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【読書感想文】死ぬことと、生きること。



自分とは何かを模索している私にとって
"人間として生きることとは何か"
という「生」を深く考えるきっかけと
"「今の時代」に本当に大切なことは何か"
を教えてくれた1冊となります。

自分探しなど、さてさて笑止の限りだ。
自分とはなにかと探すのではなく、ついについにこう問わなければならないのだ。

「なにが自分であるのか」と。

わたしとはなにか。

決まっている。他者の命だ。他の生命の殺戮によって成り立つ、たったいっときの〈現象〉が、

わたしなのだ。

近藤康太郎 『アロハで猟師、はじめました』



近藤康太郎さんの
『アロハで猟師、はじめました』

アロハで猟師、はじめました
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新聞記者・ライターの傍ら
農業や猟をはじめた筆者の体験を記録した本です。何も分からないところから資格を取り、師匠を見つけ、鴨やイノシシ、鹿を銃や罠で取り、羽や皮を剥ぎ、精肉をし、命をいただく…

猟を通じた動物たちの「死」を
そこにいない私ですら心臓をバクバクさせながら、強烈に意識するほど描写がリアルです。

そして、目や耳で想像する描写と
情勢や世の中の仕組みにも触れつつ
狩猟を通じて世の中を捉え直す過程、頭で考える部分とのバランスがちょうど良いです。

だから、狩猟とは何か、動物の命をいただくことの裏側を見つつも
私たちが生きることとは何か
今の時代で大切なことは何なのか
まで広がりが生まれている本です。

わたしは、わたしになると、いま、決意する。
生きるために食っているのではない。
食うなら ば生きる。 殺す以上は、生きるのだ。

生き延びろ。そして、善く、生きろ。

米も野菜も、多くの各種サービスも、どうやらブラ師は、 貨幣を通さない交換経済でまかなっているらしいのだ。

「猟は山の托鉢」とブラ師はうそぶく。カネなんかなくても楽しく生きていけるし、なにより重要なことは、そちらの方が、カネを稼ぐのにきゅうきゅうとしているわれわれより、よほど人間として上等な感じがする。いや、もっと有り体に言えば、かっこいいのである。

私は社会人なので、仕事をしている。
年収がどれくらいなのか
どうやったら稼げるのか考えてしまう癖が生まれた。

自分の将来を考える時にお金のことを抜かして考えることはできない。

世の中で市場価値はどうなのかを気にして
上げていくための動きを取る。

そんな自分がとてもちっぽけで
"本当に生きていると言えるのだろうか"
あらゆるものの恩恵を受けて
今を生きているのに
"必死にそのエネルギーを使っているのか"
と問い直した。


生き方にも正解はないけれど
今の自分はなんだか
世の中のルールの中で、仕組みの中で
ビクビクしながら過ごしているだけで
自分のありたいように、自分の生を燃やすようには生きることができていない。


じゃあこれからどうするのか
と考えるとまだ自分なりの答え場でないが
まずは「善く」生きたい。

日々を生きていることに
もう少しフォーカスを当てて
未来ではなくて今の自分の生を全力で向き合い、燃やしていきたい。
生きているって実感を持ちながら
周りの命に感謝して生きたい。


そんなことを考える機会をくれてありがとう。

「生」と「死」はやっぱり
どちらかを意識すると、その片方も自然と強く考えることになる。

人が死ぬのは病院で、ということも増えて
綺麗に精肉されたものがスーパーでは並ぶ今、
死とは何かを身近に感じることは減ったけど
生と死は 私たち人間が意識し続けるものだよね、と再度思いました。


善く、生きよう。

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