『「何でこんなところにいるんだ!」と考えないF1ドライバーなんて居ないんですよ、ヤムラさん!」』_Grand Prix(1966)
本田宗一郎は、自身の妻や友人が買い物に行く際の助けとなるため最初のバイクを発明・販売したを皮切りに、1940年代に創業、今なお日本の自動車メーカーの顔であり続けるホンダの「いま」を作り上げた。
宗一郎は1946年に本田技術研究所を開設し、自転車用補助エンジンを製作した。さらにはモーターサイクルの開発を進め、企業として急速に発展する。オートバイレース世界最高峰「マン島TTレース」に出場し、1961年には125ccクラス、250ccクラスともに、1位から5位までを独占し、世界一を経験した。
さらに1961年に小型スポーツカーと軽トラックを発売したばかりの翌年:1962年には
と、F1レースにも参戦した。当時はエンジンだけを供給する予定だったが、シャーシ含めすべてを自前で開発・挑戦することとなった。
参戦2年目。1965年10月のメキシコ・グランプリで、リッチー・ギンサーの駆るホンダマシンは念願の初優勝を果たした。スタートからフィニッシュまで終始先頭を走り続けたのだ。
その他記録・熱戦譜は上記に譲るとして:
1968年に一時撤退するも、極東からはるばる挑戦したその雄姿は西洋人の記憶に深く刻まれた。1966年製作、 本田宗一郎をモデルとする架空の自動車メーカー「ヤムラ」の社長にしてレーシングチームのオーナーであるヤムラ・イゾウを世界のミフネが演じたジョン・フランケンハイマー監督「グラン・プリ」より。
まずは本作唯一の短所から述べよう。3時間のうち1時間を退屈なラブシーン、メロドラマに費やしている点だ。そもそも男男男のドラマを得意とするフランケンハイマーにとって不得意な領域。演出も展開もカメラワークもただ定番をなぞるばかりで、まるで工夫がなく、セカンド監督に丸投げしたのではないか?と思えるほどの生気のなさだ。
長所はそれ以外の、すべてだ。
ジェームズ・ガーナー演じるピートとは生意気だがドライビングテクニックは抜群。イヴ・モンタン演じるジャンは文字通りのトップドライバー。そしてヤムラ・イゾウ=三船敏郎のオトコの渋さ、カッコよさ。
低くエンジン音が鳴り響くなか、レーサーたちはモナコから始まり 、ベルギ ー 、オランダ 、フランス 、イギリス等を経て 、イタリアのモンツアでしめくくられるF1レースに参戦する。
彼らを待ち受けるのはスピードとの勝負、コーナーのバンクを吹っ飛ばすだけでなく時に沿道の観客を巻き込みうるクラッシュの恐怖の天秤。ジェ ームズ ・ガ ーナ ーやイブ ・モンタンはその振り子を前に悩み 、傷つき 、喜びを得ながら 、レ ースに挑み続ける、いや、憑りつかれている。スプリット・スクリーンを用いた大胆な演出の中、レースに注目し熱狂する沿道の人々の眼差しやすがたを切り取る一方で、クルマに乗り込んだドライバーの視点/なぜ車を走らせるのかの視点をモノローグによって語らせる手法は、静(=観客)と動(=レーサー)の対比もあって、製作から半世紀経った今でも、クルマ好きだけでなくシネフィルであれば、いちど観たら忘れられないことだろう。内燃機関の描写にコクがあるのは、ドライバーを支えるのが電子制御系統を世話する電気屋ではなく車体・エンジン関係のメカニックであった時代のはなしゆえ。
さて、話の横軸として、ドライバー同士の陸での付き合い、ドライバーと伴侶の退屈なメロドラマとは別に、本田宗一郎…じゃなかった、ヤムラ・イゾウと、彼のチームの第3ドライバー契約を結ぶこととなったピートの交流のがある。
ヤムラは最前線で戦うピートの心境に寄り添う:直に話を聞いて、ドライバーが何を考えているのかを聞き出そうとする。
「レース中のF1ドライバーとは、何を考えているものかね?」と。本記事のタイトルが、ピートのアンサーだ。
他人の心など分からないのだから、当事者にその心境を尋ね聞き取るのは当然のことだ。本田宗一郎は、F1用のエンジン開発にあたって、研究所に籠りあぐらをかいて、設計チームを相手に床にチョークで図面を書きながら議論を行った技術者の顔を持つ。この時代のホンダ第一期F1挑戦は、本田宗一郎の個人的道楽・オートバイレースの延長の側面も有していたから、ドライバーとオーナーの距離が近くなるのも、当然と言えるだろう。
もうひとつ、20年経ってもなお人々の心に燻り続けた、太平洋戦争に触れる一幕もある。
ヤムラはかつて帝国空軍のパイロットで、米軍機を17機撃ち落とした過去を持つ。徴兵されなかったピートの前にヤムラがその過去を認めたうえで、それでも明日に向かっていまは歩こうと互いにうなづき合う一幕は、敬意に満ちていて、厳かで、美しい。
威厳たっぷりの三船敏郎が演じるがゆえ、本田宗一郎も「空軍パイロットとしての過去を持っているがゆえに」そう考えているだろうな…とこちらが勝手に解釈してしまいそうな、説得力を持たせることにも成功している。
最初はぎこちなくも、じょじょに限りなく裸の付き合いへと近づいていくピートとヤムラのドラマも、本作の魅力の一つだ。言うなればピーターはヤムラの人柄に惚れ、ホンダの設計チーム同様「オヤジヨロコブ」の精神を有して、レースに挑むのだ。
結論。
宗一郎は当時、いや、いまの日本においても先進的な、「得手に帆上げて」「能ある鷹は爪を出せ」「技術論議に上下関係はない」ほかをものまねより独自性を重んじる考え方を有していた。
その自由な社風が、東西南北分野を問わず様々なエンジニアを惹きつけただけでなく、現物現場を重視する「三現主義」の経営方針、後に自由な話し合い「ワイガヤ」が自然と行われる企業文化をいまに残している。
その真剣でありながら自由な人柄を、ヤムラ=三船敏郎が体現している。
もちろん、当時国内でも蛮勇と言われたホンダのF1挑戦を、騎士道的な精神で素直に讃えた、崇高な作品であることは、言うまでもない。
本作は、本田宗一郎ではないが、本田宗一郎そのものの技術や精神、息遣いをフィクションという媒体で今に伝える、貴重な記録とも言える稀有な作品と言えるだろう。
最後に、なぜ本田宗一郎がF1に挑戦したか。メキシコGP優勝の報を受けて、記者会見で述べた言葉を引用して、本記事を締めくくろう。
これは、全世界の自動車メーカーがモータースポーツにおいて願ってやまない、しかしモータースポーツはおろか自動車の構造自体が複雑に高度化されたいま現在においては、なかなか難しい真理なのだ。