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「で、それで売れたの?」という問いが消えるとき

年末年始コンテンツが多いからか、広告やPRまわりで考えさせられています。

証明写真を駅に掲載したインターン生がちょっと炎上していたり、話題になったYouTube動画にPR表記がされていないと怒る人がいたり、そごうの逆さから読む広告が絶賛されていたと思ったらすぐ叩かれてたり(去年は女性にパイ投げする広告で炎上していました)、Netflixの新聞広告が攻めててすごかったり。

それぞれ文脈はバラバラなのですが、あさぎーにょさんの動画はすごかったですよね!

クリエイティブとして評価が高い理由については他に譲りますが、これがYouTubeで出てくるのすごいなぁと関心してしまいました。

クオリティもさることながら、この動画が「サントリー食品インターナショナル株式会社」さんの提供(スポンサードコンテンツ)ということの意義が深い。「熱海市のPRにもなっている」という声も見かけましたが、熱海市はあくまで撮影協力みたい。クレジットをまじまじと見てしまいました。

でも(最近の広告系案件でおなじみの流れとなりつつありますが)こんな声もありました。

「タイトルにPR表記をしていないのはどうなの?」
「最後まで見ないとスポンサードとわからないのはよくない」
「結局、売上は上がるの?この商品買いたいとは思えなかった」

など。たしかになーと思いつつ、これに限らず事例を見ていてなんだか違和感があるので、これを書いています。

広告なのか、PRなのか、販促プロモーションなのか

そもそも、そのコンテンツの目的やねらいを考えていない批判が多すぎるなと、いろいろ見ていて思います。

個人的には「PR表記」というのが好きじゃなく「AD表記」にしてくれーと思っていたのですが、最近は「AD」ですら違うかもと思いはじめています。

企業からなにかしら出てくるコンテンツには、それぞれ目的があります。

広告の目的は、商品やブランドを好きになってもらうこと。それがそのまま「売ること」につながる場合もありますが、「商品を売る」が必ずゴールにあるわけではありません。ただ単に会社のことを好きになってほしい、というケースもあります。

PRも、その目的という意味では広告と重なる部分が多いです。広告がバシッとインパクトを与えてくれるのに対し、PRはじわじわと空気を変えたり、コツコツと関係を築いていく方法が取られます。

販促プロモーションは文字通り、「販売を促進するためのプロモーション」なので、「売ること」がダイレクトに目的になります。割引やプレゼントのキャンペーンなどがわかりやすいです。

広告、PR、販促プロモーション。大きなグローバル企業ではそれぞれ別の専門部署があったりするのですが、日本ではこれらがごちゃ混ぜにされています。その理由を追求すると戦後まで遡って歴史の話になるので割愛しますけれど。

だから、「商品を売る」ということと結びつけてなされる批判は、ぜんぶずれてるなーと思ったりします。

そしてこれからの時代は資本主義の文脈のうえに置かれないスポンサードコンテンツが出てくるので、広告・PR・販促プロモーションのどれを当ててもしっくりこない別軸のものになっていくかもと考えています。

ポスト資本主義時代のスポンサードコンテンツ

広告/PR広報/ブランディング/宣伝/クリエイティブ/マーケティング/プロモーションなどのもはや言葉も充てがたいこのへん全体に、やっと令和が訪れた感すらある。

とツイートで言ったのですが、このへんの業界発で、資本主義時代のスタンダードがひっくり返ろうとしているのかな、と感じました。その意味での「やっと令和」。(令和令和って便利だから使いがちなのはよくないと思ってますすみません)

数年前から評価経済だ価値主義だなんだと言われながも、「企業活動」にかんしていえば、まだまだ脱・資本主義はできていませんでした。

「売上を伸ばすこと」が企業活動のベースであり、全社をあげて目指すべきゴールです。この価値観はそう簡単には変わらない。

資本主義社会は、男性主体で作られた社会のあり方。現在のビジネス界はこの構造の下で成り立っているので、男性的思考回路で考え、判断・意思決定を下したほうが、企業価値向上のための最短ルートを取れる構造になってしまっていて、なかなか変われない状況があります。

ちょっと話が逸れますが、だから資本主義が定着しているかぎり、女性の働き方改善なんかもうまくいくわけがないし、(あくまで資本主義社会の中心で)女性が成り上がっていきたいと思ったら、「オス化」していくしかありませんでした。これは誰を責めることもできない構造上の問題。

男女の話は置いといて、、

資本主義社会の下では「売上を上げる」ということが企業活動のゴールだとすると、話題になった広告案件にたいしてすぐに、

「で。売上に貢献したの?」

という声が出てきます。PR表記についてなにか言われてしまうのも、「商品を売りたい」という企業側の本当のねらいが隠されているように見え、騙されたみたいに感じるから。

でも、たとえばあのYouTube動画だけ見ても、目的って「商品を売る」ではないですよね。個人的には「企業の評価を上げる」ですら、もはや違うのだなと思いました。

企業が追うべき社会的存在価値

最近の企業から出てくるコンテンツとその反応を見ていると、「企業の社会的存在価値」が明らかに変わってきていると感じました。

これからみんなが目指していくのは、「イイねと思われる企業になる」こと。以前から言われていることですが、大事なのは、それ自体が目的になり得るということだと思います。

従来は、「イイね」と思われた先に「売上」が絶対王者的に君臨していました。企業のレピュテーションを高めて、売上に還元する。従業員のエンゲージメントを高めて、売上に還元する。PR動画をバズらせて、売上に還元する。どれもこれも売上に結びつけてしまう。

でもそうじゃない。

もう「売上」じゃないんです。

あえて言葉にすると「社会的影響力」や「社会貢献度」など(言葉にするとまだちょっと陳腐に感じるので、概念で考えるといいかも)。まだ数値的指標は追いついていないので、当面は「売上」も重視されると思いますが、こっちを追い求める企業は増えていくはずです。

企業とはそもそも「売上追及」に最適化されて生まれた組織形態で、それが存在意義でもあったので、そこから離れていくって、歴史的にはわりとすごいこと。その始まりを感じたりしませんか。

「で、売れるの?」というPRパーソンとして耳タコなセリフを、聞かなくて済むようになる日も近いのだと思います。

企業活動はもっと人間的になってゆく

これからテクノロジーの進歩による余剰時間の増加で「遊び」や「エンタメ」の社会的立ち位置はみるみる変わっていくので、生み出せた利益をそこにつぎ込む判断をする企業が増えていくと思います。

自社商品によって出た利益を回し、企業活動の一貫としてエンタメコンテンツをつくっていく。それ自体が「企業活動」になり、もっと人間的な価値を提供してゆく。

サントリーのように業績好調で、ブランド認知度もほぼ100%、スーパーやコンビニなどで一瞬のうちに意思決定される日用品(こういう商材のことなんて呼ぶんだっけド忘れ)から、こういう方向にシフトしていく気がする。

予算さえあれば出てこれるはずだった潜在コンテンツはまだたくさんある気がするし、限られた制作費のなかでクリエイティビティを持て余している人たちは、その能力をもっと解放できます。これが企業が提示する、新しい社会的存在価値。

そう考えると、広告や作品(あえてそう呼ぶ)がどこのお金で作られたかを明記したり、民間企業がお金を出しているという事実を真っ先に提示することって、そんなにマストなんですかね。

生まれてから今まで当たり前だった資本主義的思考を抜くのは簡単じゃないので、「売上向上だけが目的ではない」と言われても、腑に落ちない人も多いかもです。企業側が得るなにかしらの「利益」が可視化されないとスポンサードコンテンツを納得して見れなかったりしますが、その前提から覆ろうとしていることを、認めるときだと思います。

ドラマで考えればわかりやすいかもしれません。大ヒットしたその先に、別の目的があるわけではありません。話題になることに目的なんてなくて、話題になること自体が目的。制作スポンサーはいてCMも挟まってくるけど、コンテンツ自体はその商品をダイレクトに売るために作られているわけではない。

何にしろ、どうしても「広告費」が気になってしまう人は多いようなので、お金の流れにもトランスペアレンシーが適用されていけば、もっと理解も追いつくかもしれないですね。

そういう世の中は、どうですか?私はけっこういいなと思ったりするのですが。

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