見出し画像

複業時代にフルコミットにこだわることの価値とは

パラレルにいろんな仕事をする「複業」、会社に雇用されながら業務時間外でやる「副業」。そんな働き方も市民権を得る社会になってきました。

それでも「フルコミットでお願いしたい」と言われることはよくあります。業務委託も戦力にはなるけど、欲を言えばフルコミット人材がほしい……。という本音の企業さんも多いのではないかと思います。

いくつかの収入源をもつことが当たり前になる時代に、フルコミットにこだわることの価値とは何なのか。副業・複業は、働き手にとってしかウマミのない話なのか。注げる愛の総量と成果は費やした時間によって決まるのか。ということを考えました。

私としてはまだ答えに辿りついていないので、タイトルは疑問形に近いものでフルコミットを否定も肯定もする意図はなく、途中でパラレルワークの良さを語りだすかもしれませんが、あくまでもう少し解像度を高めて考えてみてもいいんじゃない?という考えのシェアです。

「フルコミット」は時間や契約形態で決まる?

一般的なフルタイム社員の労働時間は、1日8時間×週5日の月160時間勤務。この枠にハマり、休日や有給などは会社の制度に従いながら、フルタイム社員として働くことを「フルコミット」というのだと思います。

最近では時短や週3勤務の正社員もいるので、契約形態が正社員であることが必ずしもフルコミットではなさそうです。「他に浮気するな」という精神論も多少あるのかもしれませんが、フルタイムであれば現実的に他に割ける時間は限られるため、やはり会社側が「フルコミットしてほしい」と言ったとすれば、それは「あなたが持てる労働時間のすべてを我が社に注いでほしい」という意味なのでしょう。

現実問題として、会社側としてはフルタイム社員になってくれたほうが都合がよい。フルタイム社員なら既存の人事制度に則って採用・管理をすればいいけど、業務委託なら外注扱いとなり処理のしかたが変わります。「業務を切り出して依頼せねば」という固定観念がハードルになったり、外注として一線を引いた関わり方になり業務進行がうまくいかなかったりもします。

その体制を構築するコストを考えると、柔軟にしたい気持ちがあってもなかなか対応が追いつきません。やっぱり現場レベルの人材は、フルタイムで勤務してくれるほうがラクなんだろうなと思います。

フルタイムワークで出せる価値の限界値

でも複業・副業がこれだけ普及して働き方もフレキシブルになり、リモートワークも加速した時代に、本当に今までどおり「フルコミット(フルタイム)」に固執していることって正しいのかな?と考えていたら、タイムリーにこんなツイートを発見。

感じていた違和感の正体を考えるヒントになりました。

「フルタイムで働いてもすべての時間が付加価値を出しているわけではない」

という部分に納得したのですが、これは私自身がフルタイム会社員もパラレルワークも経験してきたなかですごく感じていることです。

会社員時代を思い出すと、1日8時間勤務のうち毎日8時間フルで付加価値を出せていたかと聞かれれば自信はありません。集中力の持続性には限界があり、体調や気分によってもバラつきが出ます。

また、私の場合はコミュニケーション系仕事なので他業種にも当てはまるかどうかわかりませんが、夕方くらいに「相手の返事を待たないとこれ以上進まない」という状態になることがありました。

もちろんやることは無限にあるので他の業務に手をつけることもできますが、あの件をクリアにしてからのほうが良い仕事できるなとか、今日は早めに切り上げて体力温存したほうが効率いいなと思うなど、フルタイムにこだわらないほうが生産性が高まると思うケースも出てきました。

そもそも1日8時間くらい働くのがベストだというのも誰が決めたんだか謎で、一社の事業だけにコミットし勤務時間ベースでなんとなく「今やらなくてもいい仕事」をやると、生産性は落ちてしまいます。ひとつの課題に対してのみ向き合うより、他の課題に一度頭を切り替えてみることで、その課題へのソリューションが見えてくることもありますよね。

パラレルワークによる錬金術の正体

「複業・副業をすることで本業へレバレッジが効く」というのもよく言われる話ですが、日常の中でこれを実感するチャンスのある人はけっこう少ないのかもしれません。

先ほどのツイートにもヒントがあるように、多くの人が「限られた時間をフルに費やすことこそが最大の価値を発揮する」と信じているけれど、実はパラレルに複数の仕事をやることで、この限られた時間を100%以上使って成果の総量も増やしていく「錬金術」的なことができると思います。

たとえば、A社のメディアで取材したいトピックがあったとして、複業で担当しているB社に最適な取材対象者がいれば紹介することができます。また、C社でイベントをやるから出展者を探そうというとき、同じくD社の事業がぴったりだったりします。E社でコラボ企画を提案してF社を巻き込むと、ひとつの施策で2社を引き上げたりできます。

これは目に見える極端な例で、しょっちゅう起こるわけではありませんが、脳内の意識レベルでこういうことは多発します。複数のチャンネルを横断的に見ることで、その最大公約数的なところにある事象への理解が深まったり、知識やスキル面でもあっちこっちで応用展開ができたりします。

割く時間によって生み出せる価値の領域が重なってくるため、ひとりの人材が出せる価値が100%だったところを、150%にも200%にもしていけます。個人の関心に基づいたワークポートフォリオができている場合は特に、根幹の部分や大きな価値観が共通しているので、これが起こしやすくなる。3者にとってwin-winで、この部分こそがパラレルワークの真髄なのではないかと思うのです。

大層なことを言ったけど、そのレバレッジの先に生まれるのが「法人」なので、その役割をマイクロにやる人が増えただけの話。でも「個人」という単位で向き合うとどうしても時間単価とか人月みたいな発想になってしまうのはもったいない……のかも。

リモート時代だから考えたい「時間」との向き合い方

リモートワークが普及したことも、フルタイム勤務という「時間」について再考したくなる理由です。

フルタイムのリモート社員として働く知人に話を聞くと、在宅であっても業務時間は決められていて、出勤・退勤の概念があるとのこと。「場所の制約」は思ったより早く取り払われたけど、「時間の制約」は残ったまま。経験上、この両方はセットで開放されないとかなりキツいです。

人間が連続して集中できる時間は2時間くらいといわれている(だから映画も2時間程度で作られる)のに、朝から晩まで月から金まで自宅でパソコンと向き合い続けるフルタイム勤務は、本当にベストな生産性を出せる働き方なのかな?

社会が変わったことで、通勤時間がゼロになり、夜も週末も空いているという人は増えています。その時間をスプレッドさせて「趣味的なこと」「生活的なこと」「複業・副業的なこと」とごちゃごちゃ混ぜていったほうが、結果的に全体の生産性は上がり、事業課題解決への近道になるような気がします。

───

複業・副業を「流行りの自由なワークスタイル」という低い解像度で見ていると、「とはいえウチの事業だけに全リソースを突っ込んでくれる人のほうが嬉しいし価値が高いに決まってる」という感想が出てくるかもしれません。

でも、「副業禁止じゃ良い人材は集まらないよ」というのは、「自由にさせてあげないと優秀な人は来てくれないよ」という意味ではないんだと思います。本当の意味でレバレッジを効かせて価値を最大化させる働き方が、もはや「専属」ではなくなってくる場合もあって、優秀な人ほどそれを実践しているということ。

前時代的な雇用の時代は終わったので、もう少し高い次元でのパラレルワークの話を、そろそろしていったほうがいいんじゃないかなと思いました。「フルタイムであることが最大のコミット」という考え方に縛られていることで、失っているものはたくさんあるのかも。

なにか思ったことがあれば、ツイートしてみてくれれば見つけにいきます。ありがとうございました!


さらに書くための書籍代・勉強代に充てさせていただきます。サポートいただけると加速します🚀