現代文解釈の基礎を片手に「三体」の主題を探る

<三体>シリーズをやっと読み終わり、これだけの大作を圧倒的な質量で書き切ってくださったことに対して、読む側としても受け止めなければならないと思い、本作の主題を振り返ることにした。三体は、複雑かつ量が膨大のため、作者が仕込んだ一番の狙いを見つけることはほぼ不可能である。ここでは、三体の第三作にして最終巻の「三体Ⅲ:死神永生」に絞りつつ、文章で書かれていることのみを素直に読み解くことを心がけて取り組むことにする。

*ネタバレを多分に含みますので、読んでいない方はご注意ください。

主題を擬人化したような二人

第三作の主人公である程心は人類が生きるか死ぬかの選択を二度も迫られる。第一回は、前任の執剣者から役割を引き継ぐ儀式を執り行ったとき。三体生命と人類の居場所を暴露する信号が程心に手渡された瞬間、三体から攻撃を受ける。戦争に勝つためには引力波を発射しなければならなかったが、それは人類世界を滅ぼすことになるため踏み切れず、信号を投げ出す。その結果、地球は三体に侵略されることとなった

二回目は、太陽系が攻撃されることを予測して対策が練られていた時。死にゆく太陽系から脱出するために光速宇宙船の製造を支持しなければならなかったが、それによって起こる戦争を避けるために、計画を自らの宣言で終了させる。

この二回とも、程心が選んだ反対の運命に立つ人間がいた。程心の上司であるウェイドだ。時に倫理的に躊躇するような選択の場面でもウェイドは「なにがあろうと前へ!」と言い放ち、生存のためなら何をも厭わない思想を持つ。

ウェイドは程心と同じく執権者の候補者であり、程心がウェイドからの辞退勧告(脅し)を聞き入れていたなら、ウェイドが2代目執剣者となり三体からの攻撃は延期されていた。

光速宇宙船の製造を開始したのもウェイドだ。製造を中止させようとする程心に対し、彼はこんなことを言う。

「人間性をなくしたら、我々は多くのものを失う。しかし、獣性をなくしたら、我々は全てを失う」

ここで語られる獣性とは、どんな手段も問わず生存しようとする生き方で、光速宇宙船を手放せば、全て=未来で人間/人間性を再生する可能性すらも失ってしまうことを提示している。ウェイドと程心の対立は、獣性と人間性の対立とも取れる。

一方で、ウェイドは程心のことを特別な人間だとも認めている。二人が再会した時には、こんなことを言った。

「お前は何が正しいかを知っている。そしてそれを実行する勇気と責任感を持っている。それがお前を特別な人間にしている」

そして程心もウェイドのことを優れていると認め、三体攻撃後はやはりウェイドが執剣者にふさわしかったのだと後悔する。二人は真逆の存在でありながら互いを認め合う関係なのだ。

程心は主人公でありながら最も嫌われているキャラクターと言っても過言ではない。彼女は優柔不断で、執剣者に適していないにも関わらず立候補して三体の攻撃を招き入れ、光速宇宙船の製造を中止しては人類が生き残る道を閉ざそうとした。ただし、こうした捉え方もあくまで獣性に寄った視点から見ればという話である。

また、置かれている状況での判断は常に矛盾を孕むものだった。人類は優しさと調和性を好み程心を執権者として支持したが、他者を滅ぼす攻撃性を持たなければ人類の生命を守ることは不可能である。生存し、かつ道徳を持って進める道はないのだ。


宇宙は何によってつくられている?

程心が冬眠から目覚めるまでに、科学者の白艾思が悪夢を見るシーンがある。私はこの場面が大好きだ。気付きたくないことにふれる不気味さと、思考を重ねて濾過されたセリフの美しさがある。

「不確定性原理はひとまずおいて、仮にすべてが決定論だとしよう。初期条件さえわかっていれば、あとはいつの時代においても、その時の状態を計算によって導ける。では仮に、宇宙に人類以外の科学者がいたとして、数十億年前の地球に関するすべての初期データを与えられたら、彼は計算だけによって、きょうのこの砂漠を予測できるかな?」白艾思はじっくり考えて答えた。「無理ですね。この砂漠は、地球が自然に変化した結果ではありません。砂漠化は人類文明がもたらしたものです。文明の営為は物理法則では把握できません」「素晴らしい。では、なぜぼくら物理学者は、物理法則に基づく推論のみによって、現在の宇宙の状態を説明し、宇宙の未来を予言しているんだろう?」

自然に対して物理法則のみで計算してきたということは、計算自体が間違っている可能性があり、現状の認識が誤りだらけかもしれないことに気づく場面だ。今の科学を根底からひっくり返すような、物理学者からすると恐ろしい発言である。しかし、その裏側には希望がある。本作の終盤では敵対していた三体が所有するロボット智子が地球人に手を貸し、新たな宇宙の始まりへと踏み出す。もちろんこれも物理法則からは予想できないことだ。しかしそういった思いが、営みが、宇宙をつくっているとも言えるのではないか。それは、広大な宇宙の中で繰り広げられた人間性対獣性の結論につながっていく。


宇宙の終わり、宇宙をつくるもの

二三五四年、太陽系に対する攻撃を受けたことをきっかけに程心は冬眠から目覚める。受けた攻撃は空間全体を二次元化するというもので、物理攻撃を想定して構築されていた掩体計画は無意味となった。羅輯らが秘密裏に製造していた光速宇宙船「星雲」号に乗って、程心とAAのたった二人だけが太陽系から脱出する。

二人はかつて雲天明に贈られた星へ行くと、万有引力号の乗員だった関一帆が出迎えられる。関一帆は人類が知らない「本物の星間戦争」を程心に教えた。

関一帆は聞く。「当ててごらん。技術的にほぼ無限の力を持つ文明にとって、もっとも強力な武器は何か。技術の角度からではなく、哲学的な抽象性で考えてみてくれ」
程心はしばらく考えたが、もがくように首を振る。「わからないわ」
「君が経験してきたことがヒントになるだろう」
彼女は何を経験してきたのか。彼女がついさっき見たのは、一つの恒星系を滅ぼすために、残忍な攻撃者がそこの空間の次元を一つ下げたことだ。空間の次元、それは何か。「宇宙の物理法則よ」程心は答える。

白艾思含む科学者は自然法則だけをもとに宇宙の状態を説明してきたが、そこには文明の営為という文脈が取り除かれていた。しかし、実際は宇宙の物理法則でさえ、生命同士の戦争によって「人」工的に作り出された状態だったのだ。

物理法則による「空間の次元を下げる」攻撃に終わりはない。力が弱まることのない波紋が宇宙に広がり続けるのである。攻撃する側は自分たちが低次元でも生きられる体に作り変え、宇宙を破壊していく。他者を滅ぼさなければ、自分が滅ぼされてしまうからだ。黒暗森林とは弱肉強食の世界で、その獣性によって宇宙が死にかかっているのだった。


その後、程心と関一帆が探査機で調査中に雲天明がこの星に到着したとの知らせを受け取るも、「死線」にとらわれ、脱出した時にはすでに一八〇〇万年以上の時が経ってしまっていた。二人は雲天明が死ぬ前に残した小宇宙に入り、地球を再生しようとするが、大宇宙から宇宙を再生するためたの宇宙回帰運動の声明を受け取る。

この宇宙の総質量の減少が臨界値を超えました。このままでは、閉じた宇宙は開いた宇宙へと変わり、永遠の膨張の中でゆっくりと死んでいくでしょう。それとともに、すべての生命と記憶も死ぬことになります。奪った質量を変換し、記憶だけを新宇宙に送ってください。

程心は小宇宙から出て、再生する前の宇宙に戻ることを決意する。智子から考え直すように言われるが、判断は変わらない。

「[前略]しかしここに残ることが最善の選択なんだと思う。小宇宙に残ることで二つの可能な未来がある。もし回帰運動が成功したら、大宇宙の崩壊を特異点として新しい創世のビッグバンが起こり、二人は新しい宇宙に行くことができる。そしてもし回帰運動が失敗し、大宇宙が死んだとしても、二人はここで一生を送ることができる。この小宇宙も悪くない」
「もし小宇宙にいる者たちがみなそのように考えたら、大宇宙の死は避けられなくなるでしょう」程心は行った。
[中略]
「あなたはまだ責任のために生きているのですね」智子は程心に言った。

小宇宙の外は危険な状態であり、かつ外部生命が自己保存のために他者も宇宙も顧みてこなかったことを踏まえると、全ての生命が質量を返還することはないだろう。これは人類の言葉でいう「人間性」を頼りにしたお願いなのだ。そして程心は責任を果たすべく、応えたのだった。

死神永生

物語の終わりに入る前に、タイトルとなっている「死神永生」の言葉が出てくる唯一の箇所を振り返ろう。程心が出会ったある老人は、彼女に次のように語った。

「[前略]西暦紀元に不治の病にかかった時私はまだ四十歳だったが、気持ちは落ち着いていて、冬眠しようなどと全く考えていなかった。私は自分が何もわからない。ショック状態の時に冬眠させられたのだ。起きた時にはすでに抑止紀元だった。その時は来世に転生したかと思ったが、まったくそんなことはなく、ただ死を少し遠ざけただけで、まだ先で私を待っていたのだ……灯台が完成したその日の夜、海の上でそれが光を発しているのを遠くから見つめていた時、私は突然悟ったのだ。死はただ一つの永遠に光り続ける灯台田。どこに向けて航行しようとも、最終的には必ずそれが支持する方向に転向しなければならない。全ては過ぎ去り、消滅していくが、ただ死神のみ永遠に生き続けるのだ」

獣性によって破壊されてきた宇宙のなかで、程心が人間性という儚い灯りを持ってしても、この先人類は必ず滅ぶ。物語の最後で、人間と三体人の記憶は暗闇の中でいつか誰かに読み取ってもらえることを夢見ながら長い冬眠についている。これも純粋な希望というよりは生存の延期に過ぎない。絶対的な死神を背負いながら、新しい世界の始まりを予感している。


今回の課題であった最終巻の主題について、最後に簡単にまとめてみようと思う。程心は、獣性によって生み出された光速宇宙船がなければ生き残ることはできなかった。しかし、人間性がなければ、宇宙が再生することもなかった。本作は大宇宙の中で、獣性と人間性が衝突し、絡み合い、変化する生存の肯定を描いたと言えるのではないだろうか。

書き終わったので大森さんの解説動画を見ます。ここまで読んでくださってありがとうございました。


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