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アイドルと恋愛禁止

 高校から大学にかけてドハマりしていた乃木坂46の齋藤飛鳥さんが年内で卒業する。先に卒業していった白石麻衣さんとか西野七瀬さんたちお姉さんの妹的な立ち位置だったのが、いまやグループのトップ。

 YoutubeにラストシングルのMVがアップされていたので見てみたら、なんとも儚い。アイドルとしての齋藤さんを見られるのはラストなのだ。

 「ああ、俺も歳を取ったな」と思いながら、成長してちゃんと自分で区切りを付けて卒業する、というのはなんとも儚い。

 一方で、他の坂道系グループでは文春に恋愛現場をスクープされていた。

「アイドルの恋愛禁止なんて今時じゃない!」なんて意見もちらほらと出てきてはいる。マジで正解のないお話だと思う。

 「台本」がないアイドル一人ひとりの活動って、思わぬ方向に転んでいくのが面白いのだろうなと。

 知識がある人はさらに勉強してクイズ番組とかに出ていくし、演技が上手い人は経験を積んでドラマに出たりする。バラエティ路線で体を張る人だっている。

 その子の努力や才能によって転じていく方向性にファンは魅了される。「なんでバラエティなんだよ!」と離れるファンもいれば、付くファンもいる。

 その不確実な活動と、上手くいかなければ卒業して消えてしまうという儚さが、「推し」につながるのだと思う。

 その中で、「恋愛禁止」というルールってどんな意味があるんだろうか。

 未成年のアイドルをファンから守るため?アイドルが売れるための付加価値のため?「儚さ」の演出のため?ウーン、ムズカシイ。

 最近は、「そういうものだ」とルールを一方的に押し付けられるのを嫌う世の中になったと思う。多様性の時代だ。

 それは世の中を正すためには必要な考え方なんだけれども、ことエンタメにおいては逆に息苦しくさせているような気もする。

「ルール」というファンと演者の共通の約束があるから、お互いが楽しく活動できる。

正論の一般論を当てはめるんじゃなくて、ファンと演者という小さなコミュニティの中で、「お互いが気持ち活動する」ためには「ルール」が必要なんじゃないだろうか。

 いわば、ゲームの「ルール」に近い。大富豪で「ジョーカー何枚でも可」だとめっちゃつまんない。楽しむためのルール。それをプレイヤーが「互いに認め合ってOKとしているか」が大事。

 恋愛禁止のルールは、特定の誰かを愛せない。ということは、みんなに愛情を分けてくれる。モテない男子大学生には希望だったりするのだ(俺)。

 行き過ぎたルールは是正すべき。その「行き過ぎ」をどの程度として測るのかは難しい。コミュニティの暴走もあり得る。

 SNSの浸透でそういった小さなファンコミュニティが外に見えやすくなった。ファンではない言わば「外」の人の言葉が伝わるようになった。

 幸か不幸か、今まで楽しんでいた人たちが息苦しくなってしまったのは事実。

今そこまでアイドルは追いかけていないけど、少なからず僕は、「ファンと演者の間で決めさせてやってくれ」と思う。





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