柔道
こんばんは。もしかしたらこんにちは。おはようございますかもしれませんね。
なるこです。
今日は柔道について書いていきたいと思います。
柔道とは
投げ技・固め技・当て身技からなる格闘スポーツ。素手で取り組み、相手の力に順応して攻撃・防御を行う。明治一五(一八八二)年、嘉納治五郎が日本古来の柔術を改良して創始した。(引用元広辞苑)
今日も一応柔道とは何かということを広辞苑から引っ張ってきました(笑)
そうです。柔道とは格闘技なのです。しかし、私は格闘技が好きなわけではありませんでしたし、今も特別好きという気持ちはありません。
では、なぜ私が柔道をすることになったのか、また柔道を通じて何も学んだのかということについて書いていこうと思います。
きっかけ
私が柔道を始めたきっかけは従兄弟がやっていたということが一番です。
従兄弟の大好きなお兄ちゃんがやっているスポーツ。小さい頃の少年にはめちゃくちゃかっこよく見えました。もうそれは画面の中にいる戦隊モノのヒーローさながらのかっこよさです。それ以上の感情はありません。強くなりたいとか、何に惹かれたとかはないんですよね。かっこよく見えた。それだけです。
初めての見学
小学校1年生の僕は柔道教室に見学に行きました。
教室は週1回だけで2時間、10人前後の生徒数でした。
私は2時間正座でトイレに行くことも忘れ、ただ没頭して練習を見ていました。
小学校1年生が一緒に行った親と話すこともなく、トイレにも立たず、飲み物も飲まずに2時間正座です。別に誰に言われたわけでもありません。僕がそうしたかっただけなのですが、それを見ていた先生が本来2年生からしか入れない教室にこの子なら大丈夫ということで特別に1年生ながら入れてくれたのです。
本当に好きでやりたい気持ちが伝わったのでしょうか。今の僕には先生に聞く手段もなく、真相は分かりませんが、そうだとしたら規則や決まりに縛られることのない柔軟で素敵な先生だと思います。
柔道から学んだこと
最初に言いたいのは、正直な話、これから書くことは柔道だから学べたわけではありません。別に他の格闘技でもいいと思います。
というのもメンタリティもメンタリティ、「強くなるほど人に優しくなるべきであり、人に優しくすることができる」ということです。
なぜそう思ったかというと、小学生の喧嘩の理由なんて大人からすれば大したことでないことがほとんどですよね?ではなぜそう思うようになるのでしょうか。
それは心の成長と理性の確立が大きいですよね。人を殴ることはいけないこと、怒鳴り声を上げてキレることはよくないこと、ということを頭で分かっているからです。ですが、子どものときはそうできないのが現実です。
私が柔道を始めた時、一番最初に言われたことがあります。それは
「柔道を自分の感情に任せて使ってはいけない。これは守るための力です。」
柔道とは本来攻撃を主とした格闘技です。護身術の類ではありません。
ですが柔道を始めた時、まず最初に習うのは受け身。徹底的に受け身の練習をします。これは投げられることを前提としているからです。投げられた時に怪我をしない為に受け身を取ります。格闘技全般で言えることだと思いますが、まずは自分の身を守る手段を学ぶということから始まるんですね。
その過程で必ず学ぶことが、攻撃を受けると痛いということです。
これは非常に大切なことです。
柔道に限らず、格闘技をやるとみに染みてそれが分かるんですね。畳で受け身を取っていても先生に投げられたたらめちゃくちゃ痛いです。それがコンクリートだったら人は死にます。高校時代の同級生で全国優勝レベルの柔道部がいたのですが、他の柔道部の生徒にどれくらい凄いのかと聞くと、素人相手なら畳の上でも人を殺せると言っていましたがそういうことです。彼は畳の外では誰よりも優しく、誰よりも強かったのです。
まとめ
私が柔道を通じて学んだことは、「強さは優しさ」です。
もう少し言えば優しさを向ける方向ですね。
あまりまとめられていませんが、優しくなるには強さが必要だということです。
もちろん強くなくても優しい人はたくさんいます。むしろそういった人の方が多いとも思います。ですからこれは僕個人の持論です。
強くなければ優しくできないわけではないですが、強くなければ守ることはできません。守ることができるからこそ余裕が生まれ、優しくなれるのです。しかし、日本に住んでいてまずそんな場面に遭遇することはないでしょう。
しかし、だからこそ、強さを持って優しくなることに意味があるのではないでしょうか。
今回もまとまりがない文章になってしまいました。
目次をつけてだいぶマシになったかなと思ったのですが、、、
拙い文章を最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
2020年4月26日日曜日 vol.5
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