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【オルタナティブスクール訪問記/兵庫・丹波篠山④】~教育の選択肢を広げるには?~

オルタナティブスクール・まめの木で
「毎日通う」ような、レギュラー通学が少ない(2022年7月中旬時点)のは何故なんだろう。

理由は、大きく2つあるように感じた。

1つは立地だ。

開校した2016年から今に至るまで、まめの木の登録家庭は大阪や京都など県外居住者が多く
片道1時間かけて来る子も珍しくない、とのこと。
日常的な通学には、それなりの困難が伴うだろうな…と想像できる。

のどかな農村風景の中にある、まめの木。
この豊かな自然なくしてまめの木は語れない…と思いつつ
人口の多い都市部からだいぶ離れていることが、登録者数の伸び悩みの一因になっているようだった。

公教育の存在感は圧倒的

そしてもう1つの理由について。

フリースクールはもとより、オルタナティブスクールに関しても
学校に行けなくなってしまった/行かなくなった、ことをきっかけとして、子どもたちが通い始めるパターンが多いと思う。
まめの木も例にもれない。

そんな子どもたちの中には
公教育など、従来の学校と並行してまめの木に通学する子が少なくないようだった。
となると、まめの木に集まる子どもたちの顔ぶれも人数も、毎日違うことになる。

そして、子どもがまめの木という居場所にだんだんと安心感を覚え、自信が芽生えてくると
『従来の学校に戻る』という選択をする家庭も、これまであったそうだ。
始めからの想定なのか、結果的にそうなったのかはケースバイケースだろうけれど
いずれにしても、元の学校に再び毎日登校するのなら、まめの木への通学はそこで終了してしまう。

もちろん、どんな考えに基づき何を選択するのかは家庭や子どもの自由だ。
否定するつもりは全くない。
経済的な事情も大きいだろう。
まめの木の月謝は、レギュラー通学で4.5万円。どの家庭でも簡単に支払える金額とは言い難い。
実際に我が家も、通学を現実的に考えたなら、その工面の仕方を模索する必要がある。

わたしは、公教育やオルタナティブスクールに対する世間一般の認識と、自分のそれとの間のズレを痛感した。
まめの木に限らず、昨今のオルタナティブスクールの全国的な広がりは
公教育の補完的な位置づけとしてではなく
公教育に〝代わる〟育ちの選択肢として、公教育と同等の存在感・価値をもってそれが登場し始めていることの表れだろう…と勝手に考えていた。
でも世間では、依然として公教育の存在が圧倒的なのだ。

外部からの〝ポジティブな刺激〟で、公教育もきっと変わる

公教育を否定したいわけではない。
でもすべての子どもたちが、暗記を基本とする同じ内容の勉強に、一斉に取り組む必然性はないように感じるし
もっと個々の『好き・得意』にフォーカスした学びが尊重されていい、とわたしは思っている。
だから、公教育自体がそんな要素を取り入れ、子どもたち1人ひとりにとってもっとワクワクできる場所に変わっていくことを期待しながら
オルタナティブスクールをはじめ、公教育の外で具体的な実践例が増えていくことを歓迎している。
そんな、外部からの〝ポジティブな刺激〟が活発になれば
教育の本丸である公教育が変わるまでの時間も、きっと短縮されるはずだ。

そして、そのステップとして必要と思われるのは

〇個々のオルタナティブスクールの存在と特徴が、広く認知されること
〇オルタナティブスクールに対して、できれば公教育と同等の、それでなくても一定の公的助成がなされること

の2つだと思う。

思うところをいろいろ書いてしまったけれど、1つ確かなのは
世間の見方がどうであっても、まめの木は『好き』にとことんのめり込める、正真正銘の〝学校〟だということ。
代表の西村さんも、そんな自負を持っていると思う。
「子どもが少人数の日と大人数の日で、皆の遊び方が変わる。それはそれで面白いし、大切だと思う」としながらも
「理想は、毎日通ってくれること」と話していたから。

まめの木が、毎日たくさんの子どもたちがで賑わい
そのフィールドが存分に活用される日は、そう遠くないと思っている。


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