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菩薩は、自分を偽らない。いい子ぶっているのであれば、本当の菩薩ではない

弟テオあての手紙によれば、ゴッホのひまわりは「愛のシンボル」であるという(中略)ディカプリオ主演の映画『タイタニック』にもイギリスからアメリカに向かうタイタニック号に積まれたモネやドガ風の絵が登場

ドガはほめ言葉など滅多に口にしない人間嫌いの無口な男であったが、グーピル商会でロートレックの絵を目にして、次の有名な言葉を口にする。ドガがいかにロートレックに敬意を払っていたかがわかる言葉である。「まったく、ロートレックは本物だということがよくわかるよ!」(中略)タブーから解放された自由な画風という点で、ロートレックはピカソの先駆者と言える。ピカソもまた、とくにその版画作品において、先人たちの教えを受け継ぎつつも、正しいと認められた規範の限界を超え、さまざまな愛の主題をあつかうことに何のためらいも見せなかった(中略)彼は本当に自由な存在であった。しかしその自由のなかにはいかなる偏見もなかった(中略)1898年以降トゥールーズ=ロートレックの健康状態は悪化(中略)やがて下肢が麻痺した彼は、1901年9月9日、母の腕のなかで37年の生涯を終える(中略)あいにくどしゃぶりの雨でしたが、なかなか陽気な催しでした。───ロートレック(1889年9月初めパリにて 母親宛書簡)(中略)架空の人物にふんして、支離滅裂芸術展に参加する。それは、偽名で出品する方が品がいいとされる官展に対する明らかなパロディであった(中略)彼は、自分の行動を重々しく見せようとしたことなど一度もなかった。その証拠に、彼はすすんで人にいたずらをし、どう考えてもおかしい奇妙な服装をして、まわりの人間の裏をかいた。非常に幼い頃からずっと、仮装をして本心を隠すことに魅力を感じ続けていたようである(中略)モンマルトルの一種の名物男であったロートレックが人生をどこまで肯定し、エンジョイしていたかは定かではない(中略)(※ロートレック)の眼鏡の奥にある二つの目は、生きる喜びよりは悲しみを、煩悩よりは諦念ををたたえているようである(中略)彼をよく知る者は、彼が礼儀正しかったこと、人生を愛していたことを証言している(中略)ロートレックに許された唯一の気晴らしは泳ぐことだけであった。 彼は心から水泳を楽しんでいたという。

ロートレックは海を愛し、また泳ぐことも好きだった(中略)巨匠エドガー・ドガに対し、ロートレックは並々ならぬあこがれと尊敬を抱いていた。19歳でモンマルトルに暮らし始めたときは、ドガと同じ建物に移り住み、親戚のディオー三兄弟を通じて、この巨匠と知己を得た(中略)ロートレックが亡くなった年にパリに出てきたピカソが、19歳で自身の部屋を描いた《青い部屋》の奥の壁には、ロートレックのポスター《メイ・ミルトン》が描き込まれている。ピカソは友人への手紙に「パリに出てみて、僕にはロートレックがどんなに大きな画家であるかが分かった」と綴っている(中略)ロートレックとゴッホの交友期間は、わずか2年ほどだったが、二人の間に深い友情が通い合っていたことが分かる。

ゴッホ(引用者撮影)

抗弁することもできないまま(※ゴッホが)侮辱されたのを見て、深く傷ついたトゥルーズ=ロートレックは、ド・グルーに決闘を申し出た。だが、ド・グルーは「二十人展」から除名され、決闘は行われなかった。※引用者加筆.

ピカソ(引用者撮影)

ピカソが一度だけでもいいから会って話をしたかった唯一の画家だというトゥールーズ=ロートレック

ジャコメッティ(引用者撮影)

人間として、私は(※セザンヌより)ロートレックの方が好きなのだ──ジャコメッティ ※引用者加筆.

棟方は小指の関節が一個多かった(中略)小指の関節が三つあったの。それを本人はすごく得意にしていて、「お釈迦様もそうだった」って言っていました(中略)「棟方は障害のある人に惹かれた」と後ろのほうに書いてありましたね。 ロートレックもそうだったと(中略)棟方は言葉の人である。 後に訪欧した時、言葉が通じないもどかしさで苦しんだという記述もある。 若くして留学し、自ら求めてルノワールという師を得、その在り方と思想を学んだ梅原とは、育ってきた環境が天と地ほどに違っている。アカデミックな勉強に全く縁のなかった棟方に、自力で切り開くことの出来る、唯一開かれていた道が版画であったのではなかろうか(中略)棟方が、西洋人でありながら、面で捉える版画を極めたロートレックに「共感」を覚えたことは事実であろう(中略)滞米中に制作されたと思われる(※棟方志功の)自板像に、TOULOSE LAUTREC(※ロートレック)の文字があった(中略)知人宅に飾られていたものを描いたのであろう(中略)「私は指が五本ある人間なんか描きたくない」という棟方の言葉がある。※引用者加筆.

ロートレック(引用者撮影)

重要なことは常にたったひとつしかない。つまり、ものの本質をいかに上手に表現するかということだけなのである───ロートレック(中略)マネ万歳! 印象主義の風がアトリエに吹き込んできます。ぼくは晴れやかな気持ちです。───トゥールーズ・ロートレック1883年4月パリにて 母親宛書簡

ロートレック(引用者撮影)

よく知られているように、ロートレック伯爵はモンマルトルのダンスホールやキャバレーの舞台裏に自由に出入りできる身であった。舞台裏での男女の駆け引きや娼婦たちの生態にこれほど通じた画家もいないだろう。

ロートレック(引用者撮影)

障害をもつロートレックは「人間は外見と内容は違う」と信じていました(中略)名門中の名門貴族の子として生まれながら、15歳で両脚の成長が止まってしまったロートレックは、上半身は大人、下半身は子供という奇妙な姿になってしまいます。哀れに思った親は、彼の望むままに画家になる事を許し、歓楽街モンマルトルに住む事も認めました。名門貴族の子弟と紅灯街の女たち───こんな〝ありえない〟関係が成立したのは、お互い〝傷〟をもっていたからでしょう。その上ロートレックは、彼女たちに同情する訳でもなく、美化する訳でもなく、かといって尊敬していたドガのように冷たく画くのでもなく、ただ淡々と「ありのまま」を描いてゆきました(中略)デッサン力では、ドガと双璧と言えます(中略)(※ロートレック家には)金は腐るほどあったので、モンマルトルの高級アパートに住み、絵を画きながら、日夜酒色に耽っていました。一時自身画家で、ユトリロの母であるシュザンヌ・ヴァラドンと恋仲になりますが、3年で別れます。むろん結婚など考えず、次第にアル中になり、娼家に入り浸って梅毒に感染(中略)ドガも貴族の出ですが、ロートレックの家とは相当差があります。何しろ1000年以上もさかのぼれるという名家で、先祖のレーモン4世は、第1回十字軍を率いた人物のようです。※引用者加筆.

ロートレック(引用者撮影)

アンリ(※ロートレック)は遺伝性の病気(硬化性異骨症)にかかっていて、10歳のころから、大きな症状が現れ始めた(中略)アデール伯爵夫人はいろいろな矯正法や怪しげな治療方法を試みた。しかし彼の折れた大腿骨は、おそらく正しい治療を受けなかったのだろう。全ての矯正や治療は、無駄だった。アンリの足は成長しなかった。※引用者加筆.

ロートレック(引用者撮影)

ピカソが実際に好感を抱き、また絵を描けるのを光栄と思ったのは、ジャンヌ・アブリルただひとりだった(中略)ジャンヌ・アブリルとはモデルになった他の誰よりも心を通わせることができたとピカソは語る。ひとつには、アブリルの人生がサーカスの曲馬師から始まったこともあるだろう。ピカソはそんなアブリルに親しみを覚えた(中略)アブリルはトゥールーズ=ロートレックを愛し、また尊んだばかりでなく、作品の美点もよく理解し、それを喜んでピカソと語り合った。「彼女はロートレックがもう長くはないと知っていたので、そうした話にも一抹の寂しさがつきまとった」。(※ロートレックは十月に他界する)。※引用者加筆.

引用者撮影

ひまわりの花はつねに太陽に顔を向けて咲くと信じられ、この向日性ゆえに「信仰心」や「愛」の象徴として用いられてきた。「ひまわりが太陽に顔を向けるように、信仰心の強い人はつねに神とキリストに心を向けつづける」、あるいは「愛する者はつねに愛の対象に顔を向けつづける」というアナロジー(類比)からである。このような意味はファン・ゴッホの時代にも生きつづけていたことがわかっており、牧師の息子でもあったファン・ゴッホがこの意味を知らなかったとは考えにくい。

ゴッホ(引用者撮影)

ここで日本人にとっての「愛」というコトバの使い方について、少し触れておく。今の日本人には愛は英語のラブ(love)だ。しかし古くから日本人は、「愛」というコトバを「胸いっぱいに詰まる感情のこと」として使った。広辞苑にもそう書いてある。これは第2定義であり、premanという。そして愛の第1義は煩悩割愛(tanha)である。第3義が却(業、karma)である。第4義が慈悲(あわれみ)である(中略)女たちにとって愛とは「その人(男)と一緒にいて、うれしいこと、楽しいこと」である。一緒にいて気持ちが良ければそれでいいのだ。ところが男にとって愛は、やはり女との性欲(愛欲)のこと(中略)そこでイエスとブッダが説いた「愛」とは何か(中略)愛とは、自分たち貧しい人間を動物みたいに惨酷に扱わないでくれ、確かに能力がなくて愚かではあるけれども、それでも少しは大切に扱ってくれ、という貧しい者たちの必死の願いのことであった。それが「愛」の正体である。そして、イエスとブッダは本気で、この人々(衆生)を助けようとした(中略)そして、イエスもブッダも民衆を救済することはできなかったのだ。そして、そのあとに残されたものは、無残にもそれぞれの宗派の僧侶(坊主)たちのために存在する巨大な宗教組織であった。彼らは問われれば必ず、自分自身のことを「修行中の身だ」と、しおらしそうに言う。必ず言う。大きな宗教団体として残ったプロの僧侶(聖職者)集団に私は一切、何も期待しない。私は、ただひたすら、イエスとブッダ本人にだけ問いかける。

情報分析官

カリタス(※善意や博愛心)とアガペ(※特定の他者への執着や性欲のない無私の精神的な愛)は美しいが、人間が必要としている種類の愛とはまったくもって関係がない。※引用者加筆.

情報分析官

実験では被験者にふたりの男性写真を見せた。ひとり目の男性には顔に生まれつきの大きなあざがあるが、丈夫で健康という特徴が添えられた。もうひとりの男性は、外見からは強そうに見えるが、添えられた情報は伝染性の強い薬物耐性菌の結核にかかっていることを伝えていた(中略)すると被験者に伝えた情報にもかかわらず、テストの結果は、害のない赤あざのある男性のほうが病気の脅威が大きいと感じられていたことを明らかにした(中略)人間性に目を向けない傾向が当てはまるように思える(中略)この分野の洞察には対人関係について学べることがたくさんあると確信する一方で、自分の研究成果を過大評価しないよう気をつけてもいる。そして、潜在意識にある感染への恐怖が偏見の唯一の原因というわけではないことを強調した。私たちは、自分の生活を脅かすかもしれないという怒りから、また自分たちを傷つけようとしているかもしれないという恐怖から、異なる人種や民族を悪い方向にステレオタイプ化することがある。負傷や不運に対する自分自身の脆弱性を思い知らされるのがいやで、外見が損なわれている人や奇形の人を避けることがある。あるいは単なる無知から偏見が生まれることもある───(中略)私たちが世界から伝染病を撲滅できたとしても、それで偏見が消えることはないだろう(中略)研究者によれば、慢性的に病気を心配している人は、とりわけ外見が「ふつう」という定型から外れている人に対して反感を抱きやすく、その反応を超えて先に進むのが難しい(中略)さらに、そのような健康上の不安に苦しめられていない人と比較して、障害者の友人をもつ可能性が小さい。

情報分析官

「普通」とは子どもに他の子どもが着ているのと同じものを着せること(中略)子どもたちは人と違うことを嫌い、それにはそれ相当の理由がある。奇異であることは仲間集団では徳と見なされない。

情報分析官

菩薩は、自分を偽らない。いい子ぶっているのであれば、本当の菩薩ではない(中略)字を見ても明らかだが、「恋」には下心がある。では、「愛」はどうか? 心が中心にあって、一切のものを差別することなく受け入れているのが「愛」───曹洞宗の禅道場 安泰寺 ネルケ無方住職(著書名失念)

情報分析官

映画は、人生経験を経て見直すことで、「うわ、このシーン、たしかにあったのは知ってるけど、こんなに大切な意味があったんだ」と気づけるのです。

「先生が2時間話したところは3秒だった」と言われます。その3秒のところが面白いのです。

ロートレック(引用者撮影)

映画『食べる女』はロートレックの逸話から始まる。ユースケ・サンタマリアさん演じる田辺は、サイコパスの性格的特徴をよく捉えている。1%の側から見たサイコパスの実像である。

関連リンク↓

https://note.com/wandering_1234/n/n1bc0bcd4a121

https://note.com/wandering_1234/n/n8f4837b2dabb



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