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見限られた日本政治

「見ててなんか不愉快だからやめてほしい」

私が大学2年生の時に今でも仲良くしている友達から放たれた言葉である。

こんなことを言われても私はその発言を非難しようとは思わないし、縁を切ろうとも思わない。
現にこの言葉を発した友達はもう発言自体を忘れているだろう。それくらい些細な言葉だった。

きっかけは単純で、私のSNSの使い方だった。

私はパソコンやスマートフォン、漫画などに触れられない特殊な学校に行っていたので、娯楽の一つとして友人と日々ディベートをしていた。
そんなに要領も頭も良くない私は負けっぱなしだったのだが、なんとか勝つために新聞などでの情報収集や本を読む癖がついていた。

その延長線上で、日本の政治についての見識を深めており、学生と言う立場上多くを知るわけではなかったが、関心は持っていた。

そして、大学に入学し、SNSの存在を知るとそこから情報を集めるようになった。

しかし、SNSは情報収集だけでなく、友人との交友のためのツールでもあった。

そこで為になった情報をいろいろな人に知ってもらいたいと拡散やシェアをして、それについて私見を述べたりすると、興味のない人の目にも触れるようになる。



私の知らないうちに友達は私のつぶやきや投稿をミュートしていた。今思えばブロックしないだけまだ優しいのかもしれない。


父親がメディア関係の仕事をしていたこともあり、私は小さい頃からテレビっ子だった。
本を比較的多く読む子供でもあったため、活字に抵抗がなくこども新聞なんかも読んでいた。

すると、やはり政治の話は多く目にするようになる。

どの政治家がどのような活動をしているか、どの政治家がどのような不祥事を起こしたか。

政治の話は私にとって他人事ではなかった。

もちろん20歳になってから選挙にも欠かさず行った。


当時付き合っていた人に、投票日の翌週選挙に行ったかどうか聞いてみたことがあった。
その人は、

「行ったけど誰に票入れればいいかわからなくて白票で入れた」

と答えた。


大学生で選挙に行くのももはや立派なのかもしれない。

国民の権利をきちんと履行しているのである。


ただ、疑問は残った。

自分の暮らしている地域の生活のあり方を決めるのが選挙だと私は考えている。
その為、公約や実績、元の職業など吟味のしようがあるはずだ。

しかし、それでも誰に入れればいいかわからないのだと言う。

「もしかするとそのように考える人が今は多いのかもしれない」とそこで考えるに至った。


ある討論番組で、とある衆議院議員がこのような話をしていた。

「若者の政治離れというのは、要するに政治が面白くない、つまらないと認識させていることが原因の一つにある」

その通りだろう。


中学生の公民や高校生の政経など、政治を勉強する機会は義務教育の中や高等教育にもある。

しかし、それが面白いものとして認識されるかはまた別問題だ。
なんなら勉強するものとして嫌悪感さえ抱いてしまう可能性もある。


手頃な娯楽が数多く存在する現代において、政治というのはあくまで「おじさんおばさんたちがやんややんや国のことについて言っている」だけに見えて、つまらないと思われているのではないだろうか。
それであればYouTubeやTikTok、Instagramを見ていた方がまだ楽しく時間を潰せると思うのだろう。


冒頭で私に「見てて不愉快」と言った友人もそういう人物だった。

SNSのいいねは韓国のアイドルグループやアメリカの歌手、バンドについての情報が占めていた。

日本の政治についての話など一切出てこない。


大学生の時はそれを一部の若者だけであると認識していたが、20代も後半になってくると、「案外みんな政治に興味ないんだな」と思うようになる。

飲み会で話すことの9割は近況やそれぞれの趣味について、仕事について。政治の話が出てきたとしても、不祥事のニュースについてが主だ。



2024年1月現在、自民党の裏金問題が表面化し、連日報道が賑わいを見せている。
飲みの席でもこの話は話題に上がってくることがある。


しかし


移民問題、統一教会に関連する宗教の問題、衰退する日本経済、徐々に脅威として迫ってくる領土に関する諸問題、そしてまだ完全に終わっていない東日本大震災や熊本地震の復興

政治について議論しなければならない問題は山ほどあるのだが、自らが当事者ではない若者の大多数は、忘れるどころか思い出すこともないのかもしれない。当事者意識は政治についてはとても薄くなっている。


日本における文化人類学の開祖とも言うべき社会学の大家・梅棹忠夫は、晩年日本の未来について分析した際涙を流したと言う。
あまりに悲惨なその未来を彼は予見していたのだろうか。



10年後、20年後、30年後日本はどうなるのか、日本の若者の政治離れはどのような結果をもたらすのか。
戦々恐々とする一方、投票という意思表示を持ってしても変わらなそうな現状にどこか諦めてしまっている。
今の日本の若者の政治離れは、「面白くない、つまらない」という表面的な考え方がある一方、「すでに我々が力を尽くす時代を過ぎてしまった」という諦めにも似た悲観があるのかもしれない。



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