11冊目 『UDL 学びのユニバーサルデザイン』

今日の教室にいる多くの子どもたちは、柔軟性に欠けた、1つですべてに間に合わせようとするカリキュラムという大きなバリアのために、学習を妨げられる羽目になっている。

この言葉が、ずしりと重くのしかかる。自分が子供たちに与えている方法は、果たしてその子の学びに適したものになっているのだろうか。自己選択をした後の子供をきちんと見守り、その成果まで考えられているのだろうか。次へと向かうアプローチができているだろうか。より多くの引き出しを子供のために準備しようとしているだろうか、そこまで意識が向いているだろうか。

自分のできていることも浮かべながらも、ちょっと安易さに引きずられている自分の弱い部分とも向き合わされた。

デジタルを駆使したUDLについては、まだまだ取り組むことは難しい。が、それらを柔軟に受け止められるマインドは、いつも持ち合わせていたい。第9章では電子機器を使わないUDLについても書かれている。教室において、子供がより多様な選択をできる環境設定の重要さが分かる。

UDLについては、まずなによりも「一人一人は違って当たり前だ」という前提を教師が心底納得しているかどうかに尽きると思う。「みんなちがって、みんないい」を上辺だけで唱え、児童生徒指導に使うための文言にしたくない。

教師が「こうさせたい」「なんでこうなってしまうんだ」と悩みの仮面を被った怒りが生まれたときこそ、立ち戻らなければいけない。

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