
対人間の医療従事者の端くれだからもあるけど私は後者に味方する。残酷で人でなしなのは承知。
人間はそんな状況でも折衷案を出すだろうし、2択でないのなら私も喜んで別案を考える。協力する。平時の今その対策をしようと頑張っている人たちがいるのも知ってる。
私は見知らぬ動物の生存と見知らぬ人間の健康だったら人間を選ぶし、親しい動物と見知らぬ人間でも人間を選ぶ。
どんな人間でもどんな動物でも、人間の命のほうが大事だし守られて欲しい。
動物の命が人間より重い人が多数になったら、人が社会の仕組みあるいは法として認めてしまったら、それは極めて歪な社会だ。
私は人間の社会で生きてその恩恵を受け続けているし今後も受けるつもりの身なので、ただ一つしか選べないなら人間を救うことを選ぶ。
動物も大事だ。
人間が秤にかけられていない場合なら、動物は優先する。
家族の一員としての生活は何物にも替えがたいものだ。当事者にとって家族の動物と人間の命の重さは同等か、人間関係によっては前者が勝ることもある。
けれど私は、自分が動物と秤にかけられた結果社会から捨てられ、自分の生存を粗末に扱われるのは納得できない。どんな人間にもそういう目にあって欲しくない。
私は人間だから、そういう社会では生きていけない。
そして人間だから、そんな社会にならないように行動できて、人間も動物もある程度生存している今があるのだと思う。
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