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正しさを過度に気にするのは必死に日本に馴染もうとした結果かもしれない

お久しぶりです。ワン・イークンです。

しばらく筆が止まっていましたが、最近またむくむくと書きたい気持ちが出てきたので、久しぶりにnoteを開きました。

これまでエッセイを連続して載せてきましたが、エッセイは不定期更新になるため、これからは合間合間に考えたことの記録を更新したいなと思います。改めてよろしくお願いします。

今日は、自分が「この振る舞い方で合っているか?」「この理解で合っているか?」を過剰に気にする傾向があることに気づき、その原因の一つに自分の移民背景があるからでは?と考えたことについて書きます。

最近、職場で相手が話したことをそのまま繰り返すことは無駄なコミュニケーションだから止めてほしいと指摘されました。例えば「〇〇してください」と指示を受け、「〇〇ですね」と返したら、「なんで私が言ったことをそのまま繰り返すのか。はい。でいいじゃないか。」と言われました。

私としては、ただ合ってるか確認をしたいつもりだったのですが、相手にとっては意味のないオウム返しだと思われました。私は自分にそんなコミュニケーションの傾向があることを今まで誰にも言われたことがなく、とても戸惑いました。

ただ、指摘を受けて確かに私は「合ってるか確認」をよくする、もしくは「合ってるか不安」になりやすいな、と気づきました。

それってなんでだろう?と思いを巡らしたら、小さいときに中国から日本に移り住み、まったく日本での「正しい」振る舞い方が分からない中で、必死に周りを観察しながら馴染もうとした結果じゃないのかなと思いました。

「日本人らしい」振る舞い方から外れたり、言葉の意味の受け取り方を間違うと、「日本人じゃないとバレる」という不安や恐怖から、過度に「合っているか」を気にするようになったのかもしれません。

これはサバイブ反応なので、たぶん不安や緊張が強まる条件下で起こってるのでは?と今のところ仮説をもっています。実際、今働いている環境は私にとって過度に緊張をしてしまう要素があります。また、仕事だけでなく、友人関係や恋愛関係でも不安が強まると「この行動は合ってたか?」「言い方は適してたかな?勘違いされてないかな?」と相手の反応を過度に気にし始める傾向があることに、過去を振り返って気がつきました。

心理学の研究では、幼少期の強めなストレス下でのサバイブ体験(逆境的小児期体験/子ども時代の心のケガともいう)はトラウマになりがちで、大人になってからも対人関係においてネガティブに影響すると言われています。

私の最近の関心事は、複雑性PTSDや発達性トラウマ、世代間トラウマの連鎖(いきなり重そうなキーワードを投下してすみません)で、これらを学べば学ぶほど、自分の移民としての体験がかなり対人関係構築に影響しているのでは?と思うようになりました。

最近の探求テーマはこのあたりなので、これからも関連のテーマについて考えたことを書いたり、学んだことを忘備録としてシェアしたりしたいと思います。

さくっと読めるくらいの内容を、できるだけ頻度を高くして書けたらなと思います。引き続きよろしくお願いします!

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