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ブッダがしたこととは、「それでは全ての問題は解決しない」と虚偽を暴くことだった

問題を「再構築」してみると、解決策が浮かび、直感的な閃きを体験する(中略)これは一種の思考パズルで、問題を解くには、突然の閃きが必要となる。

二〇一一年に起きた福島第一原子力発電所の事故で、放射能被曝(中略)子どもの健康にどんな影響をおよぼすのか。それが明らかになるにはもう少し時間がかかる

knowledge に相当する日本語は「知識」だろうが、この言葉はもともと仏教用語で、「物事の正邪などを判断する心のはたらき」や、仏教指導者の「善知識」↓

ソヴィエト連邦では一党によって、かつてないほど一般市民の生活がコントロールされていた。そしてヨシフ・スターリンがその党を強い権力で支配していた。「アパラチク」とは政府または党の機関専従員を指し、政治的な忠誠があまりに中心的な役割を担っていたため、現在ではその言葉が「必ず命令にしたがう組織の忠実な一員」を意味(中略)原題『The Elephant in the Brain』は、英語の慣用句 “elephant in the room” に掛けたものである。直訳するとこれは「部屋のなかのゾウ」だが、比喩的に、問題の存在あるいは困難な状況がだれの目にも明らかであるにもかかわらず、それについて触れないほうが楽なため、だれも話したがらない状況を表す(中略)説得は社会的プロセスである。そしてたいていの場合、敵が負けを認める可能性がまだまったくない時点で、無関心な第三者を納得させなければならない(中略)優秀なアパラチク(※工作員)は知識が豊富で懐疑的な態度さえ見せる。ただしその懐疑心は必ず、自分の政治集団の神聖な教義を問いただす一歩手前で止まる(中略)(※本書は)「政党」やリベラルか保守かといった「政治イデオロギー」を選んで焦点をあてようとしているのではない(中略)何か問題が派閥化して敵と味方という枠組みにあてはめられるたびに、わたしたちは自分たちのチームに忠誠を示すために競い合って、まるでアパラチクのような行動をとっているのである。忠誠を求める同盟関係は必ずしも典型的な「政治」には見えないことに注意してもらいたい。わたしたちひとりひとりは、ヴェン図のように一方が他方に含まれたり部分的に重なったりしている多くの異なる集団のメンバーである(中略)こうしたさまざまな忠誠のあいだの拮抗が、政治を複雑かつ波瀾万丈にしている一因でもある(中略)わたしたちは、正義の人の動機にくわえて、アパラチクの動機、すなわち自分を取り巻く集団に忠誠を尽くしているように見せたいという動機も心に抱いているのである。これこそが政治行動を解く鍵だ。結果に影響をおよぼそうとしているだけではない。多くの意味で、それはパフォーマンスなのである ※ 引用者加筆.

行動科学の用語で「初頭効果」(中略)私たちは誰かに先入観を植えつけられると、まだ会ってもいない人を好意的に、あるいは否定的に見てしまいがちだ(中略)覚えておいてほしい。いったん「こいつは信用ならない」と思い込み、その人物と再開するのをやめてしまったら、自分の先入観が間違っていたことを知る機会はなくなってしまう。

ブッダがしたこととは、「それでは全ての問題は解決しない」と虚偽を暴くことだった(中略)一通りの教義として授けられた日本では、これらの教えが反骨に基づくものであることが伝わっていない。であるからこそ、私たちは改めて、「伝わり切らなかったもの」に思いを馳せなければならない(中略)「寝た子を起こす」という表現がある。辞書では、「一応収まっている物事をことさら騒ぎたてて、またもつれさせる」と解説されている。この「一応」とは、なんと曲者であることか。「一応」という言葉に、真に解決したのではなく、表面的に波が立っていない状態にすぎないことが、明確に示されている。そして、この言葉が使われるシーンを思い出してほしい。それはほとんどの場合、面倒な問題が一旦棚上げされたときではないだろうか。特に日本では、差別に関わる問題で、しばしば使われていないだろうか(中略)「寛容」を、少数派に強要しているのが日本社会のもっとも忌むべき「日本的無我」である(中略)言うなれば他人の足を踏みつけながら「そんなに痛がることはないだろう、あんたが苦痛を訴えるせいでこっちがヒトデナシみたいに思われるじゃないか。そういうの迷惑なんだよ、疲れるんだよ!」という言いがかりのようなものである(中略)現代の日本で解釈されている漢訳仏教には、「サンガ」について誤解があり、共同体の意識がない。だが、ブッダの教えに戻れば、共同体において実践するからこそ、ダルマ・ブッダの意味がある(中略)ダルマによってブッダの後ろ姿が見えるのではないか(中略)ここで、ブッダという語に関しても、本来のニュアンスをお話ししておこう(中略)直訳すると「戦争か叡智(ブッダ)か」(中略)つまり、インド人にとって「ブッダ」という言葉は、仏様という聖なる存在というよりも、wiseやknowledge、叡智の意味なのである。また「菩提」の原語はボーディで、ブッダ(叡智)の変化形である。

すべての人が、自分の能力を養い、磨くための機会を同じだけ得られるわけではない。そうした機会があるかどうかは普通、社会の想像上のヒエラルキーのどの位置にいるかで決まる。ハリー・ポッターはその良い例だ。

上と下に向かって発言をし、中間に訴えかける時間をできるだけ省くのが効率的(中略)ビーガンのベジタリアンに対する偏見は、ベジタリアンのビーガンに対する偏見に比較して三倍も多かった。より過激なビーガンたちの目には、主流を占めているベジタリアンは「モドキ」に映ったということである(中略)過激なグループと強い一体感を覚えるほど、みずからの価値観の脅威となる節度あるグループとの差をつけようとやっきになる(中略)実験によると、『ハリー・ポッター』を読むことで、社会的なマイノリティの人たちに対する子どもたちの姿勢が向上するとのことだ。登場人物のハリーやハーマイオニーが、純血の魔法使いではないために差別を受ける様子を目の当たりにすると、子どもたちは同情し、現実に存在するマイノリティたちに対しても偏見を持つことが少なくなるのだ

ホグワーツには四つの寮があり、生徒はいずれかで生活します。それぞれの寮は、独自の “徳目” を掲げています。たとえば、スリザリン寮のそれは狡猾さと野心です。主人公のハリーが所属するのはグリフィンドール寮で、その徳目はずばり、勇気です。

目的が達成できる可能性よりも、リスクの方が少しだけ上回っているとき、人はそれを「勇気」「勇気ある行動」と呼ぶ

引用者は4種類の人間がいると考えています。小学校入学前に起こされた小学生。眠ったまま入学した小学生。眠っていた小学生の中には、容姿に恵まれたり、利用しやすい人間として認められて出世する者もいるかもしれないが、起きていた小学生と違って、眠っていた小学生は洗脳教育そのものの記憶がないまま成人する。ただし、教師になることで洗脳教育を知ることはある。起きていた小学生には、出世できる小学生と出世できない小学生(ヤギ)がいる。問題は、寝ていた小学生(羊)には寝ている小学生の世界観しかなく、出世した起きていた小学生(羊飼い)しか認識できないことである(脳神経のポジティブな可塑性・発達の不十分さがその後も続く)

文化によって(一般論だが)現実世界の見え方(パースペクティブ)がどれだけ違うかということがはっきりと現れている。


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