コミュニケーションって何だっけ
古くて男臭い我が新聞社も、だいぶ女性社員の採用が増えた。女性に関わらずだけれど、ここ数年の○○ハラスメントという言葉によって、年齢差、性差、役職に関わらずコミュニケーションが取りづらくなったな、と思う。
新型コロナで単純に接触回数が減ったという理由はもちろんだが、物理的な距離とともに、社員間の心の距離が広くなってしまった。・・・というよりむしろ、こと仕事において、同僚と心を近付けることなんて実は必要ないんだなと気づいてしまった。毎週のように上司と飲み会に行く必要もなければ、歳の近い同士で愚痴りあう必要もない。なぜなら、それが無くても生活はできるから。家にいてメールとチャットができれば給料は貰えるから。
そしてなおさら、下手なことを言えばすぐハラスメントとして取り上げられ、気付いたら退職なんてこともザラにある。多少後輩を叱ったりしたって同じだ。むしろコミュニケーションを取る方が損する時代だ。
当たり障りのない話で、当たり障りのない仕事をしながら日々を過ごす。そんな時間が増えてしまったように思う。後輩の女性社員と話すことと言えば最近のドラマの話だ。全く興味がない。恋バナは興味あるが、そんな話はできない。後輩の適当な仕事を見ていても、怒る気力もない。だって、波風立てない方が、自分の生活に影響が出ないから。
なんとなく、多様性というのは個と個が認め合って、折り合いをつけていくことを指すんだと思っていた。ただ、今の世の中で多様性というのは、人と人の距離を広げて、個人同士が孤立していくようなイメージになってきている。
コミュニケーションは億劫で、しんどくて、できればない方が楽かもしれない。けれど、心と心が通じた瞬間は何事にも代えがたい喜びがある。いまこそ一歩踏み込んで対話をしてみる。そこに「多様性」があるんじゃないかなと、今思う。
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