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試して欲しいのがマトリックス瞑想

ユダヤ人とは『旧約聖書』(モーセ5書)によって強く団結する民族優越思想(選民思想)を持つ者たちの、幻想の共同体なのである。EU(ヨーロッパ連合(ユニオン)、本当はヨーロッパ同盟(ユニオン)。EU東京代表部はそう主張した)とは、実はキリスト教圏(クリスチャン・ゾーン)である。ヨーロッパ人とはクリスチャンである白人たちの連合体(ユニオン)である。この真実を、ヨーロッパ人たちはおおっぴらには言いたがらない。人種・宗教差別だと言うことがバレてしまうからだ↓

明治政府は、より優秀な奴隷を育てる洗脳教育のツールとして、新しい宗教をつくりだしたのだ。それが国家神道だ(中略)明治以前の日本には、宗教という概念さえ存在しなかった(中略)だいたいにおいて、宗教学がキリスト教的発想で成り立っている。宗教学で言う宗教の概念に合わせてつくったのが国家神道だ(中略)日本古来の神道を利用して、新たな宗教を明治政府につくらせ、一神教的な神の役割を天皇に担わせた支配システム(中略)明治政府は意図的に国家神道は支配者の宗教とし、民間には仏教を残したのである。どちらにしても、儒教の差別思想を根底としていることに変わりはない(中略)インドのバラモン教とヒンズー教のような関係

日本という国は神道を徹底的に作り直した。伝統的な神道は、さまざまな神や霊や魔物を信じるアミニズムの信仰の寄せ集めで、どの村も、どの寺も、お気に入りの霊や地元の風習を持っていた(中略)(※一九世紀後期から)日本は神道の公式版(※国家神道)を作り出し、地方の伝統を数多く廃止(中略)そして国家への忠誠を強固にするのに役立ちうるものなら、仏教や儒教、封建制度の武士の気風のどんな要素も、そこに加えた。仕上げに、国家神道は至上の原理として天皇崇拝を神聖化した(中略)これは近代の工業大国というよりもむしろ新石器時代の族長支配のように聞こえる(中略)(※ところが)国家に対する熱狂的な忠誠心を育んだ。神道国家の成功の象徴として最も有名なのは、日本が他の大国に先駆けて、精密誘導ミサイルを開発した事実だ。このミサイルは、「カミカゼ」として知られている(中略)このような任務に就く意欲は、国家神道に培われた、命知らずの自己犠牲精神の産物だった。このようにカミカゼは、最新のテクノロジーと最新の宗教的教化の組み合わせを拠り所としていたのだった。知ってか知らずか、今日非常に多くの政府が日本の例に倣っている(中略)(※ディズニー映画の)『インサイド・ヘッド』がここまで成功したのは、この映画がハッピーエンドのコメディであり、おそらくほとんどの観客が神経学的な意味合いとその不気味な含みの両方を見落としたからだろう(中略)『マトリックス』のネオと『トゥルーマン・ショー』のトゥルーマンという二人の主人公はともに、巧みなごまかしの網を乗り越え、そこから脱出し、正真正銘の自己を発見し、本物の約束の地に行き着く。※引用者加筆. ※引用者加筆.

超国家主義の悲劇は、周知のように本邦にも存在し、多くの死と不幸を人々にもたらした。軍閥は相克しつつ堕落し、良識ある国民、特に知識階級に対しては、国家神道の強制、および治安維持法(ナチスに負けない)残忍な逮捕、無期限な留置、拷問、懲役、で「転向」を強制するのであった。戦争の末期に至るや、「特攻」作戦と称して強制的な命令によって、あらゆる中古機、練習機、古い水上機などを主として、これを爆装して、陸海軍合わせてなんと七千名の少年兵出身で、やっと操縦できる程度の練度の低いパイロットをのせて、いわゆる「神風(しんぷう)」の体当たり作戦に投じ、ほとんど全滅であった。

佐賀藩の大学者として、「寛政の三博士」と呼ばれた古賀精里(せいり)という人物がいた(中略)中国で紀元前二〇二年に「四面楚歌」で後世に名を残した項羽(こうう)を滅ぼし、長安を都にして漢王朝を創立した高祖・劉邦(りゅうほう)という皇帝がいたが、古賀精里はその末裔といい。本性は劉だが、子孫が筑後の三潴(みづま)群古賀村に住して古賀を名乗り、のち佐賀藩士となった一族と伝えられる。 孔子の国から来たのだから、日本人など足元にもおよばない儒学者だ。 一七八一年に佐賀藩校の弘道館を興して校長となった古賀精里は、将軍・徳川家斉(いえなり)の時代に幕府から江戸に招かれて、一七九六年には幕府儒学校の昌平黌(しょうへいこう)儒官すなわち総長となって、日本の儒学最高指導者となった(中略)古賀精里には三人の息子があって、長男の古賀穀堂(こくどう)が次代の藩主・鍋島閑叟(かんそう)を育ててゆき、また三男の古賀侗庵(とうあん)が尚歯会メンバーとして渡辺崋山たちと交流しながら、佐賀藩を大改革していったのである。さらに古賀侗庵の息子・古賀謹一郎が、幕末に全国の蘭学者・洋学者を育てるために幕府が設立した蕃書調所の頭取に抜擢されて、日本のすべての洋学者を統率するリーダーとなっていった(中略)閑叟は江戸で育てられたので、一八一九年に古賀穀堂が江戸に出て、藩主の世嗣・鍋島閑叟の御側頭(おそばがしら)として教育係となり、以後一二年間にわたって主に江戸で教育を施した

佐賀は江戸時代に佐嘉と書いたが、明治維新の時に佐賀と改められた。鍋島家が佐賀藩主となる前には、この一帯の支配者は、近江三上山の百足(むかで)退治で有名な俵藤太秀郷(たわらとうたひでさと)を遠祖とする龍造寺(りゅうぞうじ)家だったが、そこに養子に入った鍋島直茂が龍造寺家を乗っ取った時代の「化け猫騒動」は団十郎の歌舞伎に任せる(中略)武士の修養書『葉隠(はがくれ)』一一巻(正しくは『葉隠聞書(はがくれききがき)』)が成立すると、これが葉隠論語、鍋島論語とも呼ばれ、「武士道とは、死ぬことと見つけたり」とする武力だけが奨励され、学問は取るに足らないこと、とする武士道精神が藩内を闊歩するようになった。死ぬことと見つけたりとは、戦時中の大日本帝国の「特攻隊精神」の原型(中略)一〇〇年ほど続いてきた佐賀藩伝統の武士道の書『葉隠』が、学問は取るに足らないことと蔑み、「武士道とは、死ぬことと見つけたり」と説いていることを古賀穀堂が痛烈に批判し、この事件後、彼が名君・鍋島閑叟を育てることになる(中略)佐賀藩の伝統的武士道『葉隠』を捨てよ、とする画期的な意見(※を古賀穀堂は述べた)※引用者加筆.

馬鹿の語源と言われる逸話(中略)これを理解することを「悟り」というのです(中略)悟り(※開眼)を現実世界で使いこなすには、やはり理解だけでは足りません。実感が必要になってきます。この実感を得るには瞑想がとても効果的なのですが、その理由は、そもそも釈迦自身がそうだったからです(中略)釈迦は悟ったあとには瞑想らしい瞑想はしていない(中略)悟った人にとっては、瞑想は大して必要ありません。というのも、悟った人には瞑想する以上に、重要なことがあるからです。それは自らの悟りを伝えることによって人々の苦しみを救うというものです(中略)解脱とは、輪廻転生の輪から外れること(中略)試して欲しいのがマトリックス瞑想(中略)映画『マトリックス』を観ればいいだけです。※引用者加筆.

誘導する少数がいるんです。それがわかると、全部わかるんです(中略)大体こういう話をすると、人間関係は壊れます(中略)企業が政府を管理するのはファシズム(中略)この人たちの帝王学の中に入っているのは、頭のいい人は暗殺するということです。というのはこのからくりがわかる人たちがいるとこまるから(中略)「ある年齢を過ぎて現実世界を知れば発狂する」というモーフィアスの言葉どおりなんですよ(中略)「食べて応援!」キャンペーンと汚染瓦礫処理法案、そしてTPPはワンセット

エンドルフィンの語源はご存じだろうか。この言葉は、内部に生じるという意味の「endogenous」と、ギリシャ神話で眠りの神とされるモルフェウスから派生した「morphine(モルヒネ)」という二つの言葉から生まれた

ギリシャ神話に登場する夢の神モルフェウス(※モーフィアス)(中略)トランスとは、ラテン語で「反対側の」という意味 ※引用者加筆.

自分たちが「神の子」としたイエス・キリストとマグダラのマリアの間には、サラという娘がいた。これが小説・映画の『ダ・ヴィンチ・コード』(ダン・ブラウン著、2003年)の主張だ。1945年のエジプトで見つかったナグ・ハマディ写本に「フィリポによる福音書」がある。 その中に、マグダラのマリアによる「イエスの死体が消えた」の証言のあと、しばらくしてイエスは生き返った、とある。これが復活(resurrrection レザーレクション)(中略)イエスは復活して、主要な弟子(使徒 アポステルという)たちのところに、次々にボーっと姿を現したのである。だからこれを復活(レザーレクション)というのだ。イエスは生き返って、40日間ぐらいあちこちに現れてうろうろしたりした。人々が驚いてそのように噂を立てた。そして、その噂がさらにあたり一面に広まった。これを復活というのだ。そしてイエスはこのあと、天へ昇った。これが昇天(Ascention)である。イエスが復活したあと天に昇ったことを「昇天(アセンション)」と言うのだ。

日本人は今も、(正確に計算され直した現在の暦では紀元前6年生まれである)イエス・キリストの「復活」と「昇天」と「降臨」の違いを、その区別をつけて、しっかりと把握していない(中略)キリストは、紀元後30年に、36歳でエルサレムで処刑されて死んだ。その遺体が消えてなくなる事件が起きた。イエスの弟子であり、かつ奥さまであるマグダラのマリアだけがこのことに気づいた。 このマグダラのマリアと母のマリア、妹のマリアの3人のマリアが、イエスを磔の死体を、処刑人たち(ローマ兵たち)に近づいて、お金を払って十字架から降ろしてもらった(これがピエタ・ピエテート、敬心)。男たちは怖くて近寄れない。女なら捕まっても殺されないだろうから、と(中略)そして三人でその近くに(棺に入れて)埋葬した。ところが、マグダラのマリアが処刑3日後に、一人でその場に行ったら、遺体がもう消えてなかった。マリアはそのように周りの人たちに話した。このことの目撃証人(eye witness)であるマグダレーナ・マリアは、世界中で密かに敬愛され崇拝されている。しかし、ローマ・カトリックだけは、このマグダラのマリアをひどく激しく嫌う。マリア・マッダレーナを異教徒で売春婦(悪い女)だと教義(ドクトリン )にまでしている。神であるイエスに奥さまがいたら困ると決めたのだ。ここにもローマ・カトリック教会の悪がある


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