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田舎の新聞屋おじさんという生き物

 仕事柄、田舎の新聞店の所長(社長)と接する機会が多い。往々にしておじさんたちのズボンには何かしらのシミがある。どこで買ったのか分からない靴や、いつから着てるんだというジャージ。乱れた生活習慣によるだらしない体。おじさんたちは新聞休刊日以外、毎日早起きして働いている。

 そんなおじさんたちも、昔はかなり儲かっていた新聞業界の一員。地元では名が知れていて、地域の重要な役を務めている人も多い。一緒に地元で昼飯を食べていれば、地元の人に声をかけられることがしばしば。おじさんは立派なのだ。

 そしておじさんたちは、自分の会社で更なるおじさん配達員たちを相手にしている。もはやこのレベルになるとまともに話は通じない。店への車の置き方ひとつで、他のおじさんたちと揉め始める。けれど、そのおじさんたちもしっかり毎朝配達してくれるし、新聞代も集金してきてくれる。おばさんもいるけど、おじさんたちはかなり偉い。

 そう、つまりはこのおじさんたちに、日本の新聞業界は支えられているのだ。紙面の広告収入が激減している今、このおじさんたちの働きによって言論が守られていると言っても過言ではない。本社で偉そうにふんぞり返っているおじさんも、立派なことを書く記者おじさんもまた、田舎のおじさんたちによって生かされている。おじさんの輪廻である。

 今、当たり前のようにスマホに表示されるニュースたちは、ほとんど新聞社が配信している。まあWebメディアもあるが、主要なニュースは新聞社だ。そのニュースすらも、田舎のおじさんに支えられている。日本の民主主義や言論はおじさんによって守られている。

 だから、おじさんに感謝しようという話ではない。正直、働かないおじさんが多すぎて辟易している。文句を垂れることが生きがいのようなおじさんがあまりにも多く、おじさんたちはバブルで金を使い過ぎたことを反省するどころか、金がないのはお前ら(本社)のせいだと言う。おじさんたちは往々にして、目の前の現実から目をそらすようだ。嗚呼、俺も願わくばおじさんたちから目をそらしたいが、今こうしてそこそこの性能のPCをカタカタできているのはおじさんのおかげなのだ。

 ここから抜け出すには、そんなおじさん道を歩まないように、自分で道を切り開かなきゃいけない。

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