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1987年金獅子賞受賞作「さよなら子供たち」_忘れられない、心の疵。

ひと昔前のフランス映画を彩った監督たちの心には、 ナチス占領時代の闇が、深く影を落としている。 長じて、彼らはその闇をフィルムに焼き付けた。
「禁じられた遊び」のルネ・クレマン。
「海の沈黙」「影の軍隊」のジャン・ピエール・メルヴィル。
ヌーヴェルヴァーグ騎手のひとり、ルイ・マルもその一人だ。

ヌーヴェルヴァーグに勢いがあった60年代は、 「死刑台のエレベーター」(58年)「地下鉄のザジ」(60年)など、流麗な映像美に乗せたスピード感あるサスペンスやラブストーリーを連打した。
それが70年代、フランス映画が沈滞、製作本数が大幅に減少するとともに、 禁欲的で淡々としていながら力強い、そして重々しい画面作りへと作風を変化させていく。それにしたがって主題は人間の内面、殊にナチス占領時代のフランス国民それぞれの生きざまへと向かうようになった。
例えば、「ルシアンの青春」(74年)では、ドイツ警察にしかフランスでの居場所を見つけられなかったはみ出し者を主役に描いている。
それから13年後、彼が「さよなら子供たち」(87年)で描いたのは、 同じくはみ出し者:自分がユダヤ人であることを隠す転校生と、彼を取り巻く寄宿学生の群像劇だった。

1944年、ナチス占領下のフランス。ジュリアンのいるカトリックの寄宿学校に3人の転校生がやって来る。ジュリアンは、自分のクラスに編入されたその中の1人ジャンと仲良くなるが、3人は学校がかくまうユダヤ人であることを知る…。
監督・脚本 ルイ・マル
製作    ルイ・マル マラン・カルミッツ
出演 ガスパール・マネス ラファエル・フェジト フランシーヌ・ラセット 
スタニスタス・カレード・マルベール フィリップ=モリエ・ジュヌー
撮影    レナート・ベルタ
音楽    シューベルト サン=サーンス

角川シネマコレクション 公式サイトより

1944年、学童・ジュリアン・カンタンは休暇を終えてカトリックの寄宿学校に戻ってくる。 そこへ校長のジャン神父が3人の転校生を連れてくる。 そのうちの一人ジャン・ボネはジュリアンのクラスに編入される。 自分以上に優秀なボネにジュリアンは興味を抱き、仲良くなろうとする。 最初は周囲と距離を取ろうとしていたボネも、じきに打ち解け、ふたりはただの友達から親友へと近づいていく。
しかしボネはある秘密を隠していた…。 

ルイ・マルの演出に感傷は欠けらもない。 子どもたちとの間に取った一定の距離感。 決して大声を挙げない演出の寡黙さ。 劇中の子供たちは楽しく日々を送る。
その楽しげな様子が、どこか演出と不釣り合いで、なにか不吉な予感にさせられる。おおよそ不均衡な世界の前に、不安な気持ちにさせられる。

そして、物語の後半、嘘とともに不均衡が破れる。 ゲシュタポへの密告。 露呈される事実。 3人の転校生は、ユダヤ人だったのだ。
学校内をめぐるゲシュタポからの逃走劇の末、(ユダヤ人を快く思わない生徒たちのせいもあって)転校生たちは捕まり、匿った罪に問われる校長のジャン神父ともども、連行されることとなる。

別れの時間は与えられる。 ジャン・ボネはジュリアンに別れを告げる。ジュリアンはジャン・ボネにさよならを言う。
生徒たちは口々に言葉をかける。

Au revoir, les enfants! À bientôt!
神父さん、さよなら。

ジャン神父が応える。

Au revoir, les enfants! À bientôt!
さよなら子供たち、また会おう。

 そして銃を突きつけられたまま、4人はトラックに乗せられ、何処ともなく連れ去られていく。

この後の顛末は、ルイ・マル自身のナレーションで語られる。
二度と彼らに会えなかったこと。 三人の少年はアウシュビッツで、ジャン神父はマウトハウゼンで死んでしまったこと。 
これはルイ・マルが実際に見聞きしたこと、子供時代のトラウマ、一生を支配するトラウマになったことは、間違いない。


自伝的な内容を、感情の起伏を排した口調で監督自身が語ることで、物語は相対化される。 「自分だけの物語」にしなかったからこそ、ナチス占領下の不安の時代の闇、排除の本質を、今なおひしひしと淡々と伝え、観るものの心をひりつかせるのだ。

ぼくは、あの朝の涙を忘れない。

1988年、本邦初公開時のキャッチ・コピー

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