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元カノに言われた「正論言わないで」

 たまにふと思い出す言葉がある。10年前、学生当時付き合っていた彼女に、別れ話をしていたとき言われた「正論ばっかり言うのが嫌だった」

 文系の癖に理詰めで話をしがちだった私は、元カノの将来のことだったり、サークルの悩みについて論理的に応対してしまっていた。サークルも同じだったので共感できたはずではあった。よく言う「女性は聞いてもらうだけでいい」みたいなことなんて全く知らなかった私は、その回答こそが良いものだとばっかり思っていた(今の女性全てが当てはまるとは思っていません)。

 結局別れた挙句、「正論ばっかり言わないでよ」発言を受けた私は、しばらく悩んでいた。田んぼのど真ん中で「クソオッ!」と大声を上げるぐらいに。「なんだよ、正しいこと言っちゃいけないんかい・・・」と。今思えばすごい精神状態だな。

 多少大人になった今、当時の彼女の発言が分かる気がする。同じチームの人間に「返信してください」と煽っても連絡はこない。若手チームに「新しい事やりたいので手伝ってください」と言っても返信はない。あれ、人望ないだけか。まあでも、社会人になってよくわかるのは、うまくいくことなんて1つもないということ。たまたま上手くいっていたとしても、それは自分だけの力ではないし、上手くいった経験なんてものは一過性のものにすぎない。成功体験に縛られる方が危ない。大人ってしんどいのだ。ロジックを作り上げて話したとしても、社内外の人間は動かない。みんなやりたくないのだ。みんな自分で精一杯なのだ。

 きっと、正論ばかり言う人間は幼いんだと思う。社会を分かっていない世間知らずが、協調性のない自分を際立たせる言葉なのだ。コミュニケーションに正論が必要なタイミングなんて、0.001%ぐらいだ。普段は冗談を言っているぐらいが丁度いいし、ここぞという時に正論をぶちこむぐらいの意識でいい。いや、ぶちこむ必要すらないかも。

 だから、絶対明日も上手くいかない。動いて欲しいあの人は動いてくれない。返信をくれない。元カノは絶対に戻ってこない。うまくいかないことに対して、あがいて、現実論や正論をぶつけたとしても、「だから何?」と言われるのがオチだ。他人も社会もコントロールはできない。自分でコントロールできるものには全力をぶつける。それの繰り返しが他人を動かすのかもしれない。まずは自分の手を動かす。言葉に逃げないことだ。

 まず、自分でコントロールできるのは明日の朝食ぐらいだ。ルートインの朝飯を俺は食べる。無料って言っても宿泊料に含まれているよな(これも正論か?よくわからない)。あ、あと日ハムのキツネダンスを見てちょっと興奮することもできるか。チアめっちゃかわいいな・・・。

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