さーどねいむ(こじらせ移民1.5世の人生記)

🇨🇳出身🇯🇵育ちの移民1.5世

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ルーツを背負えという期待のしんどさと一人の人間として出会うこと

(2023年6月23日に別アカウントで書いた内容の引越し投稿です) このところ、連日のように考えさせられることを、ヒリヒリとした感触が消えないうちに書いておこうと思う。 月曜日の16時、会社勤めであれば行かないであろう武蔵小杉のスタバに向かったら、なんか見たことのある顔がいた。 「ん? これはもしや大学の同期では?」と思ったけど、違う人やったら恥ずかしいし、いったんは通り過ぎた。いやでもあれは確実に彼だと思いメッセンジャーで「もしかして武蔵小杉のスタバにおる?」と連絡し

    • 先回り思考は移民である私の存在価値を証明したいという強迫観念かもしれない

      前回の過度に「正しさ」を気にしてしまうことと自身の移民背景の関係性に引き続き、今日は「先回りして考えすぎること」と移民背景の関係性について考えてみたいと思います。 最近転職をして新しい職場で働き始めたのですが、これまでの上司とマネジメントスタイルが180度違う新しい上司と働くことで、今まで見えていなかった自分の傾向を知ることができています。 今回さらに判明したのは、私はどうやら相手が「Aしてください」という指示に対して、「AのあとにはBとCもあるから、先にABCやっときま

      • 正しさを過度に気にするのは必死に日本に馴染もうとした結果かもしれない

        お久しぶりです。ワン・イークンです。 しばらく筆が止まっていましたが、最近またむくむくと書きたい気持ちが出てきたので、久しぶりにnoteを開きました。 これまでエッセイを連続して載せてきましたが、エッセイは不定期更新になるため、これからは合間合間に考えたことの記録を更新したいなと思います。改めてよろしくお願いします。 今日は、自分が「この振る舞い方で合っているか?」「この理解で合っているか?」を過剰に気にする傾向があることに気づき、その原因の一つに自分の移民背景があるか

        • #4 水餃子

          どうやら、私がまわりの人と違うことを意識し始めたのは四歳のころらしい。らしいというのは、自分では覚えていないからだ。 大人になって母親が、 「あなたは保育所に通っていたとき、送り迎えをしてくれていたおばちゃんに『中国語を話さないで!』と怒ったのよ」 と教えてくれた。母の姉である叔母が送り迎えしてくれていた記憶もなければ、そんなことを言った記憶もなかった。 初めて聞いたときは、へーと流したけど、よくよく考えてみると、四歳で自分の話す言葉を恥ずかしいと感じるのはどうなんだ

        ルーツを背負えという期待のしんどさと一人の人間として出会うこと

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        • わたしは何者なのか?を探す旅
          4本

        記事

          #3 赤色と紺色のパスポート 2

          大阪の公立高校が選んだ修学旅行の行き先は、オーストラリアの中でもサンゴ礁が有名なケアンズだった。実は三歳半で日本に来たことはまったく覚えておらず、小学三年生のときに家族で上海に行った記憶もずいぶんと薄れている。私にとって、これがほぼ初めての海外旅行といえる。 最初の関門は、関西国際空港での出国審査だった。私は窓口に着くまで絶対にパスポートを見られないように集中した。窓口ではうしろに並ぶ人たちから見えないように身体でパスポートを隠すように立ち、審査台ではサッと素早くそれを出し

          #2 赤色と紺色のパスポート 1

          高校の修学旅行でオーストラリアに行った。数多くの楽しい思い出とともに、私の心にいまでも消えない深い痛みを残した旅行でもある。 修学旅行を数か月後に控えたある日、バドミントン部の友だちとお昼ごはんを食べていると、教室のドアから担任が顔を出した。白いポロシャツに半ズボン、日に焼けた肌でいかにも体育の教師らしい中筋先生は、申し訳なさそうな顔をして、ちょいちょいと私に手招きをした。 その表情を見て、なんとなく嫌な感じがした。眉毛を下げて、言葉を探すような先生の表情は小学校や中学校

          #1 「わたしは何者なのか?」を探す旅

          私は中国の内モンゴル自治区で生まれた。横に長いこの地域の中で私の故郷は東北三省の黒龍江省に近いところにあり、みな東北話(ドンベイフゥア)という方言を話す。私が三歳半のときに家族は日本への移住を決め、母方の親戚たちと一緒に大阪で育った。 日本人のおばあちゃんは満蒙開拓団として旧満州エリアの東北地方に移ったあと、日本が戦争に負けて孤児になった。おばあちゃんのような人は中国残留孤児といって、2023年のいまはほとんど聞かなくなったものの、1980年代から90年代にかけて報道をにぎ

          #1 「わたしは何者なのか?」を探す旅